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モンガーの町

【トレッキングの終わり】ブータンについて---15から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


 助手席でうたう歌

翌朝、ホテルの人たちに見送られて出発した。過ぎ去ったものに執着するのは意味がないと頭ではわかっていても、トレッキングの日々が懐かしかった。

ブータン滞在はまだ半分残っている。
この半分で、自分が経験できることは何なのか?

ブータンの旅行は移動時間が長い。移動距離は短くても、カーブの多い山道は工事をしている所や路面が整っていないところが多くて、時間がかかる。ネテンはいつも、MP3プレイヤーをカーステレオにつないで音楽を聴いていた。ブータンで流行っている歌なのだろうか、やさしい男性のヴォーカルと過剰に女性的な女性ヴォーカルのデュオで、シンプルなアレンジだ。初めて聞いた時は、ブータンの人はこんなに甘ったるいものを聞いているのかと辟易してしまった。でも不思議なもので、いつも聞いていると好きになる。

歌っているのはマリンサというアーティストで、テレビドラマや映画の主題歌なのだそうだ。退屈しのぎなのか眠気覚ましなのか、ネテンは一緒に歌っていることが多かった。トレッキング以来、私も誰かと一緒に歌うのが習慣になってしまった。でたらめの歌詞でメロディを追って、車に乗っている時はずっとカーステレオと一緒に歌った。気が向くとジャムソーも一緒に歌い、車の中は遠足のバスのようになってしまう。おかげでブータン滞在が終わる頃には、メロディを間違えないで歌えるようになった。

マリンサの歌に混じって、賑やかなインドの歌もあった。ヴォーカルには艶やかなエコーがかかり、まるで風呂場で歌っていようだ。マリンサの歌と比べるとメロディは単純で一回目でもすぐ歌える。そのかわりアレンジは派手で、コーラスや民族楽器やストリングスの輝くような旋律が延々と続く。ヴォーカルの部分は歌えても、インストの部分はお手上げだった。


 コリラの峠

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風の強い場所には、必ず多数のプレイヤーフラッグがある。コリラの峠のプレイヤーフラッグ。


『ラ』、というのは『峠』という意味だ。

トラシガンを出発し、ある時は山の中を、ある時は小さな村を通って、お昼すぎにコリラの峠に着いた。今日の目的地のモンガーはここからもう一息だが、ここで休憩になった。峠には大きなチョルテンが建ち、その傍らにバターランプを供えるお堂と小さな茶店がある。

お茶屋があるのなら、トイレもあるかもしれない。
ジャムソーに聞いてもらった。裏だって、と彼は目で、茶屋の背後の山を示した。

客用のトイレはないらしい。ブータンで旅行していればいつものことで、屋外で用を足すのにすっかり慣れてしまった。でも交通量が少ないとはいえ車の通る道路のすぐ近くだし、絶対見えないような所を探さないといけない。裏山の雑木林の中に入り、足場の悪い斜面をしばらく登った。いちいちこんなことをしているので時間がかかるが、仕方ない。日本の高速道路のPAとは訳が違う。

車まで戻ると、ジャムソーもネテンも見当たらない。

そのうち来るだろうと思いながら、道の真ん中にでんと建てられたチョルテンを見物しに行った。茶店の中から、女性が出てきた。50代後半か60歳くらいだろうか。こんにちは、私の友だちを見ませんでしたか?と英語で話しかけたが、どうやら英語はわからないようだ。こういう時は日本語で話せばいいことを、サクテンの村で覚えた。私は日本語で話しかけた。

「チョルテンの方に友だちがいるかもしれないから、ちょっと見てくるね」

彼女は私についてきた。何か言っている。

「今日はモンガーまで行くんだよ。あっちがモンガーだよね?」

モンガーという固有名詞がわかり、彼女が何か話した。

「今日はトラシガンから来たの。途中、小さいかわいい村を、いくつも通った」

彼女は私の手を取って、チョルテンの壁面に描かれた神様の絵のところまで連れて行った。

「ああこれ、それぞれの方角の神様でしょう。どの神様がどっちの方向か忘れちゃったけど」

方向の神様だから、神様の絵は東西南北4つある。彼女は私に、その絵をひとつひとつ見せて神様の名前を説明する。

「ええとお、この神様の名前は、何ていうの?」

身振りを交えて話し続けた。そのうちジャムソーとネテンが戻ってきた。ネテンはバターランプのお堂に行き、ランプをお供えするようだ。彼女と私も、お堂へ行った。

女性はこのランプ堂を守っているのだろうか?

風の強いさみしい峠でバターランプの堂守をする生活はどんなものなのか。

想像もつかない。

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バターランプは人間の心の暗い道を照らすのだと教えてもらった。だから機会があれば、私も供えるようにしていた。このお堂のランプはひとつ10ニュルタムだという。

お金を払ってランプに火を灯した。
4年前に亡くなった人の心の闇を今から照らすのでは、手遅れだとは思ったが。

お供えが終わると、彼女はまた私の手を取って、小さな茶屋の中に置かれたベンチに座るように促した。すぐ隣に座ると、彼女の身体はとても小さかった。手にもあまり力がない。こんなに儚い感じの人が、こんなさみしい所に住んでいて大丈夫なのだろうか。

一緒に写真を撮り、名前を聞いておこうと思った。いつも持ち歩いている日記帳を開いて、彼女に言った。

「ここに名前を書いてくれますか?」

すぐ隣にいたジャムソーが通訳してくれるものと思っていたのだが、彼女の代わりにジャムソーが私に答えた。

「…彼女は字が書けないんだ。代わりに僕が書くよ」

彼は彼女に名前を尋ね、私のノートにペマ・チョデンという名前を書いた。

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ぺマ・チョデンがジャムソーに何か言っている。
ジャムソーは、当惑したように私の方を向いた。

「彼女、君の電話番号を教えてくれって言ってる…友だちだから、って」

私は小さな紙に自分の電話番号を書いて、ペマ・チョデンに渡した。


 モンガーの町で

モンガーに到着し、ホテルで遅い昼食になり3人でテーブルを囲む。旅行ガイドブックにも「特に見るべきものはない町」と紹介されているモンガーは、取りえのない田舎の町だ。でも私は、こういう、観光客が泊まらないような町に滞在して、何もないとわかっていながら町の中を歩くのも好きだ。

ただ今回、それとは別にモンガーですることがあった。ラチュを買わないといけないのだ。キラを着てゾンを見学する時には、ラチュが必要だ。これがなくて、トラシヤンツェのゾンを見学する時は守衛さんに特別に許可をもらわなければならなかった。

食事が終わると、ジャムソーとラチュを買いに出かけた。ブータンの女性なら誰でも必要な物だから、衣料店に行けば売っているだろうと思ったが、不思議なことにどの店にもなかった。一体みんな、どこでラチュを買うのだろう?ジャムソーがあちこちで尋ねて、結局普通の雑貨屋で買った。濃いえび茶色の地に模様を織り込んだ、なかなかきれいな品物だ。

ラチュを手に入れると、その足でモンガーのゾンへ向かった。

モンガーの町は小さい。商店の並ぶ中心街からゾンまで徒歩で3分もかからなかった。モンガーのゾンでは近いうちにお祭りがある。その祭りを見ることができないのは残念だったが、お坊さんがゾンの中庭でお祭りの踊りを練習しているのを見ることができた。

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まだ子供といってもいい年齢の若いお坊さんたちが、紅い衣を翻して、時にはしゃがみ、時には横に大きくステップしながら、手に持った太鼓を叩き旋回する。

もうひとつの中庭に行くと、町の人たちが世俗的な踊りを練習していた。

男性と女性のグループに別れ、時にはペアになって踊る。踊っているのは20代くらいの若い人たちで、お遊戯のようなかわいらしい振付だった。

ゾンを見学してしまうと、あとはもう見るものがなかった。

でも、何もなくても、ぶらぶら歩いているだけでくつろいだ気分になれる静かな町だった。時間はあるし、やらないといけないこともない。ちょうど下校の時刻で、制服を着た女の子、男の子がそれぞれグループになって学校から歩いてくる。通学路の横にあるプレイヤーホイールでは、年配の男女が倦むことなくホイールを回しつづけ、ホイールが回るたびにチーンという鐘の音が聞こえてくる。

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5分も歩けばもう町外れで、小さな市場があった。通りをはさんだ向かいに空き地があり、どうやら公園のようだ。公園の中に、公民館のような建物が何棟か建っている。

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 図書館のブッダ

建物の中をのぞいてみた。本棚とテーブルがいくつも置かれ、人のいる様子がなかった。図書館なのだろうか。入り口はどこなのだろう。この建物を見ていく、とジャムソーに言うと、閉まっているよ、と気乗りしない返事が返ってきた。でも、どうせ時間はあるのだ。私は建物の反対側に回った。そこが入り口で、『モンガー図書館』という看板がでている。ドアは開いていた。

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中には誰もいないと思ったが、入ってすぐの受付カウンターに女性の職員がぽつねんと座っていた。見学してもいいですか、と聞いたら、どうぞ、と快く承諾してくれた。

ジャムソーは、さっそく職員のお姉さんとおしゃべりを始めた。私は小さな図書館の蔵書を見て回った。ブータンの学校は、英語で授業をする。図書館の蔵書もほとんど英語の本だった。一番多いのが学習参考書。その次が宗教関連の書籍で、やはり仏教に関連する本が圧倒的に多い。ゾンカ語で書かれた、小さな子供向けの絵本もあった。お釈迦さまの生涯についての本だ。

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宗教のコーナーで、どこかで見たことがある絵のついた本があった。手塚治の『ブッダ』の英語版だった。こんなところで日本の著者の本と出会うことができたのが、うれしかった。

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モンガーの町を歩き自分らしく過ごせたという実感が、わたしの気持ちを穏やかにした。

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 ネテンの事業計画

8時、夕食の時間、ホテルのダイニングルームには私たちしかいなかった。トラシガンからブンタンまで一日で移動するには距離が長すぎるので途中のモンガーに泊まったのだが、お祭りのとき以外は観光客の立ち寄らない場所なのだろう。

ジャムソーは何か頼むことがあるようで、ホテルのキッチンへ行ってしまい、いつまでも戻ってこない。きっとまた、ホテルのスタッフとおしゃべりを楽しんでいるのだろう。ダイニングホールのテーブルに座ったまま、ネテンとふたりで取り残された。ジャムソーがいないと、ネテンもおとなしい。何を話そうか。

ネテンは、自分で事業を起こす計画を持っている。
ジャムソーとカルマには内緒だ言われていたが、私がインターネットに旅行の話を書くとき(つまり、この連載だ)、そのことを書いてもいいかと聞いたら、OKの返事だった。

だから、書いてしまうが、自分で旅行代理店を立ち上げたいのだ。
もう必要な手続きはすべて完了している。

ネテンは普段ツーリスト相手のドライバーをしているから、ツーリストが立ち寄るホテルやワークショップや工芸品店のスタッフとは顔見知りだ。ドライバーの仕事は大変なので、もうやめたいのだという。ブータンの幹線道路はすべて山道で、道路の設備はよくない。というより、そんなものはない。道路工事や通行止めはしょっちゅうで、長距離を運転するのは体力的に大変だろう。転職したいというのは理解できる。

ネテンは起業意欲が旺盛だ。旅行代理店のほかにも、ホテル相手のサービスなど、あれこれビジネスのアイデアがある。

「事業計画書は書いた?」
「…書いてない。全部自分の頭の中にあるから」

ちょっと甘いかなという気がしないでもなかったが、ブータンにはブータンのビジネス習慣があるのだろう。もし君の友だちが今後ブータンへ旅行するのなら、僕の会社のことを紹介してよね、と名刺をたくさんくれた。日本人にはあまりアピールしない会社名だが、いちおうウェブサイトもある。

ジャムソーがいない時は、ふたりで彼の事業計画のブレインストーミングに熱中した。


【ブンタンへ】ブータンについて---17へ続く