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遠くにメラクの村が見える。

【朝】ブータンについて---08から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

メラクのゲストハウス

この日はキャンプではなく、村のゲストハウスに宿泊した。旅行者のために建てられた村営の宿泊所、といった感じの施設だ。この地域を移動する地元の人たちは、どこの村にも親戚や知人がいて、夜は家に泊めてもらうのが普通だ。そしてそういった知人のない人や私のような旅行者がこのゲストハウスを利用する。

いちおうは電気があり、私にあてがわれた部屋には簡単ながら寝台、それにトイレもついていた。建物の間取りの中央、リビングエリアには薪ストーブが据えられ、さっそくロブザンが火を入れた。電気のコンセントはすぐに、みんなの携帯電話のアダプタでいっぱいになった。

馬から降ろしてもらった荷物を部屋に運び込み、一息ついた。

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他のみんなもくつろいだ雰囲気だ。電気もストーブもあるから、今日は日没後も明るく暖かく過ごすことができるだろう。小さな建物の中を探検してしまうと、外に出た。ロブザンが馬の世話をしている。この頃になると、英語を話さないクルーとも意思疎通できるようになっていた。

英語は確かに便利だ。
でも、ここには英語が母語である人間は誰もいなかった。

私にとって英語は第二外国語だ。ジャムソーは英語でしゃべるのが仕事のようなもので、実際何でも英語で話せたが、当然ながらゾンカ語の方が話しやすそうだった。

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ロブザンと

私は日本語でロブザンに言った。

「アジャ、一緒に写真を撮ろう」

 ジャムソーがいたので、彼にカメラを渡して、日本語で言った。

 「アジャと写真を撮る」

 ジャムソーは写真を撮ってくれた。何も聞き返さなかった。
 まるで、日本語がわかるみたいに。


メラクの村

まだ午後3時くらいで、暗くなる前に村を見学しようと思った。こういうことを説明するのは、英語の方が便利だ。英語でジャムソーに言った。

「暗くなる前に、村を見物しに行ってくる」

犬がいて危ないから自分も行く、と言ってジャムソーは出かける支度をした。ドルジとギレも加わり、4人で出かけた。まだ日没まで間があるのに結構寒い。メラクは標高3500メートルくらい、寒いのも当然かもしれない。4人とも防寒してゲストハウスを出発した。

出発した、と言っても村はとても小さい。何しろ自動車のない村だ。ぽつんぽつんと、あるいは密集して建つ家のあいだを、細い道がくねくね通っているだけだ。どこかに行けば何かがある、という訳でもない。どこへ行っても民家だけで、特別なものは何もなさそうだ。でも、しばらく行き当たりばったりに歩いたら、小さなお寺があった。お参りしている人は誰もいなかったが、境内で子供たちが遊んでいる。

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ドルジがスマートフォンを取り出した。ネットにはつながっていないようだが、ドルジはスマホが大好きで、何でもかんでも写真に撮っていた。トレッキング中、私よりたくさん写真を撮ったに違いない。お寺の境内でも子供たちを並ばせて、写真を撮っていた。ブータン人でこの地方出身のドルジが、そんなことをするのが意外だった。

写真を撮りおわると、子供たちはまた遊び始めた。

ルールのあるゲームをやっている訳でも何でもない、ただ走り、飛び跳ねて、ふざけまわっているだけだ。それだけのことに夢中になれる子供たちが不思議だった。もう赤ちゃんではない、身体が自由に動く年齢になれば、自分の身体を使って可能な動作を全部試してみたいと思うのだろうか。男の子が飛び跳ねて、フィギュアスケーターのように体をひねる。飛び上がった状態で、一回転したいのだ。回転がなんとかさまになると、回転しながら宙を蹴った。どこかでアクション映画でも観たのだろうか。

私は思いつきで、後ろ回し蹴りをやってみた。
身体を回転し反対の方向を蹴る、意外性のある動きだ。

面白がった子供たちが、しばらくのあいだ私たちの後をついてきた。

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何もない村でも、結構見るものはあった。壁に美しい伝統模様をペイントした家屋、お香にするジュニパーの葉を杵と臼で砕き、ふるいにかけて細かい粉にする人たち、ブータン式のダーツ遊びをする男の子たち...。

村をひとまわりしてゲストハウスに戻った。
ドルジとギレは夕食の支度、私はストーブの横で日記を書いた。


訪問者

外がすっかり暗くなる頃、夕食になった。みんなストーブの周りに座り、食べ物を分け合う。私は一人で住んでいるので、食事もいつも一人だ。それがいやということはなく、むしろ一人で気兼ねなく食べる方が好きかもしれない。でも一緒に歩く仲間と食べる食事は、ただ単に楽しいというより、心の休まる時間だった。トレッキング中に書いた日記にこんな文がある。

「考えてみれば、こんなふうに『仲間』と食卓を囲む機会なんて、普段はない。トレッキングは連続ハイク以上のものだ」

歩いて、美しい景色を眺め、土地の人たちと交流するだけじゃない。たとえ数日のあいだでも、生活をシェアする仲間がいた。これをお金を払うことによって獲得したのだと思うと、割り切れないものはあったけれど。

夕食が終わったあたりで、村の女性が4人訪ねてきた。出発前にジャムソーから説明のあった通り、旅行者にアラを勧め、もてなすために村の人たちがやって来たのだ。

ストーブの前に長い木のベンチがあり、私はそこに座っていたが、子供を連れた女性たちはストーブを囲むように床に座った。私から見れば、彼女たちこそゲストハウスに来た客だ。自分だけ心地よいベンチに座っているのは気が引けた。私も彼女たちと同じように、床に座った。

ベンチの一番端に腰かけたジャムソーが、彼女たちの話を通訳してくれた。

「君はゲストなのに床に座っているのはおかしい、と彼女たちは言っている」

でも一人だけベンチに座っていると、私の目線は彼女たちの目の高さよりずっと上になってしまい話しにくい。同じように床に座って話したい、と言ったら、ジャムソーがベンチの上に座布団代わりに載せてある敷物を床の上に敷いて、その上に座ればいい、と提案した。その通りにして、ようやく彼女たちも納得した。

さて、何を話そうか。

恥ずかしがっているのか、彼女たちは特に私に聞きたいこともないようだ。形式上は私がもてなしを受ける側だが、何か面白い話をすることを期待されているのは明白だ。アルコールが入れば、少しは話しやすい気分になるだろうか。勧められるままに、アラをいただくことにした。土地の人が家庭で作る、お米のワインだ。

アラをいただきます

と言ったら、いつもお茶を飲むのに使うプラスチックのマグカップになみなみと注いでくれた。うわ、こんなに飲めない。飲みきれなきゃ、残してもいいのかも。ひとくち飲んでみた。日本酒と似た風味だ。ただ、アルコール度は日本酒よりずっと低く、口当たりが軽い。

とりあえず、彼女たちのことを聞いてみよう。子供は何歳なの? 

ジャムソーが通訳した。自分の話が男の声で通訳されるのはおかしな感じで、しばらくのあいだ慣れなかった。それから、通訳を介して話をする時、気をつけないと通訳者のほうばかり見て話をしてしまう。私は自分が通訳をしていたからわかるのだが、話している相手ときちんとアイコンタクトしないと、気持ちの通った会話にならない。意識的に彼女たちのほうを向いてしゃべるようにしたが、なかなか難しい。

若いふたりの女性たちは高校生くらいの年齢かと思ったら、もう20代でそれぞれ既婚だという。それより年齢が上のふたりも、見かけはおばちゃんだが、話し方や仕草がとてもかわいらしくて、若い娘のようだ。この村では女性たちは可愛がられ、大切にされているに違いない。

若い彼女たちに、だんなさんはどんな人?優しいの?と聞いてみた。ジャムソーがゾンカ語に通訳すると、彼女たちは困ったような顔でジャムソーに何か言った。それを聞いたジャムソーは自分も困った顔になり、こう言った。

「...そんなことは恥ずかしくて、答えられないと言っている...」

そんなに恥ずかしいことを聞いたつもりはないのだが、これで場の雰囲気がほぐれ、トレッキングの仲間も会話に加わってあれこれ話し始めた。話が興にのり、土地の言葉で話しているようだ。ブロクパ語だろう。土地の言葉になってしまうと、ジャムソーにはわからない。ドルジやリンチェンに手伝ってもらってゾンカ語に通訳してもらい、それを英語に通訳してくれたが、もう土地の人どうしで勝手にしゃべってもらうことにした。

しゃべっている途中で私に聞きたいことがあると、女性たちはゾンカ語でジャムソーに話した。そうするとジャムソーが英語に通訳する。私が、ヨコールで羊毛を紡ごうとしてうまくいかなかった話をすると、彼女たちは機織りの話を始めた。みんな自分の家で布を織っているのだ。

一番年嵩のリーダー格の女性が、紅い布を取り出した。ジャムソーが言った。

「彼女は売るための品物を持ってきている」

見せてもらった。

長さが3メートル以上ある、柔らかなジーンズのようなしっかりした生地だが、素材はシルクだ。生シルク raw silk といって、蚕の繭から成虫が羽化するのを待ち、空っぽになった繭をシルク用のヨコールで紡いで糸にする。

生ではない普通のシルクは、成虫が羽化する前に繭を鍋に入った湯に入れて加熱して繊維を取るのだが、ブータンでは殺生は仏教の教えに反するという理由で、成虫が羽化するのを待って繊維にするのだ。紡いだ糸は植物などの染料で染め、その糸で布を織る。毎日朝食後から夕食の時間まで織って、一反の布を完成させるのに一週間かかるという。工場で紡績した糸を機械で織った布と比べると、信じられないような手間がかかった布だ。

辺り一帯の土地ではこの布を2枚接いで、女性用の貫頭衣を作る。メラクの村でも、次に訪れたサクテンの村でも、この紅い貫頭衣を来ている女性は多かったが、他の村や町で見かけることはなかった。

このときは、布がどれくらい珍しいものなのか判断できなかったが、白い縞模様の入った明るいエンジ色の布は、地味だけれどいつも近くに置いておきたいような魅力があった。目の前の彼女が糸をつむいで染色して織ったと思うと、その手作業がいとおしかった。

「こういう色、大好きなの。しっかりした生地なのに柔らかいし、ショールみたいに使ったらすてきだと思う。一枚だけ買いたいけど、いい?」

値を聞くと、なかなかの価格だった。よそゆきの服を作る布ではなく、村の女性たちが毎日着る服を作るのだが、クオリティのある布だ。決して「安物」ではない。日本でも米国でも、品質のよい工業製品が手ごろな価格で手に入る時代になったが、そういった品物と比べるとずいぶん高かった。でもその布を作る時間と手間を考えると、妥当だと思えた。

豊かさって何なのか。損とか得とか、そういうことは何を基準に判断されるのか。
お金を払って、その布は私のものになった。でも、お金だけで品物をやり取りするのはいやだった。

「名前を教えて。そうしたら、この布を友だちに見せるときに、あなたが織ったって言えるから」

彼女はチョデンという名前だった。機織り歴は、35年。

さっき確か、この土地の女たちは5歳くらいから機織りを始める、という話があった。ということは、チョデンは40歳くらいなのだろうか。蚕を飼っているのかどうか聞いてみたが、シルクはトラシガンで仕入れたのだという。距離は大したことないのかもしれないけれど、ここからトラシガンへ行くのは大変だ。私がトラシガンを出発したのは昨日の朝だ。ランジュンまではSUV、チャリングまでは乗り合いタクシー、そこから歩いて、チュウタブタブで一泊して、今日の午後やっとメラクに着いたのだ。

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左端がチョデン。彼女が着ている服も、手織りの布です。

トラシガンの蚕の繭はメラクの村に運ばれ、チョデンがそれを糸に紡いで、染めて、布に織った。それは私のものになり、今はカリフォルニアの自宅にある。

ここの気候はあんなにしっかりしたショールが必要なほど寒くない。

それでも冬のあいだ、瞑想する時に膝や腰を覆うのにちょうどいい。使わない時はソファにかけてある。手で織った、と知っているからなのかもしれないが、単純なデザインなのに存在感のある布だ。見るたびにあの夜のことと、素朴でかわいらしいメラクの女性たちのことを思い出す。


静かな夜

彼女たちは1時間半くらいゲストハウスにいただろうか。会話が途切れないよう、気を使った瞬間もあった。でもトレッキングの仲間たちも話の輪に加わって、和やかに過ごすことができた。子供たちが眠くなる時刻になり、彼女たちの夫が迎えに来た。そろそろ潮時という雰囲気になったので、両替しておいたお金を渡した。小さい封筒に入ったそのお金を、彼女たちはそれぞれ両手で受け取り、楽しかったと言って帰って行った。

静かになったゲストハウスのストーブの前で、日記を書き始めた。

昨夜はチュウタブタブのキャンプサイトで、みんな真夜中まで話し込んでいるのが聞こえたが、今日はなんだか静かだった。ベンチの端にぽつんと座ったジャムソーが、携帯電話をいじっている。

「今日はトランプやらないの?」
「やらない。みんな出かけたから」
「出かけた?どこへ?」
「女の子と遊びに行っちゃった」

どういう意味なのか推測しかねたが、土地の言葉を話さないジャムソーだけ仲間外れになってしまったのだろうか?それとも、ガイドという立場上、担当している旅行者をほったらかして出かけることができなかったのだろうか?ひょっとして、その両方なのだろうか?

私は一人でよかった。
一人なら、はじめから仲間はずれの心配なんてない。
 
「ジャムソーが残ってくれてよかったよ。ジャムソーも一緒に出かけちゃったら、何が起こったのかわからないだろうから」