"ブータン風景" 撮影:Göran(Kartläsarn)
【画像引用】GATAG|フリー画像・写真素材集 3.0 http://free-images.gatag.net/tag/landscape-bhutan
【幸福以外の、何か】ブータンについて---01から続く
ブータントラベラー
翌日、受信トレイに「ブータントラベラー」という旅行代理店からメールが入っていた。差出人はカルマ・タシKarma Tashiという人物。私が問い合わせたグループ旅行については、現時点で参加者はいないが、私が行くのなら旅行手配するとのこと。ブータン行きのフライトは少ないので、11月に行くのなら9月中に席を押さえたほうがよい、とあった。
グループ旅行で、ほかに参加者がいない!
これって、滅多にないチャンスなのではないか?これでブータンに行かなかったら、この先何年も「あの時行けばよかった!」と思いながら過ごすことになるのではないか?メールには、ブータンへのフライトは1ヶ月前までなら無料でキャンセルできるので、予約だけしてはどうかと書かれていた。私は、「とりあえず予約してください」と返事を書いた。
10月に休みを取って瞑想のコースに参加する予定だったのだが、それは取りやめにして11月に休みを取ることで勤め先と調整した。
ブータンへのフライトを運行するDruk Airの搭乗地はタイのバンコクだ。ロサンゼルスからバンコクまでの往復のフライトは自分で手配しないといけない。休みの日程が確定するのを待って、チケットを買った。それと前後して、旅行代金とバンコク←→ブータンの航空運賃をブータントラベラーに支払った。カード決済はできないというので、わざわざ銀行の支店まで出向いて国際送金した。ガイドブックは書店で見当たらなかったのでAmazon.comで注文したのだが、扱っているのはUKの書店で、ようやくこのタイミングで受け取ることができた。行程の複雑な旅行になるので、旅行保険に入った。往路はインドを経由するのでインドのビザが必要だったが、代行業者を利用して手配をすませた。
こういった煩雑で手のかかりそうな事柄が、まるで私の意思とは関係なく勝手に進んでいくよう見えた。何もかもが意外なほどスムースで、普段使わないような金額のお金が出て行くのも、大して気にならなかった。詐欺に遭う時ってこんな感じなのかもしれないと思った。
私を呼んだのは誰だ
国境は接していないが、ブータンはネパールのほぼ東隣だ。山好きの人は、西ブータンのヒマラヤ山地でトレッキングすることが多いようだ。首都ティンプーと国際空港のあるパロも西ブータンだ。でも私がトレッキングするのはブータンの東端。トレッキングのプランを選ぶのに重要だったのは日程の長さと難易度で、場所はどこでもよかったのだが、たまたま東だったのだ。
手に入れたガイドブックによると、東部地方には西部や中央とは違う文化があり、長いあいだ外国からの旅行者は立ち入ることができなかった。それがふたたび開かれたのは、いまから5年ほど前だという。ブータンでは近年まで車による移動は一般的ではなかった。私がトレッキングする山地にも自動車の通れる道はなく、代わりに荷役の動物や人間が通るトレイル、放牧で生活する人たちの村があるのだという。ただ、道路の建設も進んでいて、来年か再来年には開通する見通しなのだそうだ。そうなれば村の生活も一変するだろうし、いま見ておく価値はあると確信した。
9月の半ば、ロサンゼルス近郊で仏教系のイベントがあった。テーラヴァーダ系のさまざまな宗派の僧侶が100人集まって法要を営むという混沌とした行事だったが、8月にフェイスブックでDrexlerの記事をシェアしていた知人も来ていた。フォトグラファーの彼は、この日もイベントの写真を撮るのに忙しかった。その彼をわずかなあいだ捕まえた。ブータンのことを話したかった。
「10月の瞑想のコースに参加する予定だったんだけど」
「ほんと!? 僕も参加する予定だよ!」
「予定だったんだけど、それは取りやめにして、11月にブータンへ行くの」
「ブータン?瞑想するの?」
「いや、旅行とトレッキングなんだけど。あなた先月、フェイスブックでブータンについての記事をシェアしていたでしょう?あれがきっかけになってね」
「ブータンの記事?」
彼は怪訝な表情をみせた。
「僕はそんなのシェアしてないけど?」
え…私がDrexlerの記事を読んでから、まだ3週間たっていない。シェアしたのに忘れてしまったということもないだろうから、本当にシェアしなかったのだろう。
それなら、いったい、あの記事はどうやって私の目の前に現れたのか?
ひょっとして、大金を払ってブータンに行く必要なんてなかったのではないか?
それとも、何かが(フェイスブックが?)私をブータンに引き寄せているのだろうか?
もしそうなら、それにわざわざ飛び込んでみたくなるのは、どうしてなのだろう?
もうひとつの人生
あの時、別の選択をしていたらどうなっていただろう...
考えても仕方のないことだとわかっていても、誰でもそんなふうに考えることがあるのではないだろうか。
私は人生のどういう時点でどういう選択をしても、結局、今の自分にしかならなかったと思う。でも、今も時々思いを巡らすのは、17歳の時の私の選択だ。それは些細と言ってもいい、研修旅行の行先をどこにするかということだった。
私は高校2年生だった。小学生の頃からガールスカウトに参加していたが、その年は特別に海外研修の企画があった。まだ海外旅行が一般的ではない時代で、私も外国の文化には普通並みの興味しかなかったが、集会の時に研修旅行のチラシをもらってきた。チラシにはスカウト活動の発祥である英国、世界連盟の研修設備のあるスイス、インド、そしてメキシコでの研修の要綱が書かれていたが、参加費用は高額で、両親に気軽に頼める金額ではなかった。でも相談したら、不思議なことに行ってもいいよ、と言われた。
スイスが世界的に有名な観光地であることは高校生の私でも知っていて、憧れないでもなかったが、参加費は高かった。英国も同じくらいの金額だったので、インドかメキシコのどちらかにしようかと思った。どちらの国も「先進国ではない」くらいの知識しかなくて、どっちでもよかったが、メキシコ研修の日程のほうが短くて、学校の授業を欠席する日数が少なくてすんだ。
そんなどうでもいいような理由で、1980年の早春にメキシコを訪れた。
外界からの刺激に対する免疫は十分にあったはずなのに、ものの見事にメキシコに感染してしまった。初めて体験する海外の文化は強烈で、私の18年分の文化経験を根本的に見直さざるを得なくなった。あの時の直感は当たった。私は海外で異邦人として暮らすようにできているのだ。帰国するとスペイン語を学べる大学を受験することにして、それまで参加していたガールスカウトの団体には丁寧な手紙を書いて退団した。
Photo:"A friendly police officer let me use his cap... I was 17."
何もかも、あの時から始まったのだと思う。
あの時メキシコに行ってなかったら、2014年の時点でスペイン語を話す私がアメリカに住んでいるなどという事態はありえない。
だからいつも思うのだ。あの時、メキシコでなくてインドへ行っていたら、どうなっていたのだろう。あの時インドへ行った別の自分が、どこかにいるような気がする。もう片方の自分は、インドへ行った後どんな経験をして、今どこでどんな暮らしをしているのか。
その片割れの自分も、私のことを探しているだろうか。私は結局、彼女のようになってしまった。仏教に関心を持ち、瞑想するようになった。1980年にメキシコに心を齧られた私はスペイン語を学び、メキシコに仕事を得て、そこから米国へ移住した。でもブータンに行ったら、自分の片割れに会えるのだろうか?
ブータンでそういう誰かと会えるだろうと、本気で信じているわけじゃない。でも34年前に手放してしまった何かを回復することになるのかもしれない。
余談になるが、私と似た誰かが、南カリフォルニアのどこかにいるのだ。瞑想センターや瞑想関係の行事で、よくその人物と間違えられる。9月の法要の時も、見知らぬ人から、別のイベントで会ったことがあると言われた。もう慣れてしまったが、いずれその人物と出会うことがあるだろうか。
人に言えない趣味
旅に対する過剰な期待は禁物だと自戒する。過剰にセンチメンタルな経験は願い下げだと、私の心のドライな部分がつぶやいている。気乗りしないという理由だけでキャンセルできない長い旅行は2回目だ。1992年にオートバイで中南米を縦断したときのことを思い出す。あの時も、旅行前はこんな気持ちになったものだ。
10月の半ば、地元のマラソン大会に参加した。フルマラソンを完走したものの、夏のあいだトレーニングした疲れが出たのか、本当に何年かぶりに風邪をひき寝込んでしまった。だるいのは辛いが、何日か寝たまま過ごせばマラソンで痛めた足も元に戻るだろう。ブータンではトレッキングするから、足の状態に不安があるのは絶対にダメだ。もうろうとした頭でPCを立ち上げると、カルマからメールが入っていた。ブータン入国に必要なビザ手続きがクリアされたという通知と、旅行中の注意事項を細々と記したPDFの文書が添付されていた。
トレッキングには飲料水を殺菌するための錠剤を持っていったほうがいい... トレッキングのサポートチームへのチップの目安はいくらくらい... こういう事務的な事柄を手際よく片付けていかないと、出発直前にパニック状態になる。ブータンへ行っているあいだ3週間以上職場を空けるので、不在のあいだの仕事がうまく回るように仕込み作業も必要だ。うかうかしていられない。こういうとき、時間が経つのは本当にあっという間だ。
マラソン大会と前後して、学生時代の友人が日本から訪ねてきた。ロサンゼルス近郊の街で日本人の男性3人組のコンサートがあるので、それを聴きたいのだという。おとなしい性格の彼女は未婚のまま実家に住んでいるが、数年前から各地で催されるそのグループのコンサートを聴きに行っているのだ。いわゆる「追っかけ」だが、内向的な彼女は「追っかけ」をしていることをあまり人には言わないようだ。
中年の女性が若い男性グループの追っかけをするというのは、世間体がよくないのかもしれない。でも誰かに迷惑がかかるわけじゃないし、そういうものが好きなら好きと言えばいいのに、と思った。しかしよく考えれば私も同じ穴のムジナで、瞑想するだの断食するだの、むやみに人には言わないようにしている。関心を持ってもらえる可能性より、変人扱いされるリスクのほうが大きい。ブータンへの旅行も同じで、この時点では家族と少数の知人以外には話していなかった。私のパーソナリティをよく理解しない人たちからああだこうだと言われたり、うらやましがられたり、呆れられたり、そういった反応を見ているとそれだけで消耗してしまう。
自分の性癖、しいては自分自身を公示するのに必要な気力は私にはない。だから自分のことを、こんな所にこんな風に書いているのだろう。
【出発】(ブータンについて---03)へ続く