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(撮影、編集:東間 嶺、以下全て同じ)

 大便を漏らしてから、そのままトイレの中で呆然としていた。
 すると、個室の一つが開いた。出てきた人と目を合わさずに個室に入った。

 ジーンズを、うんこがこれ以上付かないように、足と生地の間に隙間を作りながらゆっくりと脱いだ。右足を抜く時バランスを崩して、ドアに体を当てた。鍵の金具が腰に当たり、思わず「うっ」と声が出た。脱いだジーンズをフックにかけて、それからトランクスを脱ぎ、うんこが指に付かないようにつまんでそれをゴミ箱に投げ入れた。靴下を除いて下半身が全裸になったおれは尻を拭き、足を拭いた。トイレを流した際に貯水タンクへ注がれる水で、トイレットペーパーを湿らし、丹念に拭いた。

 逆境においてベストを尽くすべきだ、とそんな誠実な気持ちで拭いた。ジーンズの裏側を見ると、ケーキのデコレーション用のチョコレートのような、柔らかそうな便がねっとりと付着していた。一瞬そんなジーンズがゴミに見えたが、結局はこれを履いて外に出ていく他なかった。汚い駅の個室で、下半身のみを露出させ、せっせとジーンズの大便を拭っている自分の姿が、遠方から見えた。

 おれは受験生で、それは志望校の受験の当日だった。ゴミ箱の中では、誰かが捨てた雑誌の上に、おれの糞まみれのトランクスが覆いかぶさっていた。数年間使用した馴染みのチェックの模様がそこにあった。後からこれを見た人は、思うだろう。

 「ははあ誰かが糞を漏らしたな」と。その通りだ。

 ジーンズを履くと尻がひんやりした。一年かけて勉強してきた成果が試される入試の開始時間が迫っていた。その日の朝、心持ち、いつもよりもしっかりとした朝食を用意してくれた母親の姿が浮かんだ。彼女も心配しているだろう。まさか脱糞しているとは思わないだろう。人は他人の想像の届かないところに常にいる。父の浮気も、母にとってそのようなものだったのかもしれない。

 個室を出ると、空くのを待っていた眼鏡をかけた学生風の男が中に入っていった。振り返らずに歩いた。
 
 一年目はそのままノーパンで試験を受けた。女子も多く、試験会場といった緊張感漂う神聖な場でノーパンでいるということは、不思議と、ある種の性的な甘美さを感じさせてくれた。例えば、目の前で試験を受けている女の子に、それとなく自分がノーパンであることを知らせる方法は何かないだろうかと考えたりしたのだった。

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 しかし、またその一方で、ノーパンであることを意識する度に否応無く朝の脱糞を認識させられ、自分の排便すらままならない人間が果たして早稲田に受かるだろうか、そういうことはあってはならないのではないかと、妙な負い目を感じてしまい、そういった心理はやはり集中力に悪い影響を及ぼすのだろう。試験に落ちたのだった。

 二年目は、コンビニで新しいトランクスを買い、それを履いて試験に臨んだ。一年目の教訓がひそかに生きていたのかもしれない。真新しいトランクスの清々しさが尻を癒してくれた。うんこを漏らしたことを忘れることすらできた。まあ、そのときも試験には落ちたが。

 なんだか、手の平が湿っているような、穢れているような気がして、吊り革を握り直した。金属の支柱と皮の擦れる、ぎっ、という音が鳴った。前に立っている女子高生の髪の分け目をじっと見た。それから目を閉じた。

 電車はS駅を出て、K駅に向かっていた。勤め先の中学校がある駅までは、あと二十五分くらいか。左隣の中年の男の肩がおれの左腕に押し付けられていて鬱陶しい。鋭い憎悪が噴出し、「死ね」と胸中で毒づいた。この程度のことで他人の死を願う、これはどういうものなのだろう?

 汗が脇から滲みだしているのが分かる。これはそのうち臭くなる。汗自体は臭くないのに、なぜ後から臭くなるのかといえば、汗の成分を微生物の類いが分解して異物へと変えてしまうからだろう。
 
 それにしても、あのとき女子トイレに駆け込んでいたらどうなっていただろうか。

 ピンクのスカート型のマークのついた出入り口を曲がると、水道で手を洗っているおばさんと鏡越しに目が合ってしまい、個室から出てきたOL風の女性が一瞬動きを止めておれを見るだろう。反射的悲鳴や攻撃的非難、比較的穏やかな口調の注意、冷静に駅員を呼びに行くなどなどのアクションを彼女たちに起こされる前に、機先を制しておれは言うべきだろう。

「だって、うんこがもう出ちゃうんですよ!」

(続く)