(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
村人の帽子
夜よく眠れないのは相変わらずだった。
これはどうにも解決しようがないが、もうそろそろきちんと眠らないと体力が続かないかもしれない。
翌朝起きたとき、そんなことを考えた。
ちゃんと眠っていた訳じゃないから、起きるのは簡単だ。着替えて洗面して、いつものように瞑想した。困るほどではないが、少しだけ頭が痛い。歩けないことはないだろうけど苦しい一日になるかもしれない。今日の歩行距離は14キロ、そんなに長くない。でも上り600メートル、下り1000メートルの標高差がある。今日はちょっときついかも、とジャムソーも言っていた。
ギレがストーブの前にテーブルを出し、お茶の支度をしてくれた。ドルジが用意してくれたオムレツ、シリアル、トーストで朝食にする。テントの撤収がないので、朝のパッキングはそんなに手間がかからない。ゲストハウスの前庭でみんなが馬の背に荷物を取り付けるのを眺めていた。
ジャムソーが帽子をかぶっていた。この地方の村の人、特にサクテンの人が使う、ヤクの毛でできた黒いフェルト帽だ。帽子の縁から触手のような毛束が5本生えている。
「どうしたの、それ」「リンチェンから借りた。かぶってみる?」
帽子を借りて、頭に載せた。
村での厳しい生活に立ち向かえない者はこの帽子をかぶってはいけないように感じて、気持ちが引き締まる。これをかぶっているあいだ、中途半端なことはできない。
「……サクテンの村の人みたい」
これはたまたまだが、私の顔立ちは東ブータンのこの地方の人たちと、どこか似たところがあった。身体の大きさも同じくらいだった。夏の間じゅうカリフォルニアの海岸でランニングしていたので日に焼けて、屋外で仕事をすることの多い村の人たちと同じような肌の色になっていた。
帽子をかぶって馬の横に立つ私の写真を、ジャムソーが撮ってくれた。
そのあいだ、馬が動きだした。
そのあいだ、馬が動きだした。
「テシ!(止まれ)」
思わず口から出た。
ゾンカ語なんだかこの地方の人が話すブロクパ語なんだか知らないけれど、馬を止めるときの言葉だ。そして馬は、本当に止まってくれた。
ゾンカ語なんだかこの地方の人が話すブロクパ語なんだか知らないけれど、馬を止めるときの言葉だ。そして馬は、本当に止まってくれた。
この日一日、そして翌日も、この帽子をかぶって歩いた。
チャー、チー
メラクの村を出発してしばらくするとトレイルは上り坂になる。青い空の下、平原のかなたにメラクの村が見える。だるいとか気持ち悪いとか、そういうことはなかったが、昨日までと比べて歩くペースがあがらない。寝不足だからだろうか。
馬を連れたロブザンに追い抜かされたあたりで思い当たった。空気が薄いせいだ。標高は4000メートルに近くなっていた。今までこんな高所を歩いたことはない。ゆっくり歩かないと高山病になるよ、とジャムソーが言う。ゆっくりも何も、この速さでしか歩けない。弁当の入ったバックパックを担いだリンチェンとジャムソーが一緒に歩いてくれた。
さらに登るとトレイルは大きく左に曲がった。メラクの村も見納めだ。そして標高があがるにつれて、霧が深くなってきた。森林限界を超え、あたりは草原だ。リンチェンはトレイルを外れ、見晴らしのよい草原を上っていく。バックパックを降ろし、こちらを振り向いて、「ティー」と叫んでいる。何だかうれしそうだ。「お茶休憩だよ」とジャムソーが言った。ああそうか、ティー、お茶を飲んで一休みだ。
草原に腰を下ろす。リンチェンがバックパックから魔法瓶を取り出して、プラスチックのマグにミルクティーを注ぐ。
「チャー、チー(お茶をひとつ)」「カディンチェラ(どうもありがとう)」
これくらいのゾンカ語ならしゃべれるようになっていた。ミルクティーには嫌味にならない程度に砂糖が入っている。寒い山を歩く時、最高のエナジードリンクだ。暖かいお茶を飲んで元気を取り戻した。今回のトレッキングの最高地点、ナチュングラの峠まであと少しだ。
ドルジの父
早く歩こう、などともとより思っていない。
深い霧の中、森林限界を超えた植生の間を歩き続け、現実離れした風景を味わった。自分が何のためにどこへ向かって歩いているのか、わからなくなりそうだ。
まだ11月なのに、トレイルの所々に雪が残る。しばらく行くと真っ白な霧の中に人影が浮かび上がった。私たちの先を歩いていたドルジとギレ、そして見知らぬ男性が二人。町よりも天国の方が近いんじゃないかというこの山の中の、いったいどこから現れたのか。
二人の男性は、ドルジの父と弟なのだという。
弟の方が、この地点の近くに住んでいる。こんな所に住んでいるのか…など、もうそういうことに驚かなくなっていた。何かの修行のために住むような場所だが、やはり必要があってここに住み、普通に暮らしているのだろう。父と紹介された人物はサクテンの村に住み、この峠に住む息子を訪ね、これから村へ帰るのだという。
「君に、ヤクの乳を飲んでほしいと言っている」
これも『もてなし』なのだろう。リンチェンがお茶用のマグカップを出してくれた。それにヤクの乳を注いでもらう。牛乳とよく似た感じだが脂肪分が少ないようで、低脂肪の牛乳に似た口当たりだ。そして食品というよりは動物の乳ということがわかる、かすかなクセがあった。
「カディンチェラ。美味しい」
この地点からサクテンの村まで一日半のあいだ、ドルジの父親がトレッキングのメンバーに加わった。
ナチュングラの峠
この地点からナチュングラの峠まですぐだった。霧の向こうにプレイヤーフラッグが見えてきた。その下に、石を積み上げたストゥーパがいくつも立っている。標高は4000メートルを超える。戻ればメラク、進めばミクサテンを経由してサクテンに行く。どっちもやめて、このまま天に昇ってしまってもよいような場所だった。
峠から少しだけ下った草原で昼食になった。歩くのをやめると寒い。バックパックからジャケットを取り出した。リンチェンが担いできた弁当を分け合って食べる。ドルジの父親が、食べるのを遠慮している。この土地の人たちには、こういう奥ゆかしさがある。自分の息子が用意した料理を食べて、何が悪いだろうか。ジャムソーが食べるように促し、父親も食べ始めた。
食事が終わり、雪の残る山肌を眺めながら歩き始める。
ここから、1000メートルの下りだ。急坂が続き、足場もよくない。こんな急坂、ロブザンと荷物を積んだ馬たちはどうやって下ったのだろう。一歩一歩足場を確かめ、トレッキングポールでバランスを取りながら下らなければならないことも多かった。
そんな道を、弁当箱と魔法瓶の入ったバックパックを背負ったリンチェンと、懐手をしたドルジの父親が、おしゃべりしながら簡単そうに下って行く。ドルジの父はヤクの毛の繊維を巻いたヨコールを持っていて、歩きながら糸を撚っていることもあった。こんな足場の悪い山道で仮に私がそんなことをしようものなら、バランスを崩して転び、怪我してしまうだろう。
トレイルはすぐに森林限界を逆に超え、周りは深い森になった。
ドルジと父親、ギレはあっという間に視界から消えた。
1000メートルだろうがなんだろうが、下りならどうにかなると思っていた。確かにどうにかなったが、彼らと比べると私の歩行スキルは赤ちゃんレベルだった。トレッキングポールを使って自力で降りるのでは時間がかかりすぎる。時には両手をつないでもらって、坂を下り続けた。赤ちゃんというより、老人のようだ。
このとんでもない坂を、下から上ってきた親子連れがいて驚いた。若い父親が1~2才の子供を肩車し、母親は荷物の入った大きなバックパックを背負っていた。サクテンの村を早朝に出発して、メラクまで行くのだ。私たちは途中のミクサテンで一泊だが、この人たちは一日で歩くのだという。カリフォルニアにも子供を連れて山道を歩く家族はいる。でもそれは普通レクリエーションで、生活のためではない。
ミクサテンへの道
急坂はどこまでも続いた。ジャムソーとリンチェンには悪かったが、疲れ切る前に休みを取るようにした。ジャムソーが携帯電話で話している。その携帯を私に手渡しながら言った。
「ネテンだよ」
ネテン?そうだった、ネテン。彼の運転するSUVでサンドゥルップからトラシガンへ行き、ゴンコラの寺やトラシヤンツェを訪ね、ランジュンで別れたのが遠い昔のようだ。まるで生まれた時からこの山の中のどこかの村に住んでいるように感じ始めていた。そうじゃない、私は旅行でブータンに来ているんだ….。
「どーです?楽しくやってます?」
電波の状態はよくない。それでも何とか聞き取れる。
「毎日、信じられないようなことばかり。そっちはどうなの?」「あ~僕?洗濯とかして、ビデオで映画を見てる」
この深い山の中でこんなことを話すと、頭が混乱しそうだった。
「トレッキングが終わったら迎えに行くから。ケガに気をつけて。元気でね~」「カディンチェラ。そっちも元気で」
坂の傾斜が緩くなってきた。
もうそろそろ、下り坂も終わりなのかもしれない。
動物が通れないよう、木の枝でトレイルを塞いでいるところが何か所かあった。この坂の下は、放牧地になっている。動物が山に入って迷子にならないように塞いであるのだろう。さっきの親子連れのように、こんな山奥でも村人の行き来がある。時には木の枝がどかされたまま、動物が通れそうになっている所があった。
重たいバックパックを背負ったリンチェンは、大きな木の枝を引きずって、そういう場所をいちいち塞ぎなおしていた。馬を連れて歩くのが仕事だから、どれくらいの高さにどれくらいの隙間があれば動物が通れるのか、行方不明になった動物を探すのがどれくらい大変か、よくわかるのだろう。
荷物を背負って、他人のペースに合わせてあんな坂を下れば、彼だって疲れていないわけはない。でも、知らない他人のために何かする時には、何かを犠牲にしないといけないのかもしれない。
自分は損をしない、できることだけやればいい、それだけじゃあ、充分とはいえない。
この厳しい環境で生きる人たちは、骨身を削るような行為でお互い支えあっているのだろう。
坂が終わり、トレイルはヤクの放牧地の中を通って続いている。
あいかわらずの霧で、時間の感覚だけではなく距離の感覚もおかしくなってしまいそうだ。
リンチェンは、もう僕がいなくても大丈夫だよね、と言わんばかりに、ペースを上げてトコトコ歩き出した。彼の姿は、あっという間に放牧地のかなたの小さな点になってしまった。私は疲れたという自覚はなかったが、ジャムソーが話しかけてもあまり返事しなくなっていた。
「あれっ、どーしたの。いつもみたいに『ハイ』って返事しないの?」
ジャムソーが、からかうように言う。
私の脳のOSは間違いなく日本語100パーセントだ。名前を呼ばれると、何語で話していても日本語で「はい」と返事をしてしまう。空手道場や瞑想センターのキッチンで、私が「はい!」と返事するのを聞いたことがある人は多いはずだ。トレッキング中も「はい」を連発していた。
でも今は、名前を呼ばれても「…はーい」と生返事をするだけになっていた。認めたくないが、やはり疲れていた。脚が痛いとかだるいとか、そういうことにならなかったのはありがたかったが、歩く以外のことをする気にならない。
眺めているだけで意識がもうろうとしてしまう霧の中を、できる限り体力を節約して歩き続けた。
「大丈夫~?(笑)」
「ほら、何かいいものが見えるでしょ」「何?どこに?」「あそこ。黄色いモノ」