何がそんなに楽しいのか、最近は連日居酒屋に行っている。臨時収入があったわけでも、そもそも金があるわけでもない。無い金を絞り出して無理やり居酒屋に投じているのである。それはもう、道楽のレベルであって、はたから見れば単なる浪費である。

 誰と行くのか?
一人で行くのである。
 
なんだか最近は誰も誘う気にならず、というか、誘ったり断られたりするのがちょっと億劫なのである(ちなみに誰かから誘われることもない)。というわけで、選択肢は必定、独り呑みの一択となる。

話は変わるが、今朝、ふと思った。《徳は孤ならず。必ず隣あり》とはよく言ったもので、ああ、私には徳というものがないんだよなと、ローソンでトマトジュースの会計をしながら、ぼんやりと思った。

独りで飲むのは、確かに寂しい気もする。しかし、ビールと日本酒の1合でも飲めば(先週あたりから日本酒党になりました)、店員の言動や周囲の人の会話や嬌声が、自然と好ましいものに感じられてくるから不思議だ。寂しさや悲しさ煩わしさやるせなさといった一切のおもしろくない感情は溶けて、どこかに行ってしまって――とはいえ脳内から消えたわけではなく、どこかに”隠された”だけであろうが――、ただただ、静かに楽しい気持ちが山清水のようにこんこんと湧き上がってくるのである。


「高田さんのとこは億ション買ったんだってな? しかもプリウスに乗ってるってよ!すごいねえ! がはははは……」
 

なんていう下卑たどうでもいい会話でさえも、しみじみと味わい深い、愛おしいものに思えてくる。

アルコールの作用と言えばそれまでだが、そこには確かな《にんげんのたのしみ》というものがあって、少なくともぼくにはそのように感じられる何物にも代えがたいものがあって、独り、安くて汚い居酒屋のカウンター席で、誰にからむわけでもなく、つまり無言で、しかしはんなりと目尻を下げつ口角を上げながら、文庫本片手に酒と肴をやりつつ、恍惚とした時を過ごすのである。

理解できない人には単なる孤独としか映らないだろうし、恐ろしく非常識な散財で、そんなつまらない金の使い方をするなら年齢相応に貯金でもせえよというところだろうが、こればっかりは、この居酒屋に通いたいという欲望は、破滅もなんのその、どうにも抑えることができない。

居酒屋に行こう。
そう思うだけで、心が浮き足だつ。

もはや子供ではないので、あらゆる利害関係や思案が終始とめどなく、決して無邪気になどなれないのだが、居酒屋に行こう。ただそれだけは、ぼくの心を無条件に解き放ってくれる魔法のようである。