Bhutan-19

【トラシガンとトラシヤンセ】ブータンについて---05から続く
(本文、画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


手に負えないくらい、大げさなこと

朝8時、ホテルを出発した。ネテンはいつものようにゴを着ているが、ジャムソーと私は山歩きの服装だ。車は収穫のすんだ水田の間をくねくねと延びる道路を進んでいく。


「僕トレッキング好きだなー。健康的だし、身体が軽くなるしで。最近体重も増えたし、ちょうどいいや」


ジャムソーがのんきなことを言っている。ガイドの仕事でトレッキングするので、慣れているのだろう。私はというと、どれくらいキツいものなのかまるで見当がつかず、最後まで歩ききることができるかどうか不安だった。歩き始めたら、歩くしかない、と自分に言い聞かせる。

小一時間のドライブで、ランジュンという小さな町に着いた。通りの両側に並んでいる伝統的な家屋がかわいらしい。ほとんどの建物が商店兼住宅で、人通りも多く賑やかな雰囲気だ。今日は釈迦入滅の祝日なのだという。学校も休みで、学齢期の子供たちが連れだって、楽しそうに歩いている。

くたびれた感じのピックアップが私たちを待っていた。ランジュン周辺の村を行き来する、乗り合いタクシーだ。ネテンがSUVのトランクから私のダッフルバッグを取り出した。「(トレッキングに)持っていくのは、これだけ?」

その荷物をピックアップに積み込む。私とジャムソーもピックアップに乗り込んだ。

「ネテン、それじゃ、一週間後に」
「うん、気をつけて。楽しんで!」

ネテンはSUVを運転してトラシガンへ帰って行った。私とジャムソーを乗せたピックアップは、ゆらゆら揺れながら未舗装の山道を登っていく。ブータンで『クリスマスフラワー』と呼ばれる赤い葉のポインセチアの生け垣や、ピンク色の花の咲くソバの畑のあいだを通り、一時間ほどでチャリングという集落に着いた。道路から脇に入ったところに幼稚園の運動場くらいの広場があった。ピックアップはそこで止まった。ジャムソーが言った。

「お、もう荷物と馬が来てるよ」


Bhutan-20
Bhutan-21


広場には大きなカゴや防水布の袋に入ったキャンプの装備、馬、そしてその間で立ち働く人たちがいた。

私一人のトレッキングのために、手に負えないほど大げさなことが始まっていた!


それぞれの馬の背に、荷物をくくりつける。私の寝袋や着替えを入れたダッフルバッグも、馬が運んでくれる。自分で背負うデイパックの中身はジャケット、雨具、医薬品、折りたたみナイフ、飲料水と貴重品だ。こんなところでパスポートやクレジットカードを背負って歩く自分が間抜けに思えた。

そうこうしているうちに、馬たちに、掛け声がかかった。

「チョウ(進め)! チョーウ、チョッ!」

馬と人間は一列になり、広場の反対側から延びるトレイルを歩き始める。自己紹介も挨拶もなく、なんだかよくわからないうちにトレッキングは始まった。


私と一緒に歩く人たち

この時点では、誰が誰なのか、何をする人なのかさえわからなかったが、歩きながらジャムソーが教えてくれた。

Trek chefはドルジ。つまり料理担当だが、料理をするだけでなく食材やそれ以外のキャンプ装備の管理も彼の仕事だ。アシスタントはギレ。ドルジの手伝いと、キャンプ地での細々とした仕事は彼の担当だ。

ホースマンはロブザンとリンチェン。ホースマンはこの地域では輸送業と考えていいのかもしれない。普段は馬の背に積んだ荷物を村から村へ運ぶのが仕事なのだろう。トレッキングでは荷物のパッキングや馬の世話のほか、ギレと同様にキャンプ地でさまざまな仕事をしていた。

ジャムソーはガイドだが、トレッキング中の仕事はコーディネーターと通訳だ。実際の道はホースマンの方がよく知っている。かれらに私を入れた計6人で出発した。

ロブザンは「アジャ」というニックネームがあり、これは「おじさん」という意味なのだという。ロブザンだけが年長で、確かに優しくて楽しいおじさんみたいな雰囲気があった。ドルジはBhutanというロゴの入ったシャツを着ていて、すぐに見分けられるようになった。ジャムソーと行動するのはもう4日目なので、まあまあ気心も知れる。

困ったのはリンチェンとギレだ。よく似た感じで、初日は区別がつかなかった。本人たちには申し訳ないが、青いゴム長靴を履いているのがリンチェン、紫色のマフラーを巻いているのがギレ、と服装で区別していた。このふたりはとても若くて、高校生くらいにしか見えなかった。私はジャムソーに言った。

「ギレとリンチェンはまだ10代なんじゃない?あんな年齢の人たちがトレッキングの仕事をするのって、普通なの?」
「いや、彼らは体が小さいから若く見えるかもしれないけど、ギレは24歳で、リンチェンはもう27歳なんだよね」

そう言われればそう見えないこともなかったが、確かに彼らは小柄だった。私は身長155センチだが、写真で見るとギレは私より小さくて、リンチェンはそれより少し背が高いくらいだった。彼らだけではなく、ロブザンとドルジも同じくらいの体格だった。西ブータン出身のジャムソーだけがずば抜けて大きい。まるで、小人の国のガリバーみたいだった。

ドルジは30歳前後だろうか。アジャ(おじさん)ことロブザンはいつもニコニコしている。顔つきには『おじいさん』の貫録すらあったが、動作は若い人たちと変わりなく、後ろからだと40歳くらいにしか見えなかった。

Bhutan-22


「ロブザンは何歳なの?」
「63歳」

成程、おじいさんの貫禄があるわけだ。けれど、顔は確かに63歳かもしれないが、ちょっと信じられなかった。

馬は7頭。6人7日分のキャンプの装備と食料を運ぶには、これくらい必要だろう。馬が運ぶのは荷物だけで、人間は歩く。馬といっても実際はポニーで、そんなに大きくない。それに、人間が歩くのがやっとの急坂でもし馬に乗ったりしたら危険だろう。モンゴルあたりの大平原とは事情がちがうのだ。

ブータンで、人間が馬に乗っているのを見たのは一回だけだ。ブータンを離れる前日、観光客の多いタクサン僧院を参拝した。参拝するには車を降りてから1時間半ほど山道を上らないといけないが、標高差が500メートル以上あり、体力に自信のない観光客は途中まで馬に乗ることができる。私が参拝した時、まだそんな年齢とも思えない男女がそれぞれ馬に乗ってトレイルを上って行くのを見かけた。


草原をのぼる道

Bhutan-23

トレイルは見晴らしのいい草原をゆるゆると上って行く。標高2145メートルのチャリングから、上りっぱなしだ。それなりに大変だが、景色が開けているので苦にならない。標高が上がるにつれて、空が曇ってきた。トレイルが雲の高さに届いたのだろう。

こういう景色を、夢の中で何回も見たことがあった。
転生というのが本当なら、私は間違いなく動物だったことがあり、山に住んでいたのだと思う。

夢の中で空は青く、私の目のすぐ下から始まる草原は輝くような緑色で、勾配がきつい。その斜面を上へ上へと登る。それから深い森の中や、ガレキだらけの道を通って、ふつう人間が歩けないような距離を移動しても、ぜんぜん疲れない。夢の中と違うのは空が曇っていることと、私が一人ではないことだけで、あとは同じだった。

さっきまで歩けるかどうか心配でしかたなかったのに、今はここを歩くことが当然みたいに感じていた。
自分が来るべき所に、来ただけなのかもしれない。心配なことは何もなかった。

ゆっくり歩いたつもりはないが、ロブザンが連れた馬たちは先に行ってしまった。ちょっと慌てたが、ジャムソーが急ぐことはないよ、と言ってくれた。

「君のトレッキングなんだから、自分のペースで歩いて楽しんだほうがいい。無理すると、高山病になるよ」

私はどのみち彼らのペースでは歩けなかった。トレッキングのあいだ、ロブザンが先導する馬は先に行ってしまい、私がキャンプ地に着くともう設営が終わっていることが多かった。ドルジとギレも、途中までは私と一緒に歩いても、行程の後半はペースを上げて先にキャンプ地へ行ってしまう。キャンプ設営と食事の支度があるから、もたもたしていられないのだ。最後尾はジャムソーで、私は馬とジャムソーの間ならどこを歩いてもよかったのだが、気がつくといつも最後尾だった。リンチェンが昼食の弁当を運ぶ係だったので、リンチェン、ジャムソー、私の3人で歩くことも多かった。


ランチの時間

チャリングを出発して2時間ほど歩き、見晴らしのよい草原で昼食になった。リンチェンはバックパックから大きな保温容器を取り出した。中に金属の丸い入れ物がいくつも入っている。それぞれご飯やおかずが入っていて、リンチェン、ドルジ、ジャムソー、私の4人で分けた。プラスチックの皿と紙ナプキンが配られる。そしてやはりプラスチックのマグカップに、魔法瓶に入った温かいミルクティーが注がれる。

私は皿に取った食べ物をフォークで食べた。
ジャムソーは保温容器に入っていた金属の入れ物にご飯とおかずを入れて、フォークで食べる。
ドルジとリンチェンはフォークは使わない。皿に取った食べ物を指で食べていた。とても器用で、汚い感じが全くない、整ったマナーだ。

食べ終わり、食器や弁当箱をバックパックに詰めて、また歩き始める。このあたりでもところどころに民家があった。放牧をする人たちが住んでいるのだという。山の中の一軒家に電気があるとは思えず、どうしているのかジャムソーに聞いてみた。電気の届かない家庭には、政府がソーラーパネルを支給するのだと説明された。標高の高い場所は曇り空ばかりで発電量はあまり期待できそうにないが、夜のあいだ電燈を点けるくらいにはなるだろう。燃料は薪を使うのだという。環境保護の見地からどうなのだろう、と気にする人もいそうだが、それ以外の選択肢はない。

そういう時刻なのか、トレイルを進むにつれて霧が深くなってきた。

初日のキャンプ地はドマンチュウの予定だったが、その少し手前、今晩はチュウタブタブというところでキャンプするとジャムソーが言う。標高は約3000メートル。いきなり峠を越えてドマンチュウまで行くより、少しずつ薄い空気に慣れた方がいいという配慮だ。

午後2時過ぎ、チュウタブタブのキャンプサイトに着いた。見晴らしのよい草原のキャンプ場だが、すでに霧が深い。もう少し歩けそうな気もしたが、無理をしないのが賢明だろう。11月中旬のこの時期、日没も早い。馬たちはもう到着していて、キャンプの設営が始まっていた。


【チュウタブタブ】ブータンについて---07へ続く