#43 -Cleaning(family grave)- Futaba,Fukushima
May. 14-15. 2014 
"Cleaning(family grave)" Futaba,Fukushima(撮影:東間 嶺以下全て同じ)

んたってあいつら二万円余計に貰ってるんだからな。12万だ。直前まで昂った調子で怒りを訴え続けていた初老の男がふいに表情を緩め、嘲るようにそう言うと、集会所にすし詰めで座って男と同じように怒ったり憤ったりしていた人々のあいだに、どっと、同調するような笑い声が広がった。人々と対峙して訴えを聞いていたスーツ姿の男たち数人は笑わなかったが、と言って諌めたりたしなめたりすることもせず、淡々と受け答えを続けていた。スクリーン上に展開されたその光景は、上映された全体の記録の中ではごく僅かな、殆ど一瞬の時間の出来事でしかなかったにも関わらず、わたしは、なんだか凄まじいもの、酷くむごたらしいものを観てしまったかのような、正視できないほどのいたたまれなさを覚えた。〔二万円〕、というむき出しの言葉と、それに呼応する笑い声が耳にへばりついて離れなかった。
 



◆ 先月の末、ポレポレ東中野で観てきた『フタバから遠く離れて 第二部』について何をどう書くべきか、あるいはやめておくべきかについて10日ばかりあれこれ考えていて、結果こうしてキーボードを打っている/打ったわけだけど、今でもあの映画について言葉にするのは愉快なことではなくて、というか殆ど苦痛に近いものを感じていて、でもこうやってキーボードを打ったのだった。

◆ ちょうど二年前に公開された第一部は、同じ日に園子音『希望の国』を観たその足でオーディトリウムに向かったのだったが、無残なほど滑稽な失敗作に終わっていた園の自己満足に比べ、舩橋淳が記録した避難者たち…即ち埼玉へと逃げてきた双葉町民の姿は、福島で起きた原子力災害の複雑な実相の一部を脚色無く映すものだった。インタビューや雑誌記事での発言を読む限り、原子力発電を悪魔視する監督のスタンスには殆ど共感できなかったけれど、作品としての映像には感銘を受けた。そのことは、以前のエントリでも少し触れている。

(参照: 『ATLAS』-[12] 【安いホラーとしての「希望の国」】 )

◆ 幸いにして(と敢えて書いてしまうが)、当時から母や伯母の友人知人、わたしの親族たちは騎西高校の避難所へ身を寄せる必要には迫られなかったし、その後も、いわきを中心として整備された仮設住宅以外に落ち着く先を見つけられている。母と伯母の生家がある場所は長期期間困難区域に設定され、住んでいた親戚の女性は都内の夫の実家へ居を移して、そのまま帰還を断念した。

◆ この場でも報告したけれど、5月にはわたしも一時立ち入りをしたので、映画で伊澤町長たちが歩いていた場所がどのような状態になっているのかは、肌感覚で分かる(本文に挿入したのは、そのときの写真だ)。除染と収束作業の開始によって作業員や工事車両を見かけるようになり、放射線量も場所によっては大幅な低下を見せてはいるものの、基本的に震災当日から殆どその惨状に変化はない…わけではなく、地震で破壊された家屋の風化だけが着実に進んでいる。

(参照:『ATLAS』-[17] 《結界の内側にて-1》、《結界の内側にて-2》)


futaba-5-4
"My Aunt&Uncle(Shinzan KitaHiro-machi)" 
 
"My Parents(Protective clothing)"
"My Parents(Protective clothing)"

◆ 『フタバから遠く離れて 第二部』では、被災からの九ヶ月間を追った第一部のあとから、さらに三年の時間を追っている。町長が交代し、騎西高校の避難所が閉鎖され、そして中間貯蔵施設建設の受け入れが要請されるまでが、映しだされる。

◆ 状況が落ち着いてくるにつれ、騎西高校の避難所からは次第次第に人が減り、県内各地に急造された仮設住宅への入居も進むが、事故の収束作業と原状回復は遅々として進まない。〔帰還〕、という目的に対してどのように振る舞うべきかを決めかねている多くの住民は宙吊りの状態に置かれ、事故を引き起こした東京電力、日本政府、さらには県や町に対する怒りや不満が蓄積されてゆく。それはやがて、被災者同士の境遇差に対する屈折した憎悪、軽蔑へと変異する。

◆ 直接的な要因は、政府によって定められた〔被災の線引き〕から発生した賠償、補償額の差にあるが、それを強化したのは、震災前から存在した各々の経済と生活環境の違いだ。子供が多い家庭は早期に避難所を出て行ったし、金銭的な目処がつけば、仮設住宅から借り上げや戸建て住宅に移った。避難所に残った/されたのは、身寄りのない、余裕の無い、場合によっては病を抱えた高齢者が中心だった。

◆ 冒頭でわたしを凍りつかせた〔二万円〕という言葉は、そんな分断状況から飛び出した。騎西高校の避難所で暮らす双葉町民には、弁当とはいえ朝昼晩の三食が支給され、電気、ガス、水道は無料で、さらに集団生活の不便さを考慮された結果、他の被災者より月二万円ほど多く賠償金が支払われる。いわき市の仮設に住む人々の一部は、その事実に対して、「弁当が不味いだとかなんとか、あいつらは、甘えている。おれたちは、自分で全部払っている」「しかも、二万も余計にもらってる」と吐き捨てていた。伊澤町長が参加した住民集会でも、〔二万円〕は揶揄され、その言葉はまるで場の連帯意識の象徴であるかのように響き、住民たちからは笑い声が上がったのだった。

◆ 災いにあった人間たちが、同じように災いを受けた人間たちを蔑み笑い、一体感に包まれるという、たまらなく悲惨でグロテスクな光景を観てしまったあと、わたしは、わたしの親族、母や伯母の友人知人が同調者としてその場にいなくて良かったと心から思ったし、もっと言えば自分が同じ立場で居合わせることにならなくて良かったと、さらにより強く思った(前段で、「幸いにして」と書いたのは、そういう意味だ)。


「不誠実な東電や政府が、いや、そもそも原子力を利用してきたわたしたち日本人が、彼/彼女たちを、ああした状況に追い込んだのだ」
 

◆ 以上のように言うことは、できるだろう(舩橋監督は、そう主張する)。属人性の問題ではなく、生存環境によって、人間の行動や感情は、モードを変える(戦場では、多くの人が殺人を肯定する)。だから、加害者であるわたしたちは、他人事のように「かわいそう」とか「悲惨」などと口にすべきではない、と。言わんや、むごたらしいなどと。

◆ しかし、「悲惨」も「むごさ」も容赦なく現存しているものであり、政府が、とか、東電がとか言ってみたところで、行為の質が変わるものでもない。人間が持つ底なしの愚かさと醜さとに、観者は暗澹たる心持ちになり、勇気と気力が奪われるのみである。

futaba-2a-3
"Nuclear waste(Car window)" Futaba,Fukushima

◆ 事故から時間が経てば経つほど、被災者でも縁者でもない人々の多くは、こうした現状を知ることに忌避を示すようになる。船橋監督は映画の観客動員に大きな懸念を表明していたが、「忘れない」とか「関心を持ち続ける」ことが、かれの言うように、「自らの加害性」や「正義の欠如に僕たちも加担しているという不都合な真実」「巨大な責任回避装置を私たち自体がサポートしている」のだと常に意識させられ続けるということなら、尚更だ。(引用:『フタバから遠く離れて Director's Note』 )。

◆ そして、「もう見たくない」という気持ちは、置かれた環境によって、当事者たる被災者でさえ抱いてしまう。誰しもが「正義の欠如」や「人格権の回復」(同上、船橋)のために闘い続けられるわけでもない。場合によっては、「なにも終わっていない」という、反原発運動のテンプレートになった台詞が、一種の同調圧力や強迫として響いてしまうことさえある。一体、〔終わり〕の定義は何なのか。どうすれば〔終わる〕のか?双葉町に帰還するまでか?完全な補償を得るまでか?〔罪人〕が罰されるまでか?すべての原子力発電所が閉鎖されるまでか?

◆ わたしの親族、前述した女性や、町の職員だった彼女の父親は双葉町に帰還するつもりはなく、東京と郡山に居を定めたが、そういう人たちにとって、ある意味で〔避難生活〕は〔終わって〕いる。必要なのは、まさに〔金目〕の話、出来うる限り迅速な、最大限の補償の条件交渉だ。中間貯蔵施設の建設問題にしても、町と東電、国の交渉が出口を見いだせないまま膠着状態に陥ってしまうことを、彼彼女たちは望んでいない(望んでいる町民もいるかもしれない)。それが原発反対の〔運動〕に展開してしまう、有り体に表現すれば〔利用〕されることも、望んではいない(望んでいる町民もいるかもしれない)。

futaba-2a-5
"Nuclear waste(Paddy field)" Futaba,Fukushima

◆ ある事柄を巡って唱えられる抽象的な運動の論理は、しばしばドグマ化し、運動自体を永遠のものとして継続させる為に用いられる。それは、運動に生きがいを見出す人間以外にとって、基本的には有害だ。「正義の欠如」と「犠牲のシステム」を問い糺し、「人格権の回復」が成されることが〔まず〕必要だという主張は倫理として極めて正しいが、〔まず〕の部分に、同質の危険を孕んでもいる。〔まず〕は、なによりも個々人の意志に委ねられるべきものだろう。

◆ わたしには、議会と対立して解任された井戸川前町長の専横的行動が、個人的な信念(怨念)から町政を私物化し、選択を妨害する行為であるように感じられた。先鋭的な運動家として活動する現在ならば、どう振る舞おうが個人の自由だが、さまざまな境遇に生きる町民の利害を広く代弁する立場では、すべき行動の優先順位は明白なものとして存在する。伊澤氏への町長交代は、数少ない前進の一歩だ。

◆ 船橋監督は、現在も撮影を継続しているのだという。今後も、双葉町民に寄り添いたいという。三作目をいつ、どのような形で〔完成〕にする/できるのかなんてまったく予測もつかないことだが、確実なのは、ここから先の年月に被災者へ接する映像は、結果として、天変地異を切っ掛けにした未曾有の原子力災害を日本社会が、というかわたしたちが、いかに消化(忘却)するのか、その過程を映し出すものになる、ということだ。

◆ 切羽詰まった電力会社と地元の悲鳴によって各地の発電所が再稼働され、震災からの〔復興〕を高らかに宣言するのだという東京での五輪が近づく時間の中、双葉群内全体では、(おそらくは見直された線量基準で)再編された避難区域に戻る住民、戻らない住民の意思が次第次第と明確になるだろう。収束作業の段階が変わり、中間貯蔵施設が稼働し始めると、「最終処分場も双葉郡に」という声が急激に大きくなるだろう。再び召喚された〔金目〕の話が、さらに再び人々を引き裂くだろう。

◆ 連続し、迫られる決断の一つ一つに〔正義〕が存在するのか、しないのか?するべきなのか?問うこと、あるいは問いを放棄するという選択の如何によって、わたしたち個々の倫理が露わになるのだ。

『フタバから遠く離れて』を、そうした行為の一つとして、わたしはわたし自身の問題として、観た。

#10 "Fire department" Futaba,Fukushima
"Fire department" Futaba,Fukushima

(了)