はじめに

 もともと、amazonのレビュー用に書いて一度投稿もしたのですが、読み直していたら書き直したい所や表記上の誤記なんかが次々に見つかり、そのたびにアカウントにログインして編集するのがわりかし面倒であることに加えこれはまったくamazonのレビュー向きの文章ではないなとも思いましたのでこちらに掲載するという選択をしました。(杏ゝ颯太)
 


 《フェイクワールドワンダーランド》は、きのこ帝国四枚目の複数曲収録作品である。
 きのこ帝国の音楽を日常的に聴くようになって半年ほどになるが、本作までに発表されたきのこ帝国の複数曲収録作品ーー《渦になる》、《eureka》、《ロンググッドバイ》ーーは、佐藤が吐き出す諸々の言葉(Words)の荒ぶる魂を清涼感たっぷりのサウンドで鎮めている、いや、鎮めようとしている印象が強くあった(鎮魂)。そのため、全体的なトーンとしては数々の強い言葉があるにもかかわらず、きのこ帝国の音楽を聴いている最中は体温がすーっと下がっていく自分自身の姿を必ずと言って良いほど確認することが出来た。
 
 しかしながら、一つ一つの作品を初めから最後まで聴き終わると、私はいつも同じことを思わざるをえなかった。毎度のように私にあることを思わせる原因は、すべて作品の終わり方にあった。それは、荒ぶる言葉の魂の鎮まり切らない残余のようなものである。

 きのこ帝国の作品は、決して気持ち良く聴き終わらせてはくれない。
 
 具体的に書いていくと、まず、《渦になる》のクライマックスである。普通に考えれば、〈夜が明けたら〉で終わるはずである。
 〈夜が明けたら〉のラスト、二度目の「復讐から始まって…」から「でも、でも、でも、でも、」と四回繰り返され、そして、「夜が明けたら/夜が明けたら/許されるようなそんな気がして/生きていたいと、涙が出たのです」と絞り出されるやいなや「夜が明けるよ、夜が明けるよ/ほら夜明けだ」へと向かう流れは圧巻であり、まさに作品の終わりに相応しい。というか、これ以上の終わり方は考えられないぐらいの展開である。
 
 しかし、終わらない。
  
 《渦になる》は、まるであの夜明け=終わりが不完全であったことに気付いてしまったかのような〈足首〉という曲で終わる。
 
 《eureka》ではやはりラストナンバー〈明日にはすべてが終わるとして〉から〈シークレットトラック〉へと移行する間に生まれた三分間の沈黙が嫌でも印象に残る。
 
 私はきのこ帝国のライブには行ったことがないけれど、セットリストを見る限りライブでは必ず最後に歌われる曲、それが〈明日にはすべてが終わるとして〉である。
 ライブでは一体どのような終わり方をするのか定かではないが、ライブでのラストナンバー定番曲である〈明日にはすべてが終わるとして〉はこの作品内では見かけ上のラストナンバーにすぎない。
 そのため、いくら〈シークレットトラック〉の綺麗なコーラスで作品全体が締められるにしてもこの三分間の沈黙は気持ち良さからかけ離れ不気味でさえある。

 前作《ロンググッドバイ》の場合、四曲目の〈FLOWER GIRL〉が、まるでその前の別れの決意や儀式をすべて無効化してしまうかのような印象を与える。
 直前の〈パラノイドパレード〉と併せて考えると、別れの悲しみの残余を振り払うための飲酒とそれによるハイテンション=〈パラノイドパレード〉、そしてそこから酔いが醒めて素面に戻ってしまった=〈FLOWER GIRL〉という展開だろうか。
 ラストナンバーである〈MAKE L〉で再度綺麗に浄化したため終わりの終わりに些かの心地好さは生まれているが、この作品でも何かを綺麗に浄化=終わりに出来ずそれに伴って必ず表れる残余の痕跡がしっかりと刻み込まれている。

 前置きがかなり長くなってしまったが、では今作はどうだろうか?
 
 全体的な流れとしては、これまでのどの作品よりも全体の流れは綺麗である。
 思えば、今作は先行シングル〈東京〉が既に話題となっていたり、一曲目の〈東京〉とともに収録曲から公開されたMVが二曲目の〈クロノスタシス〉であったこともあり、話題はほとんどすべて作品の前半に集中した。
  
 しかし、やはり今作でも作品の終わり方には着目せざるをえない。

 《フェイクワールドワンダーランド》は、アニメのエンディング用に縮減された部分のみをひたすら反復したような〈Telepathy/Overdrive〉で終わる。

 この曲自体は、とても清々しい。
 しかし、この作品のクライマックスは十曲目〈疾走〉における、「いつかまた会いましょう/どこかでまだ息をしてる」の部分ではないか。
 凄く曖昧な表現で申し訳ないが、明らかにここだけ違う空気が流れている。
 
 《渦になる》で夜明けの到来を表現し、《eureka》で、「曖昧なあなたに騙されて/過去すら愛せそうさ」と歌い、《ロンググッドバイ》では「さよなら ありがと 幸せになってね」と言い切ったのと同じ強さがこの言葉、この場面にはある。

 そして、今回もその完全さ=終わりの到来のあとに、不完全さがやってくる。
 もはやお馴染みの光景に対して歌い手は半ば呆れ果つつ、ユーモアを交えながら(「たぶんゲームオーバー/気付かないふり」)作品はとりあえずの終わりを迎える。

 「終わりは先のばしに」
 (〈Telepathy/ Overdrive〉)