【首都、ティンプー】ブータンについて---21から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
午後の街で
午前中に見学した工場で作ったお線香を売っている店があるというので、食後に出かけた。これも雑居ビルの2階にある、小売店というより卸売りの問屋のような、薄暗くて活気のない場所だった。帳簿係の女性が一人いるだけだ。お線香はたくさんあったが、何も表示がなくて、どういう種類のお線香で値段がいくらなのかわからない。商売っ気はまるでなかった。
仏壇があるわけではないが、私は時々、家でお線香をたく。だから自宅用のお線香をここで仕入れた。それぞれどんな香りなのか見当がつかなかったが、何種類か適当に選んで買った。日本のお線香と比べると太くて長い、武骨な体裁だ。でも実際にたいてみたら無理のない素直な香りで、思いのほか煙が少ない。原料はスギやヒノキのほか、料理や製菓にも使う香辛料、それとつなぎに使うはちみつや砂糖で、天然の材料しか使わないと言っていた。見た目は素朴だけど、とても贅沢なものなのかもしれない。日本で売っているお線香の値段はピンからキリまでだが、ここのお線香の値段はハンドメイドの品としては格安だった。
お線香を手に入れると、織物美術館へ行った。
ブータンは地方ごとに特色のある織物の伝統があり、この美術館にも華やかな織物がたくさん展示されていた。建物は最近改築されたようで、明るくてきれいだ。でも、展示そのものは今ひとつ面白みに欠けた。もしブータンの伝統的な織物を体系的に見てみたいがあまり時間がない、というなら、この美術館を訪問する価値はある。
私は、実際に布を作る現場を見て、作っている人から話を聞く機会も十分にあった。
美術館に展示された《作品》をわざわざ見に来る必要はなかったのだ。
展示を見てから、それが分かった。
これで用事は大体終わりだった。あとは書店へ行って、ブータンの地図を買うだけだ。ジャムソーが、ティンプーの中心街の書店に連れて行ってくれた。きちんとした地勢図が欲しかったのだか、そういうものはないと書店員に言われ、結局大判の観光マップを買った。自分が訪問した村や町の位置関係は、とりあえず分かる。あとは賑やかな通りを散策して、カルマに会ってお茶をいただいて帰ればいいと思った。
そのとき、ジャムソーが言った。
「サツキ、カルマとの予定が変更になったんだけど、いい?」
「え?会えないの?」
「いや、会えるんだけど、お茶じゃなくて7時のディナーってことになった」
「ディナー?」
突然訪問してカルマをびっくりさせ、挨拶だけして帰るつもりだったのに、妙にあらたまった話になってしまった。会ってはみたかったのだけれど、会食までしなくてもいいような気がした。
「君とカルマと、ふたりで会食ってことになった」
「ちょっと待ってよ、あなたたちは来ないの?」
「行かないよ?どうして?」
「どうしてって、初対面の人といきなり二人で会食するのは気を使うし、来てよ。おねがい」
「ええ~…」
「ネテンはどうなの?来られる?」
「今日は用事があるからダメだって」
「それじゃ、ジャムソー、来てよ」
「…ほんとに必要あるの?」
本当も何も、私とカルマの両方に面識があるのはジャムソーとネテンだけだ。ネテンが来ないなら、ジャムソーに来てもらわないと困る。私はジャムソーを拝み倒した。
「おねがい。来て」
ジャムソーは、渋々という顔で承諾してくれた。
7時に会食なら時間に余裕があるので、ティンプーの中心街を見物した。中心街といっても本当に小さな区域で、歩いて回るのに大して手間はかからない。あちこちの商店をのぞき込みながらぶらぶら歩いたが、驚いたのはジャムソーの知人の多さだ。30分ほどの間に、4~5人の知人と会い挨拶していた。いくらティンプーが小さな街でも、それはないと思った。
ティンプーとその周辺を含む行政区全体の人口は約10万人だ。
30分の間に、そんなにたくさんの知人と遭遇するものなのだろうか?
ジャムソーの知人は男性もいれば女性もいる。同郷の友だちから昔の仕事仲間まで、いろいろだ。ブータンの人が友だち付き合いを大切にするのはトレッキングのあいだ実感したが、まさかここまでとは思わなかった。どうりで携帯に始終電話がかかってくるわけだ。
夕暮れが近くなるころ、車に乗り込みホテルに戻った。ネテンはそのまま帰り、ジャムソーはホテルで何かすることがあるようだ。7時にホテルのロビーに来るように言われた。まだ少し時間がある。部屋に戻り、一息いれた。
ホテルのロビーで
7時、待ち合わせの観光客やビジネス客で、ホテルのロビーは華やいだ雰囲気だ。ジャムソーがベンチに座っている。一日仕事したあとだからか、疲れた様子だ。
「カルマから、何でオマエがくるのか?って言われたんだけど…」
「何でって、ジャムソーは私のガイドだし、私が来てくれって頼んだんだから、それで十分じゃない」
「そもそも自分の上司とメシ食うなんて気まずいよ」
「どうして?いつもカルマと一緒に仕事してるんでしょ?」
「いやあ、そういうことじゃないって…」
ほとんど泣き顔で、まるで校長室に呼び出された小学生みたいだ。来るように頼んだことを、ちょっと後悔した。無理に頼まないほうがよかったのだろうか?それにしても、一緒に食事することをこんなに嫌がるのはどうしてなんだろう?ブータンでは上司と部下が一緒に食事したりはしないんだろうか?でも昨夜のレストランでは、財務局の職員が懇親会をやっていた。当然、部下も上司もいたはずだ。
「今のうちに、明日の打ち合わせをしとこう。朝6時にここを出発して、7時にパロのホテルで朝食。そのあと、タクサン僧院へ行くってことで良いかな?」
タクサン僧院は山の中腹に建っている。車を降りてから、2時間近いハイクになるはずだ。そういう場所にあるにも関わらず、タクサン僧院は有名な観光スポットだ。できれば訪問客の少ない時間に参拝したい。6時出発で文句はなかった。
「わかった。僧院だからキラを着ていきたいけど、どうしよう。あまりトレイルがきついと、キラを着て歩くのは大変だし…」
「きみ次第ってことで」
「考えとく。で、もう7時だけれど?」
「カルマはもう来てるよ」
ジャムソーの緊張感が、私に感染したようだ。カルマが来ている。
「ダイニングにいるよ」
ロビーのすぐ隣がダイニングだった。
7時5分、私たちはダイニングルームに入った。
ジャムソーが紹介してくれたのは、品のよい初老の男性だった。
カルマ・タシ
「カルマ・タシです。始めまして」
「さつきです。旅行を計画する時は、お世話になりました」
自己紹介して握手する。まるでビジネス会食だ。
「先ほどロビーで見かけたのですが、キラを着ているので、ブータン女性かと思いました。でも、うちのガイドと話していたので、あなたかなと思ったのです」
「このキラは、サンドゥルップで入国した時に買ったのです。でも上手に着るのは難しいですね」
「あなたのテゴは裏地のついたデザインだけれど、本来はテゴの下にウォンデュというブラウス着るのですよ」
カルマの着ているゴは、ひと目で手工芸品とわかる上等なものだった。下には柔らかな生地の伝統的なシャツを着ている。シルクだろう。自分のキラが田舎町で買った安物だということに引け目を感じたが、カルマにはそれがわかったのだろうか。衣服の話はそれで終わりになった。
「ブータンは形式ばった国ではありません。くつろいで食事を楽しみましょう。食べ物を取りに行きませんか?」
カルマはそつがない。ここのダイニングも、自分で食べ物を取りに行く方式だ。料理のテーブルへ行くと、ウェイターがそれぞれの料理の説明をしてくれた。ジャムソーは始終黙ったままだ。カルマの態度は優しく親切だったが、ジャムソーに影響されてしまったのか、緊張を解くことができなかった。
でも、それだけが理由だろうか?カルマは不思議な印象の人物だった。
今までいじめられたことがない子供のようにチャーミングで、貴族のように優雅で、ビジネスマンのように実務的で、僧侶のように態度に迷いがなく、そのくせどこかマフィアの幹部のような凄みがあった。
私はこんな人物に、2ヶ月に渡って言いたい放題のメールを送りつけていたのだろうか?恐ろしくなってきた。
「どうしてブータンに来ようと思ったのですか?」
私はドレクスラーのインタビュー記事の話をした。
「でも、たとえその記事を目にすることがなくても、ここに来る巡り合わせだったのだと思います。ご存知のように、ブータンへの旅行を計画するのは簡単ではありません。でも、ひとたび決意したらなにもかもうまく行き、こんな短期間のうちに準備して旅行することができたのです。あなたがいつもメールで的確な情報をくれたので、本当に助かりました」
「なぜメラク・サクテンのトレッキングを選んだのですか?」
「実をいうと、難易度が中くらいで、一週間から10日くらいの日程のトレッキングならどこでもよかったのです。たまたま条件に合ったのがメラク・サクテンのルートだったのですが、行ってよかった。景色を眺めるだけでなく、土地の人たちとの交流を十分に楽しむことができました」
「トレッキングの装備はどうでしたか?食事は?」
「装備は十分以上でしたよ。不自由することなんてなかった。テントも、二人用のものを一人で使ったので、十分な広さでした。食事はおいしかったです。サクテンで連泊した時には、サプライズでケーキを作ってくれて、本当にうれしかったです。いつも暖かいミルクティも飲ませてもらって、今ではすっかりミルクティ中毒ですよ」
カルマはジャムソーに向かって聞いた。
「トレッキングシェフは誰だった?」
英語だった。
私への配慮だろう。
「…ドルジです」
ジャムソーが神妙な顔で答える。目線は料理の皿に落としたままだ。そしてカルマの態度は、事業家以外の何物でもなかった。ブータンの観光業や彼が経営する旅行代理店についての話題が続いた。カルマはにこやかに私に聞いた。
「で、どうでした?うちのガイドは」
うわ、来た。
ここまで単刀直入に聞かれるとは、思っていなかった。
カルマの隣で借りてきた猫以下になっているジャムソーが気の毒で、私は彼を最大限に持ち上げた。
「お世話になりっぱなしですよ。トレッキングのあいだは安全に配慮してもらえてありがたかったし、彼は初対面の人と打ち解ける才能があるんです。どこへ行ってもその場にいる人とよい雰囲気で話ができるので、私もいろいろな人から興味深い話を聞くことができました。この国でかけがえのない経験ができたのは、彼のおかげです」
ちょっとやりすぎたか。これじゃまるで私とジャムソーがぐるになっているみたいだ。
「良い旅行ができたようで、何よりです。でも、ジャムソーの働きが悪かったら、耳を引っ張ってやってください」
カルマはユーモアのある調子で話したが、私は冷や水を浴びせられたような気分だった。一度だけ、ジャムソーの耳を引っ張ったことがあるのだ。それをカルマが知っている訳はないのだが、勘のよい人間は、そうと知らなくても事態の核心に近づいてゆくことができるものだ。私の意識は、警戒モード発動の一歩手前だ。
「そうしますよ。でも明後日にパロから出発してしまうので、もうそんな暇はないかもしれません…」
話題を変えたくて、私はトートバッグから日記帳を取り出してカルマに見せた。
「旅行のあいだ、ずっと日記をつけていました。ブータンに入国した時にはこの日記帳の一割くらいしか使っていなかったのに、もうほとんど終わりです。毎日いろいろなことがありました。ここでしか体験できないことばかりです」
私の日記帳は罫線の広いハードカバーのノートブックで、シートは160枚ある。旅行中は忘備録やサイン帳も兼用なので全部文章で埋まっている訳ではないが、ブータンにいるあいだ本当によく書いた。書くことはたくさんあったし、書く時間もたっぷりあった。トレッキング中に書いたページには、キャンプファイヤの灰でうっすら汚れている部分もある。丁寧に扱うよう心がけているが、ほとんどいつも持ち歩いていたので、表紙の角が少しだけ傷んでいた。
「見てもかまいませんか?」
「…どうぞ」
私はカルマに日記帳を渡した。私は文章を書くとき、複数の言語を混ぜないようにしているが、日記だけは例外にしている。(この文章のように)基本的には日本語で書いているが、外国語を混ぜてもいいことにしてある。だからカルマが見れば英語で書いてある部分はわかってしまう。しかし、日記に書かれたことを秘密にしておく必要もないような気がした。ちょっと怖かったが、自分を開示したほうがいいように感じていたのだ。でないと、いつまで経ってもカルマに対する警戒を解くことができない。私は相手の懐に、意識的に飛び込んだのかもしれない。
カルマは日記帳を手に取り、丁寧にページをめくった。
「本が書けますね」
「…本は書かないですけど、インターネットに何か書きたいです」
「ぜひ書いてください。そして、あなたの書いたものを読んだ人が、ブータンに来てくれたらうれしいです。私は、もっとたくさんの人がブータンに来るべきだと考えています。ブータンにはそのポテンシャルがある」
どう返事していいのかわからなかった。
確かに、観光資源が豊かな割にはブータンを訪れる旅行者は少ない。ブンタンのホテルで話をした、かっこいいカップルのことを思い出した。
ああいう人たちがもっと来ればいいのに。
でも、ブータンに住んでいる人の心に関心のない、観光資源を《消費》するだけの旅行者が大挙してブータンに押し寄せる可能性を考えると、安易にカルマの意見に同意できなかった。
「ブータンにはそれだけの観光資源があると思います。でも、一番の資源は人間じゃないでしょうか。私は運がよかったのかもしれない。その資源を、発見することができた。この国に来てそういう人たちと出会ったこと、そして今、あなたとここで話していることは、とても幸せなことです」
会話の流れは、ビジネスから離陸した。話題は人間と宗教へ移っていった。カリフォルニアで瞑想していると、そういう話を聞く機会もないではない。
でも、私はふつう、こういった話題について人と話さない。
世の中の理解の仕方や感じ方は人によって違う。人の言うことが自分に理解できるとは思わないし、自分の考えていることを他人に説明しようとも思わない。
でも、この時は、カルマの話を聞いてみたかった。
私は旅行中のできごとを日記に書いたが、どんなに丹念に記録しても、どんなに印象が強くても、過ぎた時間は記憶にしかすぎず、時間そのものは取り戻せない。その時間の流れの中で、人間は業に従って生き、生まれ変わる。六道のうち、一番上のレベルは天道だが、そこに生きることが幸せではない。すべての物事は変化する。天道での暮らしを失う悲しみから逃れることはできないのだ。その下、人間道に生きているものだけが徳を積むことができる。それが私たちだ。カルマは言った。
「だから、生きているあいだ、徳を積まないといけないのです。そうすることができるのは、今だけです」
私は影響されやすいのかもしれない。気が早いと言われそうだが、このとき以来、自分に残された時間を意識している。
ホテルの部屋で
会食がお開きになったのは9時近かった。
ジャムソーはほとんど話さず、カルマと私がお互いに質問を投げかける形で話が進んだ。両方とも、個人的なバックグラウンドについてあまり質問しなかった。その場限りの印象に頼って会話するのが、ルールであり礼儀であるように感じたし、仏教の教えを実際の行動に応用するとそういうことになるのかもしれない。そうしようと思えば私をマインドコントロールするのは簡単なのかもしれないが、カルマはそういうことはしなかった。自分が何者でどういう能力があるのか、十分把握しているのだろう。
楽しかった、というのとは違う。
ただ、これは間違いなく必要な何かだった。もしかしたら、私をブータンに引き寄せたのは、この《機会》だったのか?会食の段取りの段階では、私はカルマと接触しなかった。でも彼は、私とふたりで会おうとしていたのだ。ジャムソーが同席を嫌がることを承知していたからなのかもしれない。あるいは、私に何か話したいことがあったのだろうか?
ともかく、カルマと知己を得ることができた。そして、ある程度予想はしていたが、彼が特別な人間だということがよくわかった。彼の経営する会社の客だという立場が、私に余裕を与えた。私が何者でもカルマが同じように振舞うことは疑問の余地がないが、もしそういう立場でなかったら、あの人物を相手にあんなに話せたかどうかわからない。
ホテルの部屋で、キラを着るときに使うきつい帯を解き、パジャマに着替えた。フロントデスクに電話して翌朝のモーニングコールを頼み、出発に備えて着替えと洗面具以外のものはパッキングした。部屋にはライティングデスクもあったが、ベッドに座りひざの上に枕を置いて、その上に日記帳を開いた。
書きたいだけ日記を書いて、眠くなったらそのまま眠ってしまえばいい。
【パロへ】ブータンについて---23へ続く