【トレッキングの始まり】ブータンについて---06から続く
(本文、画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
日記をつける仕事
キャンプサイトにはすでに複数の緑色のテントが張られていた。調理作業やクルーの食事に使うテントだ。みんなどこで寝るのかと思ったが、クルーはその同じテントで寝るのだという。私にはゲスト用の黄色いテントを張ってくれた。二人用のテントを一人で使うので、十分な広さだ。そこから少し離れたところに、草色の小さなテントが張られた。これはトイレで、ゲスト専用だ。
荷物を下ろした馬たちは、広いキャンプ場に散らばっておとなしく草を食べている。首につけたベルがチリンチリンと鳴るだけで、とても静かだ。
私のテントの近くに、ギレが折りたたみのテーブルとイスを出してくれた。昼食の時と同じミルクティーの入った魔法瓶、マグカップ、そして皿の上には丁寧にビスケットが並んでいる。一人でくつろいでしまうのは気が引けたが、クルーを手伝うのもやりすぎだと思い、ダッフルバッグから日記帳を取り出し、テーブルで日記を書き始めた。
静かな草原に置かれたテーブルで、温かいミルクティーを飲みながら日記をつける。こんな贅沢な環境で日記を書いたことは今までなかった。
キャンプ地ではクルーはそれぞれ役割分担があったが、ゲストは何もすることがない。カップル、あるいは家族や友人との旅行なら、キャンプ地では仲間同士で過ごすのだろう。私は一人旅なのでそういう楽しみはなかったが、キャンプ地にいる間は日記をつけるのが私の仕事になった。
日没が近づき寒くなってくると、ロブザンが火をおこしてくれた。
そのキャンプファイアの横にテーブルを移動して、防寒用のジャケットを着て、日記を書き続ける。
キャンプ地の夕食
日が暮れてすっかり暗くなった午後6時、夕食になった。
ドルジは小さなソーラーパネルのついたキャンプ用の蛍光灯を持っていた。トレイルを歩くあいだパネルをバックパックに取り付けて発電・充電しておけば、暗いながらもキャンプ地の常夜灯として使うことができた。寒いので、みんなキャンプファイアの周りに集まった。ファイアピットを覆う東屋の柱に、ドルジが蛍光灯を取り付ける。食事ができる程度には明るくなる。
私の食事は、昼食の時に使った金属の丸いふた付き容器に入れて、テーブルの上に用意してくれた。ふた付きの容器でなければ、寒さですぐに冷めてしまうだろう。
他のみんなは、調理に使った鍋や釜から、直接食べ物をよそって食べている。なかなかワイルドだが、野営地の食事はそんなものだろう。昼食の時と同様、フォークを使っているのは私とジャムソーだけで、他はみな指で上手に食べていた。
夕食のメニューは圧力釜で炊いたご飯、しょうがとトマトの入ったチリのスープ、ブロッコリー、牛肉と野菜の炒めものに、ほうれん草とその他の野菜の炒めものだった。
キャンプ用に持参した調理器具だけでこれだけの品数を用意するのは大変だ。ドルジもギレもよほど慣れていて、手際がいいのだろう。
楽しい時間(キャンプファイア)
これまで食事のとき、ジャムソーとネテンはよくしゃべるなあと思っていたが、彼らだけが特別ではなかったようだ。他のトレッキング・クルーたちも社交的で、おしゃべりして過ごすのが大好きだった。この夜もみんなよくしゃべっていた。ジャムソーもゾンカ語で心置きなくおしゃべりを楽しんでいる。トランプを取り出して、ああだこうだとカード当ての手品をやったあと、少額のお金をかけて真剣勝負のカード遊びに興じている。そして、その合間合間に、各人が自分の携帯電話をチェックする。
これは意外だったが、トレッキングのメンバーで、電話を持っていないのは私だけだった。受信状態はあまりよくないようだったが、こんな山の中でも携帯の電波が届いた。ランドラインの電話があまり普及していないことと、ブータン人のおしゃべり好きを考えると、この土地での携帯電話の普及は当然かもしれない。
また、村の人たちは、ときに丸一日も山道を歩いて町まで出かけてゆく。女性だけで行くことも珍しくない。携帯電話があれば安心できる、という事情もあるだろう。キャンプ地でも、いつも誰かの電話に着信があった。「アロウ!」と言って電話に出て、そのあとの会話はゾンカ語やブロクパ語だ。
キャンプファイアの近くは暖かい。私は蛍光灯の光で日記やポストカードを書きながら、彼らの団らんを横目で見物した。もうだいぶ遅くなったが、みんないっこうに寝る様子がない。ロブザンだけが、キャンプファイアの横にブランケットを広げ始めた。ロブザンはテントで寝ないのだろうか?
ロブザンはここで寝るの?とジャムソーに聞くと、そうだと言う。小説などで野営の時に火のそばで寝るという描写が時々あるが、実際にそんなことをする人を見るのは初めてだった。彼にとっては、テントの中よりキャンプファイアの横の方が快適なのだろうか?
久しぶりのキャンプで、とても熟睡できるとは思えなかったが、彼らの夜更かしに付き合っていてもしょうがないので、テントに戻って休むことにした。ゴムでできた丈夫な水枕にお湯を入れた湯たんぽを用意してくれて、ありがたかった。その湯たんぽを抱いて寝袋に入った。
ここでは、みんなが寄ってたかって私に親切にしてくれる。
まるで年寄りになったような気分だった。
トレッキングの費用は全部私が払っているので当然なのかもしれないけど、「全部自分が払った」こと自体なんだか信じられなかった。どちらかというと、彼らのトレッキングに私が便乗しているような気分だった。
キャンプファイアの周りの話声は、夜半になってもまだ続いていた。
その合間に、ロブザンのいびきが聞こえた。
さらに時間が経ち、みんなの声がしなくなくなってしまうと、あとは草を食べる馬の首につけたベルが遠くで、あるいは近くで、チリンチリンと鳴るのが聞こえるだけだ。馬は眠らないのだろうか。私のテントのすぐ近くで物音がすることもあった。馬の体重を乗せた重たい蹄が、草の根を引きちぎって地面に食い込む音。馬の口が草を捉え、引きちぎる音。多分、私の頭からそんなに遠くない所で草を食べているのだろう。他には、何の音も聞こえなかった。
【朝】ブータンについて---08へ続く