【画像】Bangkok: "He is not hell's angels, but a kamikaze tuk tuk driver!"
(本文、画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
金曜日
11月7日、金曜日。仕事は半日で切り上げて帰宅した。食事のあと、メールとメッセージの最終チェック。ガスの元栓を締め、冷蔵庫以外の電化製品のプラグを全部抜き、室内灯にはタイマーをセットした。PCと携帯電話は持たない。
暗くなる頃、自宅近くから市バスに乗る。この移動がブータンまで続くという実感も、自宅を3週間不在にするという実感もなかった。途中メトロに乗り換え、シャトルを利用して空港に向かった。まるで夜逃げみたいだと思った。自分が旅に出ることを、誰にも知られたくなかった。
フライトは定刻どおりの夜9時出発。海外へ行くときは、飛行機の中でディズニー映画を観るのがここ何年かの習慣になっている。今回は、『マレフィセント』を観た。呪いによって眠りに落ちた姫は、真実の愛のキスによってしか目覚めない。ただのキスではだめだ。いったい真実の愛というものは、存在するのか、しないのか。怒り、呪い、復讐、悔悛、真実の愛……。マニラで乗り換えて、日曜日の昼過ぎにバンコクに着いた。
慈悲、そして人間の思念
午後3時過ぎ、予約を入れておいたバンコク市内の小さなホテルにチェックイン。自宅を出発してからすでに30時間は経過している。機内で食事してからどれくらい経っただろう。疲れていたし、お腹が空いていないでもなかったが、ブータンでのトレッキング用に持参したエナジーグミを口に放り込んで、出かけた。
ホテルの受付で地図をもらい、この日見学したいと思っていたワット・ポーという寺院に向かって歩き始める。見学時間は午後の5時までだ。急いだ方がいい。日曜日の午後の街は静まり返っていて、歩いている道が正しいのかどうか心許ない。それでも、10分も歩くと寺院を囲む塀に沿って大型の観光バスが停まっているのが見えてきた。
境内へ入ってすぐのところに、有名な涅槃仏を安置するお堂がある。入り口で靴を脱ぎ、中に入る。お堂いっぱいに、全長46メートルあるという黄金の涅槃仏が横たわっている。大きいだけではなく、人間に近いというか、悟ったというよりも、どこか諦めたようなとぼけたような、不思議な表情だ。お堂の内壁は細密でかわいらしい仏画でびっしりと覆われていて、どこを切り取っても絵になる。この建物を計画した人だけではなく、作るために実際に働いた人たちも深い信仰心を持っていたのだろう。
そろそろ団体の観光客も引き上げる時間だったが、世界的な観光の名所だけあって、お堂の中は見学者で混みあっていた。中を一周歩き、他の参拝者に混ざって涅槃仏の背面に置かれた108個のブロンズの鉢にお賽銭を入れると、外に出た。
涅槃仏だけ見て帰ってしまう人も多いのか、これ以外のお堂にお参りしている人はあまりいなかった。まだ時間があったので、そういった小さなお堂のひとつで、お線香をあげ、ハスの花のつぼみを供えた。西日が当たる中、外気にさらされた小さな仏像の金箔はほろほろと剥がれ落ちそうだった。美術品なら、空調のあるガラスケースの中、あまり外光へ当てないように注意深く展示・保存するのだろう。でもこれは仏像だから、人がお参りに来る場所に安置されていなければお話にならない。剥がれかかった金箔の輝きが、まるで慈悲の印のように思えた。像の前で座り、瞑目する。意識が瞬時に深い集中の状態になるのがわかった。
この時は本当に『瞬間』だった。
不意打ちを喰らって、背後から棍棒で殴られ、地面に昏倒するくらいの時間しかかからなかった。
意識は深く、深く、どこか静かなところへ沈んでいく。
だからって気を失うとか、そんなことは起こらない。でもそのまま何もしなかった。何も祈らなかったし、瞑想もしなかった。しばらくして、普通に目を開けて立ち上がった。
瞑想しやすい場所というのは、確かにある。
例えば、いつも瞑想している自分の部屋の定位置。
例えば、瞑想センターの瞑想ホール。
そして、寺院のように、多くの人の信仰の場となっている場所。
信仰する人が集まる建物には、そういう人たちの長年にわたる精神活動の痕跡が蓄積しているように感じるのだ。そういう力や状態を、物理的に測ることができるのかどうかわからないけど。
『パワースポット』というのはあちこちにあって、大地や空から特別なエネルギーが集まるのだと説明されることがある。でも、そういう『パワースポット』を作るのは結局人間の願望とか思念の力なんじゃないかと、ぼんやりと考えた。
ロイヤルブータン航空
月曜日になった。朝の4時半に、予約しておいたタクシーでホテルを出発。タクシーの運転手は制限速度80キロの高速道路を120キロで飛ばし、5時過ぎにはバンコクの国際空港に到着した。この空港でタイの入国手続きをしてからまだ16時間しか経っていないが、今度は出国だ。昨日は気付かなかったが、ひとつしかない国際ターミナルは非常に大きく、航空会社のチェックインカウンターの列が延々と並んでいる。カルマが手配してくれたフライトを運行するDruk Air、ロイヤルブータン航空のカウンターは、一番はじのW列にあった。ブータン唯一の国際空港、パロへ向かうフライトだが、私は経由地のアッサム州グワハティまでの搭乗だ。
乗客は多くなさそうだ。搭乗ゲートから連絡バスに乗り、機体へと向かう。バスの中で美しいサリーをまとったアッサム女性と知り合った。この日はガイドや運転手など初対面の人と会う予定だったので、私も明るく快活な印象を与えるような服装を選んでいたが、ただ自宅に帰るだけのこの女性の衣装の華やかさには到底かなわない。やさしい微笑のこの女性は、バンコクに住む息子夫婦を訪ねた帰りなのだという。すてきな人と知り合った。幸先がいい。
グワハティで降りたのは、この女性と私を含めて6人だけ。インドの小さな地方空港だ。入国手続きのデスクから、空港ロビーが丸見えだ。だから、私の名前を書いたボードを手にした人待ち顔の男性を見つけるのは難しくなかった。
ラヒム
男はラヒムだと名乗った。彼の運転でブータン国境へと向かう。ラヒムは、私の知人と似た名前だ。でも、ラヒマというその女性はイラン人だ。ラヒムにそのことを話すと、自分はイスラム教徒なのだと教えてくれた。住まいはブータンのサンドゥルップ・ゾンカーだが、インドにも家族や親戚がいるという。仏教のブータン、ヒンズー教のインドを行き来するイスラム教徒なのだった。
インドの道路事情はよくない。工事渋滞、自然渋滞、そして道路が街中に入れば必然的に速度は落ちる。距離はたいしたことなくても、時間はかかる。もたもたしていると、いつまで経ってもブータンに入国できないような気がした。この日の早朝にサンドゥルップの自宅を出発してグワハティまで来たというラヒムは、だいぶ疲れた様子だ。少し休憩することにして、ラヒムは食事、私はアッサムのお茶をいただいた。
ブータン国境を目指して、さらに北へ北へと進む。しばらくするとラヒムが、正面に山が見えるだろう、と言う。確かに見えた。グワハティの空港から農地や小さな町の散らばる平地を走ってきた。大きな川を渡る長い橋も通った。ずっと平らだったが、進行方向にぼんやりと山の稜線が見えてきた。何の山だろう?
「ブータンだよ」
とラヒムが言った。山がブータン?なんだかよくわからないまま、さらに進むと、インドの出入国管理に着いた。どう見てもふつうの民家だったが、庭の中に小さな建物があり、部屋のデスク上には大きな台帳が載っていた。出国する外国人の記録をつける係官はその家の主で、庭先では子供たちが遊んでいる。出国手続きというよりは家庭訪問のようだった。
「君のガイドがもう国境に到着している」
何のとりえもない田舎の道をさらに進むと、お寺の山門のようなデザインの建造物があった。ラヒムがぽそっとつぶやいた。
「ブータンに着いたよ」
【サンドゥルップ・ゾンカー】ブータンについて---04へ続く