これまでの歴史において、人々はあたかも本当であるかのように嘘を書いてきた。では、なぜ反対にあたかも嘘であるかのように本当のことを書くことは市民権を得なかったのか。それは、少なからぬ人々が現にそうしてきたからであり、まさに市民権を得なかったという事実が人々が本当のことを嘘として書いてきたことの何よりの証拠である。
 小話を書きたるすべての者に救いあれ。

(北町与次郎『小話の原理』)
 


 手元の画面の中のさらに電車内で手マンをされている人物が全身を震わせている。

 ああ、AVか。

 もちろん、AVである。

 しかし、たとえそれが撮影という名目であれ、手マンをするものすなわち男優、手マンをされているものすなわち女優という構図に収まってしまうものであれ、それが実際に行われたという事実、それが実際にいま目の前で行われているという事実は揺るぎない。そうだろ?
 
 私はそのような事実をある瞬間の直前に必ず目撃するようにしている。

 ああ、射精の直前か。
 
 いや、違うよ。
 私は射精はしない。せいぜい漏精である。
 
 その時の状況を簡単に説明すれば、私はうつ伏せになっている。顔の正面からやや左寄りに、画面回転されて横向きになったスマホがある。皆が気になる部位は感覚上八割方勃起していて、両太股で固定されている。

 ああ、床オナニーか。
 え、あれ不感症になるらしいからやめといた方が良いよ?

 いや、違うんだ。私自身も長らくおそらくこれに名前を付けるなら床オナニーあたりだなとある時期に思って以来とりあえずそういうつもりで実行してきたわけだが、検索してみるとどうも所謂床オナニーと私の床オナニーとは男性器の向いている方向が正反対みたいである。そして驚くべきことにこの方向の正反対さは所謂尻コキと(私がイメージしてきた)私の尻コキ時のそれで方向が異なることとまったく同型なのだ!
 
 簡単に言えば、所謂、所謂型は男性器の裏面を床、というか、私の場合は布団の敷きパット(もちろん、ダイレクトにではなく、私はだいたい高校時代着用していた祥子とお揃いのハーフパンツを履いている)や女性の肌と擦らせるわけなのだが、私の場合は反対に男性器の前面をそれらと擦らせることになるのだ。
 
 この違いは一体どこから来るのか?
 
 この問いに対する応答はいまだ深いベールに包まれているが、一番最もらしい要因は私の男性器の勃起時の小ささ、柔らかさと私が包茎であることの二つであろう。
 
 端的にお前のそれは気持ち良いのか?と訊かれれば、まったく気持ち良くない、痛いと応える他ない。そして、それで良いのだ。また、私のそれは単純な欲求の解消という側面よりも例えば今回ならば目の前の痙攣を目撃したいわば証のような側面が強い。そうそう、教師が宿題を確認した際に押す「観ました!ハンコ」みたいなものだね。あ、「観ました!マンコ」とは掛けてないよ(杏ゝはモザイク派であったことを想起せよ!)。

 杏ゝ颯太(彼女募集中)