"スイス、チューリッヒの床屋" (撮影:gato-gato-gato.)
【引用】CCライブラリー http://cc-library.net/010003407_free-photo/
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序
スイスに来てそろそろ2年になろうとしている。人種差別・直接民主主義・徴兵制などのスイス事情について書くよう依頼されてこの文章を書いているが、率直に言ってこの2年はこちらの生活に慣れるのに精一杯で、スイスについて何かを知り得たと言うには程遠い状況と言わねばならない。またどれだけ多くの人がアメリカやフランスやドイツや中国ではなく、スイスに興味があるのか心許ない気もしている。でも逡巡しているだけでは何も始まらないので、自分の実体験を含めながらこちらの事情について素描を試みたいと思う。今回は1回目ということもあり、スイスという国の軽い紹介という形にしたい。
4つの公用語…ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語
先ずはスイスという国の特徴について述べておきたい。スイスはフランスやドイツというヨーロッパの大国に囲まれた小国であり、アルプスで有名なように山岳地帯である。つまりは陸の孤島だと言うことができ、島国である日本との共通点も多いように思われる。ここから容易に推測されるように、スイスは外国に対して閉鎖的かつ排他的で基本的に保守的な国民性を有する国家だと言える。そして最大の特徴の一つが、そんな小国であるにもかかわらず地域によって言語が異なるという点である。公用語としては一応4ヶ国語が設定されている。ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語である。ただしロマンシュ語話者は極端に少なく、消滅しつつある言語の一つである。ラテン語の名残を強く留める「由緒正しい」言語であるそうだが、使用頻度が高いので国語の一つに指定されたというよりは、保護するために指定されたのだと思われる。イタリア語話者もルガーノなどイタリアに近い地域で話されているだけで話者の数はそれほどでもなく、実際にはドイツ語(約6割)とフランス語(2割)が大勢を占める。ただしスイスで話されるドイツ語はスイス・ドイツ語という特殊なドイツ語で、僕たちが大学で第2外国語として選択できた標準ドイツ語とはかなり異なっている。ちなみに筆者はチューリッヒに住んでおり、大学院ではドイツ系の思想を専攻してドイツ語文献は毎日読んでたものの、スイス・ドイツ語には未だに苦しめられている者の一人である。個人的には標準ドイツ語とスイス・ドイツ語は、日本語と韓国語ぐらいかけ離れていると感じる時がある。そしてスイス・ドイツ語は標準語が確立されていないため、つまり方言しか存在しないため、外国人が習得することはかなり困難な「特権的」な言語である。そしてこの「特権性」は、その保守的な国民性と濃密に関係している。そこで育った人間にしか話せない言語であるため、結果的に外国人を検知する装置として機能している。そして実際ドイツ語圏スイス人のアイデンティティの拠り所となっている。スイスでも近年右派の躍進が目覚ましいが、その代表選手であるスイス国民党(Schweizerische Volkspartei)の支持者の割合がドイツ語圏で最多であることがそれを示している。ドイツ語圏スイスこそスイスの中心である、という意識があるように思われる。
一方フランス語圏は多少事情が異なる。フランス語圏スイス最大の都市はジュネーヴであり、地図を見ればわかる通り3方をフランスに囲まれており、フランスからの影響の方が強く、国連欧州本部を中心に多数の国際機関を有し、半ば皮肉で「ジュネーヴはスイスではない」と言われるほどのコスモポリタン都市である。世論や新聞の論調も、チューリッヒに比べてジュネーヴの方がリベラルであるように思われる。日本人がスイスに対して抱くアルプスやハイジなどのイメージはドイツ語圏スイスに由来しており、国連や赤十字やジュネーヴ条約など国際的で人権重視のイメージはジュネーヴに由来している。筆者個人としてはジュネーヴの方が圧倒的に好きであり、なぜ大学時代ドイツ語ではなくフランス語を選択肢しなかったのか未だに悔まれるときがある。憎たらしいドイツ人(印象:日本人/スイス人、韓国人/ドイツ人)
さて筆者が住んでいるチューリッヒに戻ろう。ドイツ語圏スイスで一番嫌われているのは間違いなくドイツ人である。これにはいろいろな要素が考えられるが、一番大きな要因は大国である近親者へのルサンチマンであろう。実際ドイツの方がスイスより進んでいる点は数多く、専門知識が必要とされる技術者や大学教授などの「地位が高い」職業は、場所によってはドイツ人が多数を占めていたりする。通常の移民であれば言語の壁などがあり、特殊なケース以外はスイス人より「高い」地位につくことはあまりないだろうが、教育レヴェルが高いドイツ人は移民の中でも特権的な移民であり、スイス人を脅かす存在である。彼らはスイス人も学校で学ばせられるオフィシャルな言語である標準ドイツ語を話し、この点でもその他の移民とは一線を画している。そしてこれはかなり個人的な印象が強くなってしまうが、両国の国民性の違いも大きく作用しているように思われる。スイス人は日本人に近いところがあって、自己主張をする度合いが比較的小さい。また他人との距離を取りたがる傾向にある。一方ドイツ人は自己主張が強く、押しが強いイメージを持たれている。スイス人がドイツ人の悪口を言う場面には何度も遭遇したが、「あいつら初対面なのにSie(あなた)を使わずにいきなりDu(君・お前)で話しかけて来やがる」という話は複数回耳にした。筆者自身日韓の間で苦しんだので、安易に◯◯人はどうだという一般化は避けたいが、実感レヴェルではドイツ人はダイレクトでオープン、スイス人は礼儀正しいが閉鎖的で、この場合はドイツ人が韓国人っぽく、スイス人が日本人っぽく思えるときがある。
"弁明" 「俺は中国人なんかじゃない!」
スイスにはポルトガル人の移民も多い。正確なところは統計にあたって見なければならないが、どうやら肉体労働者に多い(多かった)ようで、彼らはその陽気さからかうるさくて粗野で一段低い人たちだと思われているようである。スリランカからの移民2世・3世も多く、外に出れば必ず複数人は目にする。トラムの停留所でスイス人の老婆がスリランカ人であろう若いお母さんに侮蔑的な態度を取るのを一度目にしたことがあるが、逆はまだ一度も見たことがない。そして僕らアジア人であるが、日本人だろうが韓国人だろうが、まずほとんど中国人だと思われる。これは人口の差が大きいので当然であろう。ここでは中国人は「チン」と蔑称され、トラムの中でスイス人がこちらを見てニヤニヤしながらこの言葉を口にしたら間違いなく馬鹿にされていると判断できる。ちなみに普段「人類みな平等」的なことを言っておいて、中国人に間違えられると凄く怒る日本人がいるが、こんなのは偽善の極みだろう。欧米人に中国人と思われた時の態度が、相手がホンモノかどうかを見分ける筆者の隠れた基準の一つである。筆者の場合は中国人だと思われて差別されても、黄色人種自体が差別されたと思うのでやはり腹が立つ。そこで必死に「俺は中国人なんかじゃない」と「弁明」しようなどとはつゆ思わない。
以上、とりとめもなくスイスの印象論を書き連ねてしまった。次回はもっと具体的に移民の数を制限するスイス国民党のイニシアティヴ(国民発議)などについて書いてみたい。そこでこそスイスのナショリズムと(半)直接民主制が交差するであろうから。少し予告的に書いておくと、スイスの政治は国民の声が反映され易い一方で、国際法や人権に反する(恐れがある)声も反映され易く、議論の的となっている。日本には「来るべき民主主義」をスローガンに住民投票に積極的評価をする論者もいるが、スイスのイニシアティヴを見ることで、批判するなり深化させるなり、そういった議論について考え直してみる契機が生まれるはずである。
(つづく)