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(撮影、編集:東間 嶺、以下全て同じ)

【承前】各駅電車のステージ(第2回)

 子高生の体が、電車の揺れによって傾き、体にぶつかった。彼女の髪の匂いなどを嗅ごうと、息を吸い込んだ。彼女の右手の指は、携帯、ではなくスマフォの液晶上をせわしなくも優雅に飛び回っている。

 かちかち、かちかちかちかちかち(実際こんな音はしないが、おれの耳は『ケータイ』から脱却していない)。

 T高校の制服を着ているこの娘は、おれの降りる駅の一つ前の駅で降りていく筈だ。誰にどんな内容のメールをしているのだろう。あんなに一生懸命にメールするような友達がおれにはいない。肩越しに画面を覗いてみようとしたが、角度が悪く反射して見えない。

 この娘は紺のソックスを履いている。それは今知った情報ではなく、さっき見て気付いた事だ。スカートの影に覆われた白いふくらはぎにぴったりと張り付いたソックスの様子は可愛らしく、学校が終わって家に帰り、それを脱いだ脚にはうす赤くゴムの凹凸が肌に残っているだろう。ベッドに腰掛けて彼女は一人、なんとなくその跡を自分で撫でてみたりするかもしれない。指先が凹と凸を交互に、順々に上がったり下がったりを繰りかえしながら、肌の上を滑っていく。

 うんこ、などという語を発するべきではないな。

なんていうか、どこか真剣味の欠けているような印象を相手に与えてしまうんですよ、うんこ、なんていう言葉は。下手をすれば、その印象によって確信犯の類いと見なされてしまうかもしれない。

 つまり到底許容することのできない法律違反者、あるいは性犯罪者として女性たちにジャッジされて、たとえ個室に入ることができたとしても、大便をしている間に駅員を呼ばれ、「出て来なさい」と威圧的にドアを叩かれ、「ちょっと待ってください!」と慌てて尻を十分に拭くまもなく出て行った後で逮捕され、そして新聞に載る。何といってもおれは教師、公務員なのだ。

 ”中学校教師、駅の女子便所に侵入。うんこがしたいなどと"

 ほんの一言で印象というのは変わり、その些細な印象の違いによって社会の中での扱われ方が決まると言っても過言ではないのだ。「うんこ」と発言することは、デメリット以外には考えられない。では、どんな風に言えば良いだろうか? ぼくたちは社会の中で生きているのだから、いかに自分が緊急事態にあろうとも、できるかぎり冷静さを保って人に迷惑をかけないように努めなければいけないよね、とおれは生徒達に教え諭そうとする口調で自分に語りかける。例えば、こんなのはどうだろう?

 「すいません、洩れそうなんです! ごめんなさい」

 言い終わるか終わらないかのうちに、もう、個室に飛び込んでしまう。個室の中でも、「ごめんなさい! すぐ出ますから、ほんとごめんなさい!」と泣き声混じりに訴え、ついでにその証拠としての大きな放屁音、ガスのみならず液状のものも混ざっているような音を、演出する。演出というか、まあ自然に出てしまうだろうが、この音は実際に大便が出ているのだという状況証拠の提示としての機能のみならず、ある種の生々しい威圧感をも相手に与えることだろう。とにかく、緊急事態性をアピールし、おれのままならなさを相手に理解してもらうことが大切だ。

 仮におばさんが、それでも「やっぱりイリーガルはイリーガルだわね」と判断し、駅員に訴え出たとしても、緊急事態だったようだからあまり法律や規則をたてに責めたてるのも酷、というその心の迷いをどこかしかで表現してくれることだろう。

 その表現が、今度は駅員に情状酌量の心情を与えることになる。彼はきっと、「いくら漏れそうでも女子便所に入ったらいけませんよ。次からこういうことはしないようにね」などと苦笑する程度でおれを解放してくれるに違いない。もしもそのとき、ついでとばかりに、個室と個室の隙間から排尿する女性の尻を覗いてたって、大丈夫だ。おれは教師としての職も失わず、危機を無事乗り越えて社会的信用を守り、安定した仕事を保持できるというわけだ。

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 ………ん? 何かが間違っている気が。そうだ、あれは大学受験の浪人生のときの出来事だった。そうか、浪人生だったら失うものもなく、未成年だし、うんことか言っても大丈夫だったかもしれない。むしろそのような幼児語が女性たちの母性本能をくすぐり、許容してもらえた可能性も考えられる。

 女子高生の肩越しに窓に目をやり、家々や木々が過ぎ去っていくのを眺めた。家と家の切れ目に電車と垂直方向に伸びる道が見え、そこには人や車がいたり、時折T字路でその突き当たりの商店が見えたりしていた。おれは電車の速度で過ぎていく。向こうに続く道の、その彼方を眺めるのが子供の頃から好きだった。景色を見ようと窓の方を向いて座るおれの靴を、よく母親が脱がせてくれたものだ。

 空は曇っていた。その手前では、座っている中年男の典型的なバーコード頭がかくかくと揺れている。女子高生のセーターの肩のラインがかわいくて、ふと抱きしめたくなる。

(つづく)