【目次】
◇『高架線』先行研究◇「羽根」のない主人公◇馬から鉄道へ◇上下と動不動◇「喘息」で繋がる/が繋がる◇『蟹工船』から『高架線』へ※ 転載元:パブー(Puboo)
◇『高架線』先行研究
横光利一の短篇小説『高架線』は昭和五(一九三〇)年二月、『中央公論』に発表された。建築中の高架線下の空間に生まれた、多くの浮浪人たちが集う「洞穴」を舞台に、元浮浪人で夜警の仕事で周辺を見回る高助の哀れな死を描くこの小説は、先行する言説においては、余り重視されることのなかったテクストである。井上謙は同時期の『鳥』と共に『上海』以後の横光文学の新たな「転換」点を見出している(『横光利一 評伝と研究』、二五七頁、おうふう、一九九六・一〇)。同時代評の阿部知二(「小説月評」『三田文学』、一九三〇・三)も、力点は『鳥』にあるものの、既に似たような見解を提示していた。だが、いずれにせよ『鳥』に比べれば『高架線』への言及は淡白だ。
そんななか、渡辺郁雄「「高架線」に関わる資料的エッセイ――〈襤褸の群〉の意味するもの」(『日本文学論叢』、法政大学大学院、一九八八・九)は、多くの点で注意を引く。渡辺は、『高架線』が「東洋唯一の地下鉄道」の謳い文句で始まった大正一四(一九二五)年の神田―浅草間の工事から、その途中に上野―万世橋間の昭和二年(一八二七)年着工を経て、上野―万世橋間が開業する昭和五(一九三〇)年一月までの歴史的事実に基づいて執筆されたことを明らかにした。また、渡辺は同時代小説としての「ルンペン文学」の流行、マッカレイ『地下鉄サム』との比較、横光作品史における意味、プロレタリア文学とは異なる非階級的差異の発見など、興味深い論点に言及しながら、一九三〇年代の横光文学の再読の必要性を主張している。部分的には疑問もないわけではないが――例えば、最後の場面で登場する「赤貝」を「〈お倉〉の〈こぶらの半面〉を更に大きく象徴的イマージュとして表現した言葉」と渡辺は読んでいるが、その前の記述に「咳に代つて血が咽喉から噴き出て来た。彼は彼自身の血の後を追ふやうに頭をますます深く、掘り下げた下駄の穴の中へ突つ込んだ」とあるのだから、「赤貝」とは喘息に合併して起こった結核ないし肺疾患ゆえの大量喀血(血の塊)ではないか――、『高架線』理解には欠かせない論考といえる。
『高架線』と同時期、武田麟太郎に小説『高架線の下』が、宮沢賢治に小説『高架線』があることを指摘している十重田裕一の言及(「作家案内」、横光『愛の挨拶・馬車・純粋小説論』、講談社学術文庫、一九九三・五)。また、『鳥』『機械』などと共に『高架線』を読解し、末尾で昭和五年の横光文学における「監視」というテーマを示唆している渥美孝子の論文(「「高架線」から「機械」へ――昭和五年の横光利一」、『横光利一研究』、二〇〇六・三)など、少しずつだが『高架線』は正当に評価されつつあるといえよう。
こういった先行研究を踏まえた上で以下試みてみたいのが、『高架線』の独立した論考である。既存の『高架線』に対する言及は、他の横光文学との比較や呼応関係の関心に中心化されて書かれてきた。勿論、そのような成果を否定することはできないが、しかし、他の文学テクストとの対応に中心化された読解はややもすれば眼前にある対象テクストの細部を読み逃す危険性を伴うだろう。ここでは徹頭徹尾、文学テクストが提示している独自の小説世界を読み進めることで、『高架線』というテクストの理解を深めたいと思う。ただし事前に断っておけば、本稿は決定的な『高架線』論というよりも論のためのメモを集合させた感が強い。「覚書」と題する所以である。
◇「羽根」のない主人公
主人公の高助は「傴僂の老人」で、「今にも羽根の生えさうな格好」で歩く。この身体的特徴が象徴しているように、或いは、「高」という名前が暗示するように、高助は、垂直的に上昇していく志向をもった登場人物である。それは、間接的に類推される彼の職業意識に強く表出されている。元々高助は自身が浮浪人だったが、「鉄の洞を根拠として動かぬ者が三十人ほども集つてゐた」高架線状況の治安悪化を懸念して「町会は紹介所から廻されて来た浮浪人の高助を拾ひ上げて来て、夜警にした」。
そこに生じるであろう有職者としての意識は、その対比となる無職者への非道な仕打ちに間接的に表現されている。つまり、高助は「怒こることだけが此の世の何よりの楽しみになつて」おり「洞穴の中の浮浪人を嚇しつける恰好ばかり考へ」、「彼は用もないのに出て来ると竹で地べたを叩きながら、呶鳴り立てる」。「夜警」として雇われている高助には、「地べた」にいる浮浪人にはない「高」さがある。「洞穴」の近くには行列のできた「職業紹介所」があり、「職業」を獲得しえた高助にとって浮浪人の群は自身よりも低次の存在として格づけされる。
事実、「洞の中では、職業紹介所からあぶれて来た老人連がだんだん多くなつて」来る。そのなかには「馬の絵ばかり書いて楽しんだ」「画家」(「炭で地べたに絵ばかり書いて喜ぶ男」)がいるが、その後の記述で明かされる「職業紹介所の前」に「馬が一疋」いることを考えれば、彼は「紹介所」を訪れたものの「紹介」に与れなかった者であること、或いは、「紹介所」に対して何がしかのコンプレックスを抱いている者であることが予感され、そういった浮浪人の集まる「洞穴」は「紹介所」から落伍した者たちの受け皿として象徴的にテクスト内で位置づけられているといえる。渥美孝子は「近くの「職業紹介所」に並ぶ労働者の列にも加わろうとしない」ため、彼らが「無気力と社会に適応しない頑なさ」をもっていると読むが、この解釈は以上に述べてきた理由により疑問を感じさせる。彼らは社会適応の努力の結果、しかしそれでも社会から見捨てられた者たちなのではないか。「洞の中の老人達は今日こそと思つて出かけていく。すると、またはじかれて落とされる」という挿話で暗示されるのは、度重なる就職活動の失敗によって当初抱けていた気力や努力の意志が徐々に削がれていくという人間心理の素朴なメカニズムである。
だが、渥美のいうように、少くとも浮浪人たる「彼らと、夜警という職務に嬉々として従う高助との対照」があることは確かである。そして、その対照的な高低差を意識することにこそ、高助の「楽しみ」、自尊心の源泉がある。だから、自身の「夜警」に馘首の可能性が示唆されると、高助は極度に不安に曝される。「高架線」が出来上がると取り払われるであろう「旧線の踏切番」をしている、高助の友人の保市は、彼に対して「お前さん、首になつたら、どこ行きだ」という問いかけをする。
「或る日、保市は高架線を見上げながら高助に云つた。/「お前さん、首になつたら、どこ行きだ。」/「俺ァ、首になんぞならねえや。」/「ならねえたつて、お前、あれが出来りや、お前も俺もゐられめえ。」/「ならねえ、ならねえ。」/亀のやうに傴僂を張ると急に高助は歩き出した。が、またくるりと廻つて戻つて来ると、/「ならねえぞ。」/「ならねえたつて、考へて見な。線が出来りや、お前も俺もおけらぢやねえか」」(『高架線』)
執拗に繰り返される「ならねえ」は、高助にとって真に先鋭的な危機感を逆に表現してしまっている。「ならねえ」という可能性の否定は、なってはいけない、なって欲しくないという強い願望の変形といえよう。「首」になれば「楽しみ」は奪われ、「夜警」として足蹴にしてきた浮浪人の群に、再び回帰することになってしまう。自尊心を構成していた高低差の意識が、危機に際して、自分自身を苦しめる宿痾ともなる。いかに「今にも羽根の生えさうな格好」で歩こうとも、彼の背中に「羽根」は生えない。高助は地に堕ちて行く主人公として設定されている。保市は「おけら」と比喩するが、それは小説末尾の喘息で苦しみ「両手で穴を掘り始め」る高助の姿を予告している。
◇馬から鉄道へ
「馬」について言及した。旧線の撤廃と日本初の地下鉄工事といった近代都市の交通トピックを取り扱っているこのテクストにおいて、「馬」の存在は無視できない。というのも、近代の電動交通機関以前は日本は主要な動力源として「馬」を利用していたからだ。近森高明は「地下鉄のなかの都市――1920年代東京における地下鉄の導入過程について」(『Japan Women's University journal. The Graduate School of Integrated Arts and Social Sciences』、日本女子大学、二〇〇九・三)のなかで、日本初の地下鉄は、最初期は線の短さもあって交通機関というよりかは一種のアトラクション(「玩具」)として消費されていた傾向を指摘し、現実にある地下鉄の実態以上に過剰に語られ夢見られる(理念的存在としての鉄道に関する)言説の束を「地下鉄言説」と呼んでいる。地下鉄工事中の火事を「小判」と幻視する浮浪人の挿話が示しているように、『高架線』も一種の「地下鉄言説」(より詳細にいえば「地下」なるものに対して特別に活性化された想像力の言説)と呼べる側面をもっていようが、とくに興味深いのは、当初の鉄道が「馬なしの馬車」として、具体的には(速度ではなく)衛生的観点から検討されていたことだ。明治二六(一八二九)年の東京馬車鉄道が馬車から電気への変換を願い出る文書を近森は引用している、つまり「従来道路を損し塵埃を捲き糞尿を散する等馬車鉄道に於て避くへからさるの害を掃蕩し得て首府の観に一層の光彩を添へ一挙両全の策と確信仕候」(東京都編『都史資料集成』第三巻、二二四頁、東京都、二〇〇一・三)。馬は道路を破損させ糞尿を撒き散らす。この生物学的条件に対して、クリーンな環境造りの計画は、機械製の馬車、「馬なしの馬車」を要求したのだ。
この意味で、さりげなくテクストに登場する「馬」は、近代的交通機関の登場によってお払い箱になってしまった家畜として象徴的に捉えることが可能であり、これは同時に、「職業紹介所」に来るも適当な職を得ることのできない「老人」たち、そして馘首されて汚らしい浮浪人の群に回帰していく老人高助を比喩する特権的な動物として理解することができる。それ故にこそ、『高架線』の舞台が「馬」を追い払う交通機関をテクストの構図に組み込んでいることは看過できない。
高助は高低差的意識のなかで生活していた。それに相応しいかたちで、舞台は効果的に配置されている。つまり、「洞穴」を中心に繰り広げられる物語は、上部に位置する高架線と下部に位置する地下鉄道に挟まれ、そこは垂直性をとりわけて意識させる空間として構築されている。「昼になると、此の静かな洞穴を中心にして、上と下との世界は最も活動を続け出す。上は高架線の作業場で下は地下線の作業場だ」。その二つは「交錯〔クロッス〕」している。別の言い方をすれば、『高架線』の主要な舞台となる「洞穴」とは、高架線と地下鉄の間に位置する中間的な場所、それは近代的交通機関(移動手段)の間にできた間隙としての場所である。「市街をうろつく浮浪人のいくらかは、風に吹き寄せられた塵埃のやうにいつの間にか此の洞の中へだんだん溜まり込んだ」という記述で明らかな通り、高速で移動するヒト・モノの通路に挟まれた不動の群の溜まり場、そのような運動的対照を生み出す場所として捉え直すことができる。上下と動不動の二重対照がこの地でクロスしているのだ。
◇上下と動不動
高助にとってこの溜まり場は両義的な価値をもつ。高助がとりわけて「首」に戦く主人公であることは既に述べたが、「夜警」という群を管理するその仕事の内実は溜まった「群」の存在そのものがなければ成立しえないものだ。高助は浮浪人を「汚い」、「道へ足が出てる」などと高圧的に叱りつけるが、その逆説的事態は「だんだん浮浪人に養はれてゐるのは、「俺」だ」との反省を促すことになる。主人と奴隷の弁証法(ヘーゲル)にとって、対立関係を描きつつも双方のポジションの確立のためには双方の現存が不可欠だったように、高助という主は、浮浪人の群に依存することで初めて給与と高低差の優越感を獲得できる。しかしながらここでひとつの意想外な出来事が生じる。つまり、高助が実際に馘首されるのは高架線が完成して「群」が四散した結果ではなく、逆に「群」が溜まり過ぎ、老人である高助の「夜警」職の意義が町会で疑問視された結果だった。高助からしてみれば、職を守るためには、「群」は多すぎても少なすぎても駄目であった。丁度いい群、丁度いい汚さ、丁度いい治安悪化。この中途半端な悪状況が実質的には高助の有職性とその高低差的意識を支えていたのだ。
整理しよう。『高架線』というテクストは、上下の対照の構築(二つの工事)と対照的に動不動のバランスが破綻していく物語として規定できる。上下の中間に生まれた間隙としての「洞穴」は、群の収容所として機能し、その結果で新しい雇用を生み出すが、住み着いた浮浪人たちは動くことなく自然に増殖していき、今度は馘首の可能性をも創出する。一連の同質的な運動が雇用と馘首の相違する契機を提供するのだ。
なぜ浮浪人たちは不動化するのか。第一にそれは(おそらくは不況故に)「職業紹介所からあぶれて来た老人連が、だんだん多くなつて来」るという単純な量的増大が離脱者と釣り合いが取れてないということが挙がる。ちなみに、発表年である一九三〇年は昭和恐慌の真っ只中だ。しかし、それ以上に重要なのが、そこでは「食物がなくなると、浮浪人の中の若者は魚や香物を町から両手に持つて来て、老人や子供に分けてくれる」という一種の共同生活圏、「原始共産制社会」(渡辺)が成立している点だ。「こゝでは飢ゑるものは誰もなかつた」ために、最低限度の生活はできてしまう。一般社会からこぼれ落ちたルンペンにとっての自然発生的セーフティネットがこの「洞穴」なのだ。
◇「喘息」で繋がる/が繋がる
不動化した浮浪(=flow)者。その矛盾を孕んだような特異な集団が新しいセーフティネット、寝食を支える共同体を準備する。自生する共有圏。『高架線』というテクストは、他者との前言語的なコミュニケーションの位相を通じて、行政的に結びつく諸機関――つまり、高架線を建設した鉄道省、その迷惑を報告する町会、省からその対応を迫られる警察、そして町会が直接雇う夜警の高助、といった一連の権力機構――とは異なる、新たなコミュニティを立ち上げる結集の力学を描いている。言い換えれば、上下の対照の中間的な場所は、動不動のバランスの失調を手がかりに、上下(支配被支配)の管理に治まらないアナーキーな動きを創出することができる。不動の「群」はその場で律動することで、その共有の力をより大きなものにさせていくのだ。
具体的にはそれは「喘息」の連動に代表される。『高架線』の世界にあって、「喘息」は共有圏に属す成員の証であるかのように多数の浮浪人を犯している。先ず高助にとって「喘息」は「長い浮浪生活から生長させた彼の唯一の不動産」であった。その稀有な所有物は、しかし、専有というよりも共有の契機として働き、「喘息」の連動のなかで新しい関係性を育んでいく。実際、「喘息仲間」の保市は夜中突発する喘息の発作故に「街路の石に抱きついたまま、朝まで咳き続ける」習慣によって結ばれた友人だった。
稀有な「不動産」が興味深いのは、それが所有者の意志如何に関わらず、伝染的な契機を勝手に開き、目の前に生まれた運動に半強制的に巻き込むような受動の体勢を準備している点だ。「首」を暗示され、保市と仲違いしていた高助は、彼が喘息で苦しんでいるのを目撃すると「急に自分の息も詰つて来」て、「迫つて来る保市の咳が背中へ乗り移つて来」る。「たうとう引き摺り込まれて彼も一緒に咳き出した」。
「保市は高助の瘤を踏台のやうに踏みつけながら、椅子の上へ円くなつた。二人は一つの椅子を中心に下と上とでかはるがはる咳き続けた。ぶくぶく二つの背中が波を打つた。喉が伸縮しながら、絞るやうに、鳴り続けた」(『高架線』)
工事の舞台設定を模倣するかのように、「咳」は相互に触発し合って上下間の共同する運動に巻き込まれていく。しかし、前述してきた個々別々に工事していた舞台設定とは異なり、その運動には「かはるがはる」という呼応性が存在する。上の咳は下の咳を呼び出し、下の咳は上の咳を触発する。この運動は、権力機構の管轄や有職性に代表される高低差的意識などすぐに解消させ、伝染を通じて伝染対象を拡大していく、自己増殖する「不動産」を暗示している。これは当然、特異な「群」のメタファーとなる。小説末尾、夜警を馘首された高助は、「洞穴」のなかで暮らす若い女、「触つた男が忽ち彼女の餌にな」る「男を選ばな」い「お倉」を求めて、夜の「洞穴」を彷徨く。ここにも「女」の共有がある訳であり、職を失った高助はそのような共有圏を自ら望むようになる訳だが、その接触の最中に「喘息」の発作が始まると、発作はやはり穴全体に伝染していき、「巨大な器官」が構成されることになる。
「初めはそれは共通した巨大な器官から吹き出す噴出物であるかのやうに、合唱しながら、一連の咳きが停ると、また一連の咳きが、舞ひ上つた。と、それらの咳きの中心は気圧のやうに追つ駈け合ひ、絡まり合ひ、だんだん高調に達すると、乱発しながら、崩れ出した。転がるもの、這ひ出すもの、抱き合ふもの、――ざわめき立つた洞の中では、鍋が飛んだ、草履が柱から柱へ叩きつけられながら、渡つていつた」(『高架線』)
洞穴内の人の密集性によって「それらの団塊の間に挟まれた新聞紙の乾いた部分が、じくじく濡た部分に食はれていくだけだつた」とテクスト冒頭付近で述べられていたわけだが、正しく乾いた「新聞紙」が水分に浸され「食はれていく」ように、「喘息」の連動も「共通した巨大な器官」となって、身体と物と空気を通じて拡がっていく。そして、その「器官」は絶対的な単位ではなく、「乱発しながら、崩れ出し」もするように分解して、騒々しさの新たなハーモニーを奏でる。ここには雇用と被雇用といった上下の関係性なく水平的に力動する集団的結合体がある。
◇『蟹工船』から『高架線』へ
思えば、プロレタリア文学の名篇、小林多喜二『蟹工船』が昭和四(一九二九)年五月に『戦旗』に発表されるさい、多喜二は「プロレタリア・レアリズム」の提唱者にしてマルクス主義文学の理論的支柱であった蔵原惟人に宛てた書簡に「この作には「主人公」というものがない。「銘々伝」式の主人公、人物もない。労働「集団」が主人公になっている」と記し、更には「「集団」を描くことは、プロレタリア文学の開拓しなければならない、道であると思っています」と綴っている(一九二九・三・三一)。実際に『蟹工船』の労働者には固有名がなく個人的意識を超えた動的な「集団」運動が記されていた。或いは、これに先行して多喜二は『一九二八年三月十五日』(『戦旗』、昭和三(一九二八)年一一~一二)のなかで、「インクに浸された紙のように、みるみるそれが皆の気持の隅から隅まで浸してゆくよう」な「たった一つの集団の意識」をもつ運動家集団を描いている。
このような意識と、『蟹工船』の一年後に発表された『高架線』を合わせて読んでみたとき、多喜二が看取した「集団」という対象は、狭義のプロレタリア文学だけではなく、それと対立的だとしばしば看做される新感覚派のテクストにさえ実際的には通底していた、いや、〈伝染〉していた可能性に迫られる。『高架線』には、例えば党や指導者によって組織される前の、上位下位の位階制を認めないですべてを運動に巻き込む無秩序的な運動体があり、それは新感覚派的プロレタリア文学という(教科書的な文学史には登場しない)アマルガムを予感させるものである。「インクに浸された紙のように」、「新聞紙の乾いた部分が、じくじく濡た部分に食はれていく」仕方で、テクストは浸透し合う。
無論、集団礼賛で終わるわけにはいかない。高助は「共通した巨大な器官」のうねりのなか、「周囲の足が、彼の身体を突き合ひ」「足と足との波の中で」大量吐血して息絶える。或いは、多喜二のテクストでは後年、裏切り問題や密告者に対する疑心暗鬼が高まり、最終的にそれはリンチ共産党事件を帰結させた。いくら個人がある集団に同期し一体化しても、個人の死と集団の死の間にはギャップが残る。その解消不能な異和は、正しく一つの間隙として、新しい諸問題を寄せ集めてくるだろう。しかしながら、その問題群に着手するには準備が足らない。今後の宿題とする。
(『高架線』の引用は『定本 横光利一全集』第三巻(河出書房新社、一九八一・九)を用いた。引用文中の/は改行を示す)。
(2014/10/01)