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【写真】トラシガンの街


【サンドゥルップ・ゾンカー】ブータンについて---04から続く
(本文、画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)

トラシガン

道路工事で2時間足止めされたので、目的地のトラシガンに着く前に日が暮れてしまった。車は真っ暗な山道を走り続ける。車にはナビゲーションも何もついていないのに、ネテンは地図を見ることさえなく運転している。ツーリスト相手のドライバーの仕事だから、あらかじめ行く場所が決まっているからかもしれない。あるいは、山の中でも町の中でも、道路なんてものがあまり無いからかもしれない。

ガイドの仕事で、何回も来ているからだろう、ジャムソーが得意気に言う。

「この先のカーブを曲がるとトラシガンが見えるよ」

ジャムソーの言ったところまでたどり着くと、山の斜面に建物の明かりがぽちぽちと輝いているのが見えた。集落といってもいい地味な夜景だったが、町はサンドゥルップより大きく落ち着いた雰囲気だ。宿泊予定のホテルにはあっさり到着した。これも、鉄筋コンクリートの建物にシンプルとしか言いようのない客室が収まったあまり情緒のないホテルだったが、サンドゥルップのホテルと同様スタッフは親切だった。

食事時間は7時から9時の間だというので7時を指定した。部屋までミルクティを持ってきてもらい、荷物をほどいて一息入れる。7時、ホテル1階のレストランまで行ったが、ジャムソーもネテンも来ない。レストランの脇に置かれたソファーに座り、日記帳を開いた。首都や国際空港から遠い東部地方まで来るツーリストはあまりいないが、東ブータンを観光するなら、トラシガンが拠点になる。ホテルには10人ほどの団体客が泊りあわせていた。ブータンで初めて遭遇する観光客だ。

大部分は白人だったが、黒人と東洋人もいる。この人種構成から察すると、米国から来たグループなのだろうか。私だって団体で行動することがあるから、偉そうなことは言えないが、団体客というのはどの人種でもちょっとうるさい。その人たちが食事の準備ができるまでソファに座り、Wi-Fiがつながらない、などと騒いでいるのを小耳にはさみながら日記を書き続けた。グループ行動で周りじゅう知り合いだらけなのに、その上さらにWi-Fiでいつものネットワークに接続したいと望むものなのだろうか?あるいは、そうする必要があるのだろうか?せっかく旅行に来ているのだから、そんなことしなけりゃいいのに、と勝手なことを考えた。

食事の支度が整い彼らがテーブルに移ってしまうと、私の周りはまた静かになった。私は日記を書き続ける。ジャムソーとネテンは、8時近くなってようやく現れた。そういえばこの二人は昨夜も夕食に来るのが遅かった。いつも何時に夕食を食べるの?と聞いたら、8時だという。どうやら8時がブータンの標準的な夕食時間のようだ。このホテルにも定期的に来ているのか、スタッフとは知り合いで、まるで友だち同士のようだ。レストランのキッチンにも遠慮なく出入りしていて、今朝のネテンの「ホテルのキッチンで朝食を食べた」というのはこういうことだったのかと納得した。

ブータンの主食は米だ。炊き上がったご飯とそれ以外の料理が、金属の皿に盛られてテーブルに置かれる。それを各自が自分の皿に取り分けて食べるスタイルだ。ブータンの煮込み料理や炒め物のほかに、香辛料の効いたインドの料理もあった。ご飯は無くなれば持ってきてくれる。ジャムソーもネテンも、よく食べて、よく喋った。


ゴン・コラの寺

寺院と役所を見学する予定だったので、翌日はキラを着用した。上手に着るのは難しいし、身に付けていると、ちょっと照れくさい。それでも、これを着て黙っていれば、ぱっと見た感じはブータン人で、目立たなくていい。

昨日同様、道路工事で通行止めになる場所があるから7時に出発だとジャムソーから言われていた。この日は一人で早めに朝食をすませ、出かける支度をしてホテルのロビーで二人を待ったが、やっぱり来ない。ホテルのスタッフが気を利かせて、私がすでに待っていることをジャムソーに伝えてくれた。

20分遅れで出発してまあまあだなと思ったら、ホテルで用意してもらった弁当を忘れてしまったからそれを取りに引き返す、とジャムソーが言った。性格が明るくて楽しいというのはありがたいが、もうちょっとしっかりして欲しいなあ、と思った。

工事現場は8時から通行止めになると聞いていたが、到着したのは8時15分くらいになってしまった。ところが、作業員がまだ到着していないので今日の工事はまだ始まっておらず、車は通れるという。運がいい。

そこからゴン・コラの寺まではすぐだった。本堂のすぐ横に大きな黒い岩があり、その上を覆うように巨大な菩提樹が枝を伸ばしている。岩には小さなほら穴があり、8世紀にブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェという僧が瞑想したのだという。ネテンは車に残り、ジャムソーと一緒に見学する。境内は静かで、岩の横に作られた祭壇の前でチベット式の五体投地礼をして祈るおばあさんがいるだけだ。お参りの邪魔をして悪いなと思ったが、彼女の方はまるで気にかけない様子だ。礼が終わったところでこちらを見て、にこっと笑った。この寺に来るツーリストにも、そこそこ慣れているのかもしれない。

次に本堂を見学しようとしたら、カギがかかっている。ちょうど若いお坊さんが通りかかったので、ジャムソーが頼むと、カギを持ってきてくれた。お堂に入ると、ジャムソーはブータンの作法に従って参拝している。額の前、口の前、胸の前で手を合わせてから跪き、床に額をつけて礼をする。3回で1セット、これを2セット行う。私はこの時点ではまだやり方がわからなかったので、とりあえず日本式に立ったまま手を合わせた。礼がすむと、本尊の前に置かれた高坏に少額の紙幣を置く。それからクジャクの羽で飾られた水差しに入った聖水を手のひらに受け、半分くらい飲み、残りは額と頭につける。

小さなお堂の中はよく手入れされていて、床板はぴかぴかだった。何体もの仏像の他に、毎日のお勤めに使う経本や太鼓が置かれている。このお寺は僧院でもあり、住込みのお坊さんたちがいるので、その人たちがお勤めをするのだろう。ガラスケースの中にはさまざまな遺物が保管されていて、そのいわれについてお坊さんが説明する。それをジャムソーが英語に通訳してくれた。ガルーダの卵や高僧が8歳の時の足跡がついた石など、本物かどうか疑ってしまうようなモノもあったが、ここでホンモノかニセモノかなどを議論するのは意味がないし、真偽など、どうでも良いことだ。肝心なのは信仰する人がいること、その信仰がその人を助けているかどうか、だと思った。

見学が終わり、こんなことを頼んで良いものかとためらったが、そのお坊さんと記念撮影した。旅行の時、いつも持ち歩いている小さなクマのぬいぐるみと、写真に納まってもらった。

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お坊さんがジャムソーと何か話している。バターランプを供えることができるというので、お供えさせてもらった。火災予防のため、バターランプのお供えの建物は別棟だ。建物に入ると、たくさんのバターランプの灯が揺らめいていた。ロウソクをもらい、まだ火の点けられていないランプにひとつひとつ火を灯した。


トラシヤンセ

ゴン・コラを出発して、さらに北のトラシヤンセに向かう。あいかわらずカーブのきつい山道が続く。SUVのギアはいつも2速か3速。見通しのきく路面のよいところだと3速か4速。ブータンを旅行中ずっとこんな感じで、ネテンがトップギアに入れるのを見たことがなかった。

トラシヤンセに到着し、ゾンを見学する。ゾンというのは、もともとは要塞だったというが、今はブータンのそれぞれの行政区にあり、半分は役所、半分は僧院になっている。でもトラシガンのゾンは行政機能だけで僧院はなく、雰囲気的には町役場に近い。ゾンを見学するときに、少し困ったことがあった。私の服装だ。外国人ツーリストが外国人の服装をしていれば問題ないのだが、この日私はキラを着ていた。ゾンを訪問する際、ブータン女性の場合はキラを着用するだけではだめで、肩からラチュというサッシュをかける必要がある。持っていないのでどうしたものかと思ったが、ジャムソーがゾンの守衛に事情を説明して、中に入れてもらった。男性の場合は、ゴの上から長いスカーフを巻くのが規則だ。特にランクのない一般人の場合は白いスカーフで、ジャムソーも車から白のスカーフを取り出して器用に巻きつけていた。

ゾンは見晴らしのよい丘の上に建っていて、吹き渡る風がさわやかだ。石畳の中庭を取り囲むように建てられた大きな二階建ての木造建築で、どう見ても宗教設備か歴史的建造物にしか見えないが、行政サービスを行う普通の役所だというのがちぐはぐな感じだ。職員や関係者がたまに中庭を横切るだけで、ひっそりとしている。

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見学がすむと、建物のまばらなトラシヤンセの町を車で横切ってチョルテン・コラに向かった。チョルテンというのは仏塔のことで、寺ではないが信仰の対象だ。ここも信心深い土地の人たちがちらほら訪れて、チョルテンをぐるりと取り囲むように設置されたプレイヤー・ホイールを回すばかりで、のどかに静まり返っていた。僧院があるのか、少年僧たちが草原で転げまわって遊んでいる。ここで昼食になった。草原の上で、持ってきた弁当を広げた。保温容器に入った食べ物は暖かく、おいしかった。僧院のお坊さんが大きな魔法ビンに入れたバター茶をふるまってくれた。ほのかなピンク色で、これはバターの色だという。バターに加えられた塩分のせいか軽い塩味で、日本の昆布茶に脂肪分を足したような味だった。

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通行止め

チョルテン・コラでのんびりしすぎることに、ジャムソーもネテンも警戒しなかったのだろうか。往きは運よく通過できた道路工事現場は、午後1時半からまたブロックされてしまう。間に合わないかもしれないというので、ネテンは車を飛ばした。カーブが多くて見通しのきかない山道で、片側はそのまま深い渓谷になっている。怖かったが、ここで事故にあって死んだら、それも私の運だと思った。そして怖いのを我慢した甲斐があって、ブロック地点には1時32分に到着した。2分遅れだったら通してもらえるのではないか?

……だめだった。

ジャムソーが交通規制担当の警官と交渉したが、だめで、でもそうこうしているうちに白い軽トラックが1台やってきて、不思議と通してもらうことができた。それなら自分たちも通してもらえるのではないかと、ネテンも加わって根強く交渉を続けたが、やっぱりだめだった。ブロックが解除されるのは午後5時だ。

4時間半、この山の中で時間をつぶすはめになった。

ブロック地点から少し戻ったところにドゥクスンという小さな村があった。長さ100メートルの通りの両脇に建物が並ぶばかりのその村でブロック解除まで過ごすことにした。通りの突当たりにうらぶれたビリヤード場があり、ビリヤードをすると言って、ネテンは建物に入っていった。ジャムソーと私も思い思いに時間を潰したが、すぐ手持ち無沙汰になってしまった。これ以上ドゥクスンにいてもしょうがないので、ゴン・コラまで戻った。車を止めた場所から、ゴン・コラの境内がよく見える。団体客が歩き回っているのが見えた。静かな時間に見学することができてよかったと思った。

のんびり広がった境内の隅に、鶏がたくさんいるのも見えた。放し飼いで、コケコッコ、コケコッコ、とにぎやかだ。お坊さんが餌をやっている。お寺がお金を払って食用にされる鶏を買い、殺さずに飼っているのだという。そうすることにより、命を慈しむという得を積むのだ。

道路わきに、団体客を乗せてきたマイクロバスが止まっていた。ネテンとジャムソーは待機中のドライバーと話をしている。道路情報の交換でもしているのだろうか。あまり暇なので、そのドライバーに写真を撮ってもらった。

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まだ時間は山ほどあった。ネテンが犬と遊び始めた。仏教国であるブータンでは動物は大切に扱われる。捕まえて殺処分になどしないから、どこにでも野良犬がいる。

ガイドブックには「狂犬病の危険があるので犬には近寄らないように」と書いてあった。出発前にカルマが送ってきた旅行情報にも、犬に近寄らないようにという注意書きがあった。狂犬病の予防接種を受けておけば安心なので、出発前に地元の保健所に問い合わせたら料金は260ドルだと言われた。それで結局、予防接種は受けなかった。そのうえ私はまじめに犬を飼ったことがなく、犬の扱い方がよくわからない。

狂犬病が怖かったので犬がいても眺めるだけだったが、いじめられないからなのかどの犬もおとなしく、いかにも野良犬という薄汚れた感じの犬はいなかった。私たちが暇をつぶしているあたりにも、犬が何匹もいた。ネテンは犬が好きだ。自分でも飼っているのだという。似たような感じの犬が多く、チベタン・マスティフという犬種なのだと、ジャムソーが教えてくれた。

その中に、片方の耳の端がない犬がいた。
ちぎれたのではなく、刃物できれいに切り落とされたようだ。
 
「ネテン、あの犬、耳が切れてる」

私はその犬を指さして言った。

「あー、あれね。役所の人間が犬に予防接種して、避妊の手術をしたんだよ。そのあと、耳の先を切って犬を放すんだ」

ブータンは基本的に途上国だ。野良犬にたいするそういう措置は、正直なところ意外だった。

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「ホラ、耳を見せろよ!」


それでもまだ、時間が余った。

犬と遊ぶのに飽きたジャムソーとネテンはキャッチボールを始めた。ボールはないので、半分空になったミネラルウォーターのペットボトルを投げる。私は球技のセンスはまるでないが、ペットボトルくらいの大きさがあれば投げて取るくらいはできる。

私たちは4時半までボトルを投げて遊んだ。
バスに戻ってきた団体客が、一体何なんだという顔で私たちを見ていた。


警官詰め所で

ゴン・コラを出発して、5時15分前にブロック地点に到着して待機した。ブロック解除になったのは5時10分くらい。ジャムソーとネテンは不満たらたらだった。私たちのすぐ後に到着して通してもらえた白い軽トラックは役人か地元の有力者に違いない、往きは15分遅れで通れたのに、帰りは2分遅れで通れないなんておかしい、2分遅れで通さなかったのにブロック解除が10分も遅れるなんておかしい、と口々に言い続けた。

とりあえずトラシガンへ向かって進んでいるのだし、過ぎ去った時間は取り戻せない。文句を言っても仕方がないとは思ったが、言ったら言ったで気がすむということもあるだろう。私は適当に相槌を打って話を聞いていた。私は旅行者だから、どうやって時間をつぶしたって、そこそこ面白い。でも彼らは仕事中だ。きっと早く町に戻って、休みたかったのだろう。

トラシガンに着いたのは、とっぷりと日が暮れた後だった。町の入り口に、小さな役所がある。朝、町を出る時もここで簡単な手続きがあったが、帰りも係員が検問をしていた。感じの良い、親切そうな職員だ。ゾンカ語で話していたので何を言っていたのかは分からないが、ジャムソーとネテンはたぶんここで通行止めの不満をぶちまけていたのだろう。

そのとき、二人がそれを知っていたのかは分からないが、役所の一室が警官詰め所になっていて、昼間私たちを通してくれなかった警官がちょうど戻ってきていた。

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表に出てきたその警官と、さらに別の警官、役所の人たち、ジャムソーにネテンが暗闇の中でああだこうだと言い合っている。声を荒げることはないが、相当もめているのがわかる。しまいには警官が車のナンバープレートを控えに来た。大丈夫なんだろうか?こんなこと、早くやめてもらいたい。私は車の外に出た。

「まだ時間かかりそう?」
「車の中で待ってて!」

取りつく島もなかった。
ここでどんなに話をしたって、あの警官が「自分が悪かった」なんて言うわけないのに。

さんざんもめて、彼らがやっと車に戻り、出発したのは30分後だった。調書を取られたが、自分たちは何も悪いことはしていないし、サインなんてするわけないと、さらに腹を立てている。どうしてなんだろう?面白くないのはわかるけど、腹を立てたところで何か良いことがあるわけでもないのに。

当たり前だが、『幸福の国』にも諍いはあるのだ。


まだやることはある

疲れ切ってホテルに到着したが、まだやることが沢山あった。明日はトレッキングに出発する。トレッキングに持っていく荷物とホテルに預ける荷物を分けないといけないが、それ以外にも準備があった。

ジャムソーが、50ニュルタムの紙幣を用意しておいたほうがいいと言う。トレッキング中に何ヶ所か村を訪問するが、よその土地から来た旅行者をアラという米の酒でもてなす習慣がある。そしてもてなしを受けた側は村人に小額のお金を渡すのだ。50ニュルタム札が6枚もあれば十分だろうというので、ホテルの隣の商店で300ニュルタムを両替した。

それから、ポストカードを買いに行った。
キャンプ地で時間のある時に書こうと思ったのだ。

こんな田舎でポストカードなんか売っているわけがない、と渋るジャムソーを説き伏せて、ポストカードを探しに出かけた。彼の言うとおり、みやげ物屋風の工芸品店でも売っていない。あちこち訪ねて、やっとポストカードを扱っている店を探し当てて、古ぼけたポストカードを数枚買った。

彼らとの約束どおり、この日は夕食を8時にした。ジャムソーはトレッキングに同行するが、ネテンは車と一緒に7日間トラシガンのホテルで留守番だ。彼を残していくのが気の毒だった。

なんだかネテンのお別れ会のような食事になってしまい、早々に切り上げる気にもなれず、部屋に戻ったのは9時半過ぎだった。


【トレッキングの始まり】ブータンについて---06へ続く