凡例  

1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録“ Imagination et Invention ”(Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(49‐50p)である。 
2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。
3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
 


3、期待の肯定的な状態でのイメージ

 期待の状態が、欲望やアクティヴな探求を含んだ肯定的なものであるとき、イメージは増幅的な投影にも対応しているが、近いものと遠いものとの二分法が前提となっていないため、二重化は創り出されない。期待の肯定的状態は障壁と現実的な距離を無くすことで働く。畏れによって構成された超越とは逆に、肯定的欲望はイメージを内在の関係に従って構成する。

 おそらく、ルクレティウスの分析は古代の神々すべてに適用されるものではない。畏れのなかで祈祷する者と血まみれの生贄を捧げる者とは同じ段階にはない。都市での遠のいた公式的な宗教の下では、集団的な儀式のために日常の思考の内省のなかにある内的人間にとってより一層の意味をもつ通過儀礼的崇拝が発達する。さらにいえば、畏れはイメージに向かう欲望を刺激できるだろう唯一の強力なモチーフではない。行方不明者と死別することの未練、彼らを見つけ出し、一緒に生き続けようとする意志、これらは同じく強力な動機づけ〔モチベーション〕だ。将来の新しい結集に向けてアクチュアルな別離の状態を過ごすこと、それはオルフェウスがエウリデュケを探して彼女を光に連れ戻すように、前に進むため〈地獄〉に導かれる道を探し求めることだ。旅、前進、通過、浄化、期待には絶たれたものを結び直し、死者が持っていた権限との仲介をそこで見つけ出す意味がある。希望は交通路を探して旅の準備をする。つまり希望のイメージは身を守るために間を開けようとしない〔超越を作らない〕。これらイメージは超越に立脚していないが、生と死の岸辺rivagesの間の連続性の道を通す。主体こそが旅にふさわしくあるために自らを変え、自らを浄化せねばならない。彼方は今ここから、最初の一歩から始まる。

 仲介médiation、つまり人間性を通じて人間存在の形になった神的なものに宿命づけられた啓示の内在は、誕生したばかりのキリスト教という希望の宗教に見つかるものだ。受肉の観念そのものとキリスト降臨のイメージは、疎外の反対であるその運動を要約している。まるで私たちが手を出すその棚板のように、神的なものはそこに、「イマココhic et nunc」に、麦わらや森にありうる。降臨は神的なものとの距離がないことのイメージである。子供の生命のように、神的なものがそこで始まる。他方、内在は内在的であるものを閉じ込め抑制しているようにみえるために、内在immanenceの語彙は間隙なきその発生を表現するのに完全には適してはいない。希望に従った予測はひとつの誕生であるかのような現在時との関連のなかで連続性をもたらす。
 
 永遠の次元は連続性を獲得すると共に、希望の個体的宗教において、個人的な未来の予測として様々な意味も獲得する。個人的な永遠とは、新しい生命、風見鶏の克服された死の提灯のなかに見られるような(オルレアン付近のジェルミの墓地)、朝と炎によって象徴化された復活だ。新生と復活は、現前する現実が決定的でも不可逆的でも全くないところの、予測の諸モードのなかにある。というのも、死そのものは絶対的な障害物でも、障壁でもないからだ。転生や復活の予測は死を克服して最初の存在〔転生や復活以前の存在〕と共に時の連続性を再開させる。

 ざっとやろうとしても、様々な人びとが将来の生を喚起してきたところのイメージの豊かさと多様性すべてに言及することは不可能だ。とりあえず古代の信仰に関しては、美しく深淵な著作が存在している。つまりフランツ・キュモンの、『永遠なる光Lux Perpetua』である。



【訳註】

オルフェウス――ギリシア神話に登場する吟遊詩人。妻エウリュディケが毒蛇にかまれて死んだとき、妻を取り戻すために冥府に入った。冥界から現世へと帰る途中、目の前に光が見えあと一歩というところで、「決して後ろを振り返ってはならない」という命令に背き、妻の奪還に失敗する。
仲介――聖なるものと俗なる存在との間に交流を生み出し,両者を結びつける働きをする者。神と人との間を取り結ぶイエス・キリスト、神とイスラエルとの間の仲介したモーセなど。
風見鶏の克服された死の提灯――教会周りの庭園にある死者を想うための風見鶏付きの提灯台。
フランツ・キュモン――Franz Cumont(1868-1947)、ベルギー生まれの古代宗教史の研究者で、ミトラス教研究で有名。『永遠なる光Lux Perpetua』はキリスト教以前のローマ帝国における来世信仰と哲学の関係を描いたキュモンの遺作。