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ティンプー、遠景。ぼんやり霞がかかっている。


【プナカへ】ブータンについて---20から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

首都へ

ドチュラの峠からティンプーまで、そんなに遠くない。最後の通行止め地点を通過し、車は順調に走り出す。疲れていても、都市に到着するという高揚感があった。そしてジャムソーたちの、久しぶりに帰宅するという安堵の気持ちを、私も感じとることができた。

山道はいつの間にか舗装の整った高速道路になった。両側の山肌を埋める建物が見る間に増える。ティンプーは山にはさまれた平原に発展した都市だ。東京やバンコクのような密度はなく、ちょっとスカスカした印象だったが、それは紛れもない『都市』で、高速道路はその真ん中に滑り込んでいった。

この国に、こんな所があるんだ!

2週間前にサンドゥルップで入国して以来、ずっと小さな村や町を旅してきた。ジャムソーは、ブータンの都市はティンプーだけであとはみんな『町』だと言っていたが、それは本当だった。

ティンプーは別格だ。

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他の町と同様、ティンプーにもゾンがある。

ゾンは見晴らしのよい丘の上に建てられることが多いが、タシチェゾンと呼ばれるティンプーのゾンは、平原に広がった街並みのなかに建っていた。大きなゾンだが、手狭になってしまったのか駐車場の中にプレパブのオフィスが並んでいる。

私たちの乗ったSUVはゆるゆると徐行しながらその駐車場を進む。ジャムソーが携帯電話で話している。通話が終わると、私に言った。

「ギレがいる」

ギレがいる? 
こんな所に? 
なぜ?

東ブータンのラディの村でギレと別れたのは、5日前だ。促されて車を降りた。本当に、ギレがいた。

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ドライバーの仕事でタシチェゾンに来たのだろう。きちんとゴを着て、まるで別人だ。ギレもきっと、キラを着た私を見て別人みたいだと思ったことだろう。人間というのは、遠慮なく変わってゆくものだ。変化に気づいていないのは本人だけ、ということもあるかもしれない。

混み合う駐車場で、もたもた立ち話もしていられない。ギレと挨拶し、写真を撮り別れた。まるで同じ町に住んでいるもの同士のように、またどこかで会うかのように、あっさり別れた。


みんないつもの自分に戻る

タシチェゾンの見学者入口へ向かう。首都のゾンだけあって警備は厳しく、空港のように手荷物の検査がある。見学できるのは僧院エリアだけで行政エリアに立ち入ることはできないが、僧院エリアだけでもずいぶん大きかった。ただ、大きくて立派だというだけで、ブータンらしい魅力に欠けるような気がしないでもなかった。すでに夕暮れで、暗くなる前にゾンを見学しようとする観光客でにぎわっている。

東京だったら、都庁の展望台を見物するようなものかもしれない。
なるほど、確かにこれは普通の『都会』だ。

ライトアップされた大きな建物、歩き回り会話する大勢の人たち… 都市で行動する感覚がよみがえる。山の中に散らばる小さな村や町を訪問しながら過ごした後では、懐かしい感覚だった。

私は日ごろ、都会の生活に特に魅力を感じることはない。でも都会らしい雰囲気のあるティンプーには、久しぶりに飲むおいしいコーヒーのように、私を落ち着かせる何かがあった。町や村では、ブータン人でないのはツーリストで、ツーリストでないのはブータン人だった。でもこの都会にいれば、どっちでもないただの人でいられるような気がした。

ゾンの見学が終わると、また車に乗り込んだ。
駐車場を出た車はティンプーの中心街へ向かう。

今朝チミラカンに行った時、ジャムソーに「今日の夕食はもう段取りしてしまっただろうから、その通りでいい」と言ってあった。だから今日もホテルのダイニングルームでひとりで夕食かと思ったが、街のレストランで食べるのだという。まだちょっと時間が早いが、今日はジャムソーたちは自宅で、私はホテルで、ゆっくり休む必要があった。ちょうどいいかもしれない。

賑やかな通りは交通量があったが、路上駐車する場所を探すのは難しくなかった。通りの両側に3~4階建てのビルが並び、1階はどこも商店になっている。大勢の人たちが連れだって歩道を歩き、ちょっと盛り場っぽい雰囲気だ。こんなところを歩くのは久しぶりだ。車を駐車した道路のすぐわきの建物に入る。雑居ビルなのか一階には衣類店などの商店が入り、ロサンゼルスの中華街かヒスパニック街のマーケットみたいな雰囲気だ。階段を上り、3階にあるレストランへ行った。

まだ時間が早いせいか客はいなかったが、ジャムソーが予約したのか、3人分の席が作ってあった。フロアの片隅にステージがあり、天井からミラーボールが下がっている。ステージの奥には、なぜかパソコンが置かれていた。

しばらくすると、勤め帰りらしい人たちが三々五々やってきた。

男性はゴ、女性はキラを着て、年齢はさまざまだ。オフィスで働くホワイトカラーなのだろう。ジャムソーの話だと、彼らは財務局の職員で、今日は職場の懇親会があるのだという。どうやら、貸切になっているところを無理に頼んで予約を入れたようだ。

そのうち男性と女性がひとりずつ、マイクを持ってステージで歌いだした。

なかなか上手だ。パソコンのモニターにカラオケの画面が映し出され、ミラーボールが光のつぶつぶを飛ばし始めた。ここはブータンのカラオケレストランなのだろうか?

ジャムソーは自分も歌いたそうで、ステージの周りをうろうろしていたが、結局歌わないで帰ってきた。

「ジャムソーはこのお店には、よく来るの?」
「うん。時々来る」
「それじゃ、歌うことあるの?」
「たまにはね」
「ステージで歌っている人たち、上手だね。あの人たちもお客さんなの?」
「あれはね、セミプロの人たち」

ああそうか、歌っている男女はレストランと契約しているか、あるいは懇親会をやっている人たちが雇ったのだろう。歌わなかったものの、ジャムソーはうれしそうだった。でも、不自然に浮かれた感じではなく、まるで憑きものが落ちたみたいだ。

こんなに普通にしているジャムソーを見るのは何日ぶりだろう。

自分の住まいに戻る、というのはこういう効果があるのだろうか。3人のうち、まだ家に帰らないのは私だけだ。自分がカリフォルニアの自宅に帰りついた時、彼らのように幸せになれるかどうか、怪しいものだと思った。

風邪気味だと言っていたネテンも気分はそこそこのようだ。肉や野菜の、ブータンの普通の料理を食べた。エマダツェも当然出てきた。食事が終わるとホテルまで送ってもらった。

長いと思っていたブータン滞在も、実質あと2日でおしまいだ。でもこの感じなら、お互い最終日まで和やかに過ごして気分よく別れることができそうだ。


ティンプーの人のように

この日の宿泊は、ティンプーの繁華街から離れた設備のよい中級ホテルだった。

朝はいつものようにひとりで食べたが、昨日までのような欧米人のグループやカップルは見当たらない。インド系の落ち着いた年齢の夫婦、そしてやはりインド系のビジネス客が大半だ。いかにもという感じの欧米人ツーリストの不在が心地よかった。私にも、人種的なコンプレックスがあるのだろうか?

ブータンの伝統文化はチベットに近いが、経済はインドとの結びつきが深い。ブータンを訪れるツーリストは一日250ドル前後の公定旅費を前払いするが、この規則はインド国籍の訪問者には適用されない。国際空港があり外国からのアクセスのよい西ブータンは、インド人の旅行者が多かった。

私はこの日もキラを着たが、髪型は変えた。これまで訪ねた村や町の女たちは長い髪を結んでいることが多く、私もそうしていたが、ティンプーはセミロングの髪型にしている女性が多かった。地方を旅行するのは楽しかったけれど、都会では都会の人のようにふるまいたかった。この日は久しぶりに髪の毛をブローする気になったのだ。

ホテルのロビーでジャムソーとネテンを待った。ビジネスっぽいゴやキラを着て、書類やノートブックパソコンを持った男女が集まっている。フロントデスクの横に教育関係のコンファレンスの案内が出ていた。多分そのコンファレンスの参加者なのだろう。9時開始なのか、時間になると揃ってコンファレンスルームへ入って行った。

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ジャムソーたちがやって来た。

ふたりともさっぱりした表情だ。昨日は心配ごとだらけだったが、ティンプーに移動しただけでこんなに気持ちよく行動できるのが不思議だったし、ありがたかった。

「おはよ。ゆっくり休めた?」
「うん。ホテルの部屋は快適だし、よく眠れた。朝ごはんも美味しかったよ。そっちは?ネテンは風邪、治ったの?」
「だいぶ良くなったかな。昨日もらった風邪薬が効いたと思うな」
「それじゃ出かけようか。最初はナショナルメモリアルチョルテンだね」

ジャムソーは私が作った訪問先リストを見ながら言った。

ティンプーの街はそんなに大きくない。ホテルからナショナルメモリアルチョルテンはすぐだった。深い歴史的背景があるわけでも、建物がすごく大きくて立派ということもないが、信心深い年配の人たちがたくさん集まるかわいらしい場所だ。

空気の中には、まだ朝のさわやかさが残っている。大勢のお年寄りがいくつもあるプレイヤーホイールを回し、チョルテンの周りをぐるぐる歩き、投地礼をしていた。信仰の場には違いないが、シニアの健康センターみたいな明るい印象で、一日の日程を始めるのにぴったりの場所だった。

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その人たちに混ざり、私もチョルテンの周りを歩いた。ブータン入国以来、こういうことを普通にするようになっていた。プレイヤーホイールがあれば回し、お寺があればブータン式に跪いて参拝し、チョルテンがあれば周りを歩き、食事する前に神様に食べ物を捧げた。こんなふうに、地元の人間のようにふるまうのが楽しかった。

チョルテンのあとは、お線香の工場を見学しに行った。

工場といっても、街中でよく見かける雑居ビルのフロアを2つ使って、男性5人が製造、女性3人が包装作業をしているささやかな場所だ。ビルの廊下や階段は、殺風景で暗い。ああ、ここは途上国の都会なのだ、そんなふうに納得する雰囲気だったが、仕事場の中はきちんと整えられていた。

お線香の生地をひも状に絞り出す時は、普通ならプレス機を使うが、ここにはそれもなく、ふたりの男性がテコを使って絞り出していた。本当の意味でハンドメイドだ。約50種類のレシピがあり、すべて伝統的な調合だという。欧米や日本と違って、この国でライフスタイルの理由からお線香を使う人もいないだろうし、伝統レシピだけで不都合はないのだろう。絞り出しから成形、乾燥、包装まで一通り工程を見せてもらった。

その次は、ペインティングスクール。
これは国立の伝統工芸学校で、高校生くらいの年齢の生徒たちが学んでいる。

ちょうど学期末で授業はなく、生徒たちは期末課題の制作に取り組んでいた。木彫や織物、伝統刺繍、塑像、仏画などの学科があるが、一番生徒数の多そうなのが伝統的な建築物の装飾画だ。たぶんこれが理由で、『ペインティングスクール』という通称になったのだろう。

こういった工芸品には、制作者の個性や好みはほとんど反映されず、伝統的な規則に正しく従って制作することが要求される。クリエイティブな仏像、なんてものを作ってはいけないのだ。

親方に弟子入りして学ぶ職人もいるのかもしれないが、学校で教えるのには向いているかもしれない。それぞれの工芸品の製作過程がわかるのが興味深かったが、ひと昔前のドラマに出てきそうな『青春』な雰囲気が楽しかった。

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そこから高台にあるラジオタワーへ行って景色を眺め、その帰りに尼僧院に立ち寄った。

小さな静かな僧院で、お堂以外に見学する所もないのだが、普通の住宅のような親密感のある場所だった。チョルテン、お線香の工場、学校と人がにぎやかに動き回っている場所を立て続けにまわった後で、静かに内省的に過ごす時間が取れたのがうれしかった。こういう場所に来た時に、自分の意識を見つめることに遠慮がなくなっていた。そういう無防備な自分を、人に見られるのが嫌でなくなっていた。


思いつき

午前中はこれで十分だった。
ティンプーの街にある、タイ料理のレストランでランチになった。

ブータンでタイ料理というのもおかしな感じだったが、日本にイタリアンがあって米国にインド料理があるなら、ブータンにタイ料理があったっておかしくない。少なくとも、団体の観光客がやってくることはないだろう。ブータンの標準ランチ時間は1時だ。内装にまるで気合の入っていないレストランは、まだほかの食事客がいなかった。いつものようにミルクティをもらい、食事する。

ここで午後の予定を再確認した。

実をいうと、リストに書いてジャムソーに渡した訪問先のほかに、もうひとつ行ってみたい所があった。ブータンの旅行を計画するときにメールのやり取りをした、カルマの職場だ。サプライズで彼のオフィスに立ち寄り、お礼を言ったら楽しいだろうと思ったのだ。ただ、この計画は保留にしてあった。ブンタン以来ジャムソーの調子は今一歩で、カルマと会って旅行の話をした時に、うっかりジャムソーへの不満を漏らしてしまいそうで怖かった。

カルマの肩書きは、取締役だ。
彼にジャムソーの態度を愚痴るのは品位のある行動とは言えない。

カルマに会ったことはもちろんないが、メールでのやり取りから、相当な洞察力のある人物に違いないと感じていた。面と向かって話したら、どういうふうに取り繕っても私の不満を見抜いてしまうだろう。

でも、前夜ティンプーに到着してからのジャムソーには、それまでのおかしなところがなかった。この日の午前中のガイドの仕事もそつがなく、特に不満もなかった。これならカルマに会って話しても、問題になるようなことはないかもしれない。

「これ以外に、行ってみたいところ、ある?」
「…カルマのオフィスに行って挨拶したいけど、カルマはそういう時間は取れるかなあ」
「外出しているかもしれないし、わからないけど、聞いてみる」

食事のあと、ジャムソーはどこかに電話をかけていた。

「カルマが4時半に君とお茶を飲むと言っている。それでいい?」
「うん、ちょっと挨拶するだけだから、ちょうどいい。ありがとう」


【カルマと会う】ブータンについて---22へ続く