みなさま、こんばんは。
 杏ゝ颯太です。
 
 2014年12月8日より個人ブログ(http://blog.livedoor.jp/annedo0826sota/)の方で《日記》を始めました。更新頻度や形式などはまだまだ手探りかつ流動的になっておりますが、色々と文体の実験も試みつつ書いてみたいと思っていますし、気まぐれで時々はこちらの方でも発表する予定です。

 というわけで、早速ですが、初回分の日記をどうぞ。
 


(2014年12月8日)

 日記論の古典となった研究のなかで、ベアトリス・ディディエは、日記と自伝とはエクリチュールのメカニズムが根本的に異なり、両方を実践する書き手はまれだと述べている。自伝は事後的な視点から物語としての骨格を与えるが、日記にはそれがないからだ。ロラン・バルトもまた、自伝は「私とは誰か」という狂人〔狂人:原文棒点強調〕の問いを問うが、日記は「私は存在するのか」という愚者〔愚者:原文棒点強調〕の問いを問うといっていた。《私》に意味や価値を与えるのが自伝であるとすると、そもそも意味や価値を与えられる対象としての《私》が存在し続けているのかどうか、わからなくなってしまった主体こそが日記を書きつける。


「第5章 回想と日記ーー記憶を語ろうとすると出来事が掻き乱しにやってくる(シュルレアリスムとは、にもかかわらずすべてを語れという命令である)」(鈴木雅雄『マクシム・アレクサンドル 夢の可能性、回心の不可能性』水声社、2012年、187頁)
 


 荒木さんから《音》(http://www.en-soph.org/archives/37473038.html)という文章をEn-Sophに転載しませんか?というお話をTwitterのリプライ上で頂いたのは今年の4月のことだった。それから早くも8ヶ月が経ったが、以降En-Sophで発表してきた表現物は一貫して《記憶のイメージ》を具現化しようという試みであったと思う。
 また、自伝という類いのものとは些か異なるけれども、引用文の言葉を借りるならば、自分自身に「意味や価値を与え」ようという試みであったとも思う。
 
 今時珍しいのかもしれないが、私はこれまでソーシャル・メディア上も含めて一度も自発的に日記というものを付けたことがない。その理由は明確である。自分自身が「存在し続けているのかどうか、わからなくなってしまった」経験がないからだ。
 
 もしかすると、実際の読書量、読書時間とは別に、少なくとも書を読もうという意志のある人間であり続けたいと願う《私》にとって、自分自身が「存在し続けているのかどうか、わからなくなってしまった」経験が一度もないなどということは恥ずべきことなのかもしれない。
 しかしながら、どれだけ活字の上で《私》が死に、《私》が分裂したところで《私》が存在していることは《私》にとっては自明なことである。それは何よりも私自身が身体を有していること、私自身が勃起することに基づく。
 
 そのため、これまで私自身にとって問題なのは、自分自身が「存在し続けているのかどうか、わからなくなってしま」うことではなく、自明過ぎる程に自分自身が「存在し続けて」しまっていることの方にあった。
 
 ところが、「私」は今まさに日記を付け始めている。
 何がなんでも日記を付けなければならないと思っている。
 あるいは、何がなんでもこれは日記でなければならないと思っている。
 
 なぜか?
 自分自身が「存在し続けているのかどうか、わからなくなってしまった」からである!
 
 しまった、しまった、しまくらちよこ。

 とりあえず今日から新聞配達に出かける前の2時間を使ってぐだくだだらだら毎日日記を書くことを8日の朝の配達中に決意したのだけど、いつもの格好付け癖が出てこれまたとりあえず冒頭に前々からいつか必ずどこかで引用してやると決め込んでいた鈴木雅雄さんのこの文章(だいぶ上だけど↑)をとりあえず引用してそれから具体的な内容に入ろうと思っていたら打ち込んでいるうちにこの引用を使ってちょいと一つ格好付けた文章が書けるんじゃないかという考えが頭をかすめ、気付いたら2時間かけてここまで長々と書いてしまった(BGMで流していたplentyの《this》が3周していたよ)。

 しかーし!
 初日である本日は12月8日23時過ぎから付け始めたこともあって時刻はまだ12月9日1時8分なのであーる。

 そのため、出発予定時刻の2時27分までまだあと1時間19分もあるぞい(ちなみに、配達所のタイムカードポチポチ予定時刻は2時39分だよ)。ふと我に帰ったら猛烈にお腹が空いているようなのでエリーゼ練乳いちごクリーム味を食べます。ザクザク。やーしかし最近のお菓子売り場はいちご味ばっかりですねー。カントリーマームのいちご味とかあとあれなんだルマンドとかホワイトロリータとかとだいたいセットで列べられているやつ、名前忘れちゃったけど、それもいちご味にされてた。

 え、お前の行き付けのスーパー?私の行き付けのスーパーはM代ですよ。だいたい自宅から徒歩で20分、自転車で7分ぐらいです。一応それでも最寄りですがね。M代の魅力?それは色白美人レジ係(以降、レジャーと表記する)がいることです。A木さんといいます。冬場はずっとマスクを付けていますが、私から見て右目右下にほくろが幾つかあってそれが非常にチャーミングです。可愛い系より美人系です。最近そっくりな素人名義のAV女優を見つけてしまったことはここだけの秘密ですよ。

 エリーゼ練乳いちごクリーム味のクリーム繋がりですけど、今日カラオケで初めてクリープハイプを歌ってみました。〈愛の標識〉、〈イノチミジカシコイセヨオトメ〉、〈オレンジ〉を歌ってみましたが、どれも声が出なくて撃沈。〈火まつり〉、〈バイト バイト バイト〉なんかも入っていたので歌ってみたかったのですが、前の3曲があまりに歌えなかったので止めますた(ちなみに私はpoupee de cire poupee de sonを毎回歌います)。

 カラオケはだいたいいつも自転車で15分ぐらいで隣々駅にあるJKARAに行くのですが、今日は月曜日の正午前に行ったのにDAMが満室だっていつも受け付けしてくれる手島優似の店員さんに言われまして泣く泣く近くのBEに移動しました(ちなみに今日は月曜日でしたが、なぜか火曜日に行きたくなることが多いので私はたぶん火曜日の♂とか言われてるんだろうな)。

 あと、私は非常にビビりなので先程の手島優似の店員さんにフリータイム利用中に自転車盗まれても責任取れないから駐輪場に停めることをお勧めされて以来律儀に150円払って自転車を駐輪場に停めています。今の自転車はこちらに来てから5年でもう7代=台(デリダ)目ぐらいですかねー。サドルだけ取られたこともありました。

 2時を回ったのでそろそろ締めなければ。えっと、晩御飯はレトルトボンカレーとキャベツの千切り(売り物)with胡麻ドレ(売り物)と胡麻ゴボウ(売り物)でした。あとは…きのこ帝国の〈東京〉と〈クロノスタシス〉も初めて歌いました。2回ずつ。こちらは予想外に難しかったです。それから、福永武彦の『愛の試み』を初めから60頁程読みました。調べてみたら池澤夏樹さんのお父さんだと知ってびっくり。 
 
 
 まったく何が自分自身が「存在し続けているのかどうか、わからなくなってしまった」だよ、というような日記になってしまいましたが、明日からは真面目に書きます。
 
 新聞配達頑張ります。