(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
ミクサテンのキャンプサイト
黄色いテントの中には、すでに私のダッフルバッグが置かれていた。いつものように、ギレがテーブルを出して、お茶の用意をしてくれた。霧雨のさみしいお天気で、まだ4時くらいなのにとても寒い。峠から1000メートル下ったとはいえ、ミクサテンの標高は3000メートルはある。こんなお天気で、寒くないわけがない。
ロブザンとドルジの父親が、裏手にある山の斜面を上っていく。何をするんだろうと思って見ていたら、いつも腰に下げている鉈でぱしぱしと木の枝を落とし、あっという間に抱えるほどのそだを集めてきた。桃太郎の話に出てくる、「おじいさんは山で柴刈り」というのはこういうことなのかもしれない。
ミクサテンには、チュウタブタブのような屋根のついたファイヤピットはなかった。そのかわり二部屋の建物があって、右側の部屋が台所になった。小雨が降りだしたので、左側の部屋にテーブルを置いてもらって、懐中電灯で日記を書く。
暗くなる頃、夕食になった。
建物の外のキャンプファイヤを囲んでみんなで座り、小雨の中での食事になった。
食事は私の分だけ金属の容器に入れてテーブルの上に置いてくれるが、この頃になるとそれにも慣れてきて、自分が食べる分だけ取って、あとはみんなに勧めて食べてもらった。
この日は、テントで寝るのは私だけだった。
他の人たちは建物の中で雑魚寝だ。
片方の部屋で6人寝られないことはないから、もう片方の部屋を使ったらどうかと聞かれた。テントより建物の方が暖かそうだったが、男性6人が寝ている建物で休むのは気が引けたし、いくら小柄な人たちでもひと部屋に6人押し込んでしまうのはちょっと気の毒だ。それとは別に、みんなが眠った後はいびきですごいことになりそうな気もしたので、テントで寝ることにした。また湯たんぽを作ってもらえばいい。
雨は本降りになってきた。
ここが雨なら、ナチュングラの峠はきっと雪が降っているだろう。早々にテントに引き上げて休んだ。
サクテンへ
翌朝、相変わらず霧が深かったが、雨は上がっていた。雨中の撤収にならなくてよかった。今日の歩行距離は昨日と同じくらいだが、標高差はあまりない。ゆっくり出発して大丈夫だ。朝食のあと装備をパッキングして馬につける。ドルジの父親は飛び入り参加なのに、まるで最初からトレッキングのメンバーだったかのように、鮮やかな手つきで手伝っていた。ロブザンもそうだが、無駄のない動きで、重たい荷物をあっという間に馬の背に括りつける。
ミクサテンからしばらくは急な下り坂だ。
前傾姿勢になってしまうので怖いのか、荷物を積んだ馬たちはなかなか降りたがらない。その馬たちに、「チョーウ、チョウ!」と掛け声をかけて進むように促す。トレイルから外れてしまいそうな馬がいれば、ピーッと口笛を吹いて軌道修正する。馬と行動するのも4日目で、私も馬がいるときはピーピー口笛を吹きながら歩くようになっていた。
坂を下りきると、小さな川だった。山から集まった水が、小さな流れになっている。流れから顔を出した石を伝って川を渡った。
多少の上り下りはあるが、ここからあとは川からつかず離れずのフラットなトレイルが続いた。霧に包まれた森が水墨画のようだ。いつものように馬たちは先に行ってしまい、ジャムソー、ドルジ、リンチェン、私の4人で歩いた。水墨画状態の草原でお茶休憩。さらに進むと道は上り坂になり、小さな峠を越えた。峠の向こうに視界が開け、ずっと遠くに四角い石英のカケラをばら撒いたような集落が見えた。サクテンの村だ。
すぐ近くに見えたけれど、峠からサクテンまで1時間以上の距離があった。サクテンを望む山の斜面で昼食になった。いつものように、リンチェンがバックパックから大きな保温容器と魔法瓶を取り出した。この日はリンチェンは、なんだかおとなしかった。ギレは馬と先に行ってしまったので、一人じゃ歌う気にならないのかな、と思った。
昼食を食べた場所から緩やかな斜面を下ると、広い河川敷に行きついた。大きな石がごろごろ転がる河原のあちこちに水が流れている。大きくて深い流れは、渡れるように丈夫な木の板が渡してある。小さな流れは、板はないけれど、流れから顔を出した石の上を歩いて渡れるようになっている。
いくつも流れを渡って村に着いた。
村はずれのゲストハウスに到着したのは午後1時過ぎだった。サクテンには2泊滞在するので、今日あわてて村を見物しに行く必要はない。一度自宅に戻ったドルジの父親が、ゲストハウスまであいさつに来た。ドルジとギレは建物の一室を台所にして、早々と夕食の仕込みを始めた。荷物をおろした馬たちは、ゲストハウスの南側の草地で、いつものようにおとなしく草を食べている。ギレが中庭にお茶のテーブルを出してくれた。ちょっと寒いけど、部屋の中にいたってどうせ寒い。
ジャケットを着て、お茶を飲みながら日記をつける。
サクテンは今回のトレッキングの実質上の目的地だ。外国からいきなりやってきた私は実感しなかったが、ブータンの他の地域とは違う文化のある土地なのだという。
ここからほんの少し東に行くと国境で、その向こうはインドのアルナーチャル・プラデーシュ州だ。サクテンの村でも、学校の教職員などはブータンの公式の衣服であるゴやキラを着ているが、村の伝統的な服装の人の方が圧倒的に多かった。私がリンチェンから借りているヤクの毛の帽子もここの伝統衣装だ。その帽子は、借りっぱなしも悪いと思って、ゲストハウスに着いた時にリンチェンに返した。
メラクのゲストハウスと同様、ここにも電気があった。
私にあてがわれた部屋の中にはやたらたくさんスイッチがあって、どのスイッチがどの明かりのものなのかわからなかった。いろいろ試してみたが、明かりがつかない。ジャムソーに聞いてみようか。
昼食を食べた場所から緩やかな斜面を下ると、広い河川敷に行きついた。大きな石がごろごろ転がる河原のあちこちに水が流れている。大きくて深い流れは、渡れるように丈夫な木の板が渡してある。小さな流れは、板はないけれど、流れから顔を出した石の上を歩いて渡れるようになっている。
いくつも流れを渡って村に着いた。
不可欠で、本質的なこと
村はずれのゲストハウスに到着したのは午後1時過ぎだった。サクテンには2泊滞在するので、今日あわてて村を見物しに行く必要はない。一度自宅に戻ったドルジの父親が、ゲストハウスまであいさつに来た。ドルジとギレは建物の一室を台所にして、早々と夕食の仕込みを始めた。荷物をおろした馬たちは、ゲストハウスの南側の草地で、いつものようにおとなしく草を食べている。ギレが中庭にお茶のテーブルを出してくれた。ちょっと寒いけど、部屋の中にいたってどうせ寒い。
ジャケットを着て、お茶を飲みながら日記をつける。
サクテンは今回のトレッキングの実質上の目的地だ。外国からいきなりやってきた私は実感しなかったが、ブータンの他の地域とは違う文化のある土地なのだという。
ここからほんの少し東に行くと国境で、その向こうはインドのアルナーチャル・プラデーシュ州だ。サクテンの村でも、学校の教職員などはブータンの公式の衣服であるゴやキラを着ているが、村の伝統的な服装の人の方が圧倒的に多かった。私がリンチェンから借りているヤクの毛の帽子もここの伝統衣装だ。その帽子は、借りっぱなしも悪いと思って、ゲストハウスに着いた時にリンチェンに返した。
メラクのゲストハウスと同様、ここにも電気があった。
私にあてがわれた部屋の中にはやたらたくさんスイッチがあって、どのスイッチがどの明かりのものなのかわからなかった。いろいろ試してみたが、明かりがつかない。ジャムソーに聞いてみようか。
「ジャムソー、どのスイッチがどの明かりか、わかる?」「今はだめだね。停電してるんだ」
なあんだ、そうだったのか。道理で明かりがつかないわけだ。しかし時間が経って、薄暗くなる頃になっても電気は来なかった。でも、どうってことない。そもそも、電気のない場所で野営する装備で来ているのだ。
ドルジがキャンプ用の蛍光灯を持っているし、みんなそれぞれ懐中電灯を持っていた。私もヘッドランプ型のLED懐中電灯を使っていた。日没後の屋外で日記を書くのに十分な明るさだ。このゲストハウスには、屋根つきの大きなファイヤピットがあって、今日もロブザンが火をおこしてくれた。キャンプファイヤの周りで懐中電灯をつけて食事をする。しばらく暖かく過ごしてから休む。それだけだ。電気はいらない。
…不意に、カリフォルニアの職場のことを思い出した。
勤務時間中の停電は経験したことはないが、コピー機が紙詰まりしたとか、ワイヤレスのインターネットがつながらないとか、そういうテクノロジー系のトラブルがあると、私の小さな職場は大騒ぎだ。誰も彼もがストレスをため込み、「仕事にならない!仕事にならない!」と言い続ける。
彼らにとって、それはあってはならない大事故だ。手におえる範囲なら、私が何とかする。そうでなければITサービスの会社に電話して、あとは待つだけだ。私は不自由な環境で仕事をするのには慣れている。でも他の人たちはそうじゃない。仕事環境に関して非常に繊細だ。
トレッキングが始まって以来、私が感じていたことは何だったのだろう?
この時にはまだわからなかったが、帰国後、ブータンでの経験について人に話したり日記に書いたりしているうちにわかってきた。
人間が生きるために、essentialなことって何なのか?
ブータンの山奥での生活と、カリフォルニアのオフィス環境を同じように考えることはできない。でも、たとえ環境はさまざまでも、ヒトが生命を維持して人間らしく生きるのに絶対必要なことって何なのか?
停電中のサクテンのゲストハウスで必要だったのは、私たちが雨に濡れるのを防いでくれる屋根、寒くないよう暖を取ることができる焚火、身体と気力を維持するための食物、短い会話を交わして一人ではないことを確認する仲間だった。電気はあれば便利だけれど、なければないで何とかなる。
真っ暗になる少し前に、電気が戻ってきた。
ゲストハウスの敷地の中に立つ屋外灯に、弱々しいオレンジ色の光が灯った。
外を歩くとき足元が見えるのはやはり便利だった。
【二度と会わない人たち】ブータンについて---12へ続く