【承前】:《 結界の内側にて-1 》から続く
Chapter-4:"Contamination"(汚染)
◆ 静寂の中、周囲には線量計の発するピッという鋭い電子音が不規則に響いている。液晶画面を見る。0.61μSv/h。旧警戒区域とは思えない低さだが、それでも東京近郊の平均からすれば十倍はある。飛び交うガンマ線を捉える音と数字が、生身の肉体がその場で受ける被曝量によって、《体験》が上書きされたことをわたしに告げる。Street View車が撮影のために行き交い、わたしが墓参のために立っている土地がどのような場所なのかを、露わにする。
◆ あるレベル以下では、『汚染contamination』の実態は感じることができないし、見ることもできない。《知性によって知り悟ること》という意味でなら知覚もそれを把握しているし、故に恐慌へ陥る人も存在するだろう。しかし、五感が五感としてそれを捉えることはできない。数字だけが、『汚染』を可視化する。逆に言えば、線量計の電源を落としてしまえば、《消えて》しまう。
"Radiation dose(AIR COUNTER EX)" Futaba, Fukushima(撮影:東間 嶺)
◆ 少なくない値で数字が上下するエアカウンターを持って双葉町を歩いているとき、そしていま自分がそこで記録してきた動画や写真を見るとき、わたしの中で、以前この『ATLAS』で取り上げた今井智己の写真集、『Semicircle Law』の問うているものと、そのテクストを書いたあと今井氏と直にやりとりした内容が、改めて生々しいものとして立ち上がってくる。(参照:「半円の結界」…今井智己【Semicircle Law】)
◆ 『Semicircle Law』は、爆発した原子炉建屋を中心軸にして、警戒区域(今井氏はそれを『空白の半円』と呼ぶ)の境界に位置する阿武隈山系の頂から、「選ばない、切り取らない」「視線のまっすぐ先にはそれがあるように」(今井)という構図上の制約を設けた上で撮影された『風景』だ。例えば、福島第一原発から北西18キロにある手倉山(標高631m)。例えば、南西28キロにある屹兎屋山 (標高875.1m)。
【キャプチャ画像上下リンク:IMAI Tomoki © 2011-2014 Theme by WPShower】
◆ その『風景』にも、『汚染contamination』が映ることはない。核崩壊して飛び交うアルファ線もベータ線、ガンマ線も映ることはない。ただ災いの中心点へと向かう視線の先に広がる景色が、パノラマがあるだけだ。『風景』は2011年3月以前と同じように、四季の移り変わりによってのみ、姿を変える。
◆ 『風景』には、撮影日と原発からの距離、あとは山の名が付されているだけだ。わたしは以前、今井氏に線量を記載しようと思ったことはないのかとメールで尋ねたことがある。対象の変化を露わにする唯一の要素を示そうとしたことはないのか、と。今井氏は以下のように述べた。
撮影地点の線量を測るかどうかは最初迷ったんですが、やめました。1年か2年撮るうちに、ある程度はその数値も変化(おそらく減少)をしていくわけですが、最終的に写真を展示なり写真集なりで並べたときに、その数値の違いが空間的なばらつきなのか時間的なばらつきなのか、伝えにくいとも思いました。けれどそれ以上に、何マイクロシーベルト/hという数値は、距離や山の標高とは違う意味をもつ情報になってしまうと考えたからです。端的な数字として扱いたいけれどそうはならないなぁという。その数値の大小に関わらず、それが添えられているだけで「危険な場所」という印象とともに写真を見る人はかなりいるでしょうから。でもいま考えれば、というのは、自分たちが事故直後のことを忘れつつある今から思うと、5年後10年後に写真をもし見返したときに、その数値が当時のジリジリとした緊張感を想い起こさせてくれるものになったかもなとは思っています。
◆ 《素粒子があって核子があって核があって原子がある。それは精緻で透明なネイチャーで、悪ではない》今井氏は、『Semicircle Law』の展覧会ステイトメントにそう記している。『汚染contamination』とはヒトの概念でしかない。例えそれが、わたしたちを排除するほど《危険》なものであったとしても、『風景』は変わらずに在り続ける(この辺りに関しては、上述した『半円の結界』でもう少し詳しく述べた)。
◆ 実際に、『汚染』の只中に身を置き、呼吸してみると、そのことがよく分かる。
◆ だが、線量という情報は、記録された『風景』の意味を《危険》や《悲劇》へと決定付けてしまう。死んだ牛も猫も犬も、生活の痕跡を留めたまま朽ちる崩壊した家屋も、荒れ果て雑草の繁茂する田畑も、何一つ写ってはいなくとも、××μSv/hという数字が観者の認識に作用し、視線へフィルタをかける。より限定的な方向へ、ステロタイプな核災害のイメージへと誘導する。今井氏が、美学の問題として、そうした粗雑な作用から距離を置きたいと思うのは自然なことだ。
◆ しかし同時に、わたしは『風景』へ線量を付すことは、『汚染contamination』がヒトの概念でしかないことを、リテラルな形で提示し得るストレートな方法なのだとも思う。
"Paddy field(1.32μSv/h)" Naraha, Fukushima(撮影:東間 嶺)
"Paddy field(Contaminated)" Naraha, Fukushima(撮影:東間 嶺)
【キャプチャ画像リンク:福島県放射能測定マップ】
◆ 1.32μSv/hをただ添えるのか、二枚目のように《Contaminated(汚染された)》と語るのか。人の管理から離れ、荒れ果てたこと以外に表面的な変化など何もない事故後の田畑や山野と、1.32μSv/hという数字の組み合わせは、『汚染』がスーパーナチュラルな穢れや恐怖の顕現などではなく、原子核レベルでの環境変化にわたしたちが言葉によって意味を与えているに過ぎないのだということを明らかにしてくれる。今井氏の言を借りれば、つまりは、以下のようなことだ。
《これを決定的に損なわれた大地だと考えることもできるが、全き自然だと言うこともできる。もちろん、そこから人間を除けば。》
Chapter-5:Outside the Area
"Industrial waste treatment space" Futaba, Fukushima(撮影:東間 嶺)
◆ 掃除や焼香、親戚宅の現認などを終え、再び郵便局前のゲートへ戻ると15時30分を過ぎていた。滞在可能時間である16時まであと僅かだった。立っていたのは入域時とは違う警備員で、再び身分証と許可証の提示を求められた。それは最初に通過した富岡町のゲートに戻ったときも同じで、わたしたちはもう、かなりうんざりしていて、しぶしぶ、という態度を隠そうともせず、というかむしろ露骨に示しながらそれに応じた。
◆ すいません、お疲れさまでした!と申し訳なさそうに言いながら、立っている係員や警備員たちが、まるで接客していたかのような素振りで見送りの礼をしていて、行きと同様、立入制限区域という場にそぐわないという印象を強く受ける。そういえば、あのときは、「お気をつけて」とも言っていたのだったか。彼彼女たちが東電社員だったのなら、分からないでもないのだけれど。
◆ 高津戸スクリーニング場で『防護服』を脱ぎ、詰め所前の回収ボックスにまとめて返却すると、一気に疲れが吹き出してくる。あの程度の装備でも、5月の晴れた午後を二時間以上も過ごせばからだ全体がじっとりと汗ばんでしまい、不快だった。わたしは帽子も被らずマスクも付けず、手袋も脱いだり付けたりといった不真面目な態度だったが、除染の作業員などはそういうわけにもいかないだろうし、ましてや、福島第一原発構内で復旧作業にあたる人々の全面マスク付きフル装備など、想像しただけで気が遠くなる。
◆ スクリーニング場を出る前に、個人線量計の記録を証明する用紙を渡された。1μの単位しか表示が無い個人線量計が記録した今回の立ち入り積算被曝は、それぞれ1から2μSvだった。
◆ そして、一応まあ、という感じで車両と各人の靴裏だけごくごく大雑把なサーベイを受けた。当然ながら、どちらも除染の基準(旧原子力安全委員会が設定した13000cpm=40Bq/cm2)を超えることはなかった。靴は数字次第で捨てるつもりだったが、バックグラウンドとほぼ変わりがないというから、結局、持ち帰ることにした。告げられた数字は確か278cpmくらいだったと思うが、そのレベルなら詳細はどうでもいい、と言った形式的な測定だった。
◆ 多くの地域が100万~300万、あるいは300万Bq/m2を超える膨大なセシウムの降下があった旧警戒区域だが、既に汚染の大半は地表や山林に沈着し、立ち入りや現認をする程度では汚染拡大防止のスクリーニングレベルに引っかかることはまずないと言って良いだろう(参照:文部科学省及び茨城県による航空機モニタリングの測定結果について)。放射性物質の内部取り込みにしても同様だ。
◆ いわき市に戻り、宿のテレビでニュースを見ていると、地元の民報がキャロライン・ケネディ駐日米大使の福島第一原発視察を報じていた。先程、わたしたちが双葉町に滞在していたとき、完全武装の大使ご一行は発電所敷地内を歩き回っていたというわけだ。執拗とも言えるほど身分証の確認を求められたのは、視察当日だったことも影響したのだろうか。異様な巨大工事現場と化した現在の原発を見て、大使は何を思ったのか。そんなことよりも、爽やかすぎる笑顔の息子共々、東京電力の制服が全く似合っていないことの方が気になってしまった。
"Road sign" Naraha, Fukushima(撮影:東間 嶺)
◆ 翌日は伯母夫婦と別行動になり、わたしと両親は午前中だけ双葉郡をドライブした。今度は常磐道ではなく、国道6号線で福島第二原発のスクリーニング場近くまで走ってからいわき方面へと引き返し、塩屋埼灯台と『ら・ら・ミュウ』に立ち寄って帰京した。
◆ 緊急時避難準備区域が解除されて2年半以上が経過した広野町には、さすがに多少なりと人が戻っている気配は感じたし、目についたガソリンスタンドやコンビニなども大半が営業していた。ただ、やはり楢葉町や富岡町は、住民の帰還が予定される避難指示解除準備区域でさえ復旧作業の車両が行き来しているだけで、人影は皆無だった。第二原発近傍からいわきへ戻る途中、Jヴィレッジから発電所へ向かう大型バスと数度すれ違ったが、作業員の姿は見えなかった。心なしか、運転手がこちらを見る視線が胡散臭げだったようにも感じた。
"Traffic gate(Electric bulletin board)" Naraha, Fukushima(撮影:東間 嶺)
◆ 『ら・ら・ミュウ』には、二年前と同様、大勢の買い物客が訪れていた。前日に宿泊した『かんぽの宿』もそれなりに宿泊客はいたし、表面上、もはや津波の痕跡くらいしか《被災》の跡は認められない。避難者や復旧作業員の流入によって、いわき市は震災前より活気のある都市に変化した、という話しもしばしば聞く。おそらくそれは本当のことなのだろうが、何とも皮肉な《復興》だ。
◆ 今後、再編の終わった各町村がどのように《復興》していくのか、しないのか、何をどうするべきなのか、正確に予想/判断するのはわたしの手に余るし、そういった立場でもないが、少なくとも帰還への合意が成されるか否かに関わらず、現在実施されている帰還困難区域の立ち入り制限は、できる限り緩和する方向で調整していくべきだと思う(わたしの親戚や縁者は誰も帰るつもりはないようだ)。
◆ このテクストでも一部引用したように、各機関の継続的な測定結果は、単純な空間放射線量(率)が、長時間の立ち入りでも十分に可能なレベルまで下がっていることを示しているし、除染が本格化すれば、それはさらに加速するだろう。
◆ では、何のために?
◆ 昨年、『福島第一原発観光地化計画』を上梓した東浩紀がしきりと言っていることに倣えば、一部の研究者や報道関係者以外のアクセスをもっと容易にするために、津波被災地同様、日々風化する核災害の記憶を教訓として残すために、これから数十年に渡って続く収束作業も含め、忌避すべき対象として眼や耳を塞いで《忘れる》のではなく、正面から引き受けるために(参照:作家・思想家の東浩紀さん ラジオ版学問のススメ Special Edition 2013年10月8日)。
◆ その意味では、GoogleがStreet Viewを使って旧警戒区域をまるごと映し撮ったのはとても重要な試みだった。撮り手の意図によって装飾され、意味付けられ、文脈化されることのない連続したパノラマは、空白だった場所の《真実》ではなく、即物的な《事実》を観者に伝える。暴力的なまでにフラットな視線の照射こそ、彼の地から曖昧に肥大するさまざまな幻想の覆いを剥ぎ取ってくれる。
◆ チェルノブイリでの事故は旧ソ連下の情報統制によって閉ざされ、肥大したイメージは結果として《モンスター化(東浩紀)》した。人々の核に対する忌避とカタストロフへの欲望がそれを強化した。その物語は今もあちこちで有効に機能し、望まれてもいる。だが双葉郡はプリピャチにすべきではないし、福島Fukushimaは『フクシマ』とされるべきでもないし、21世紀の『アトムスーツ・プロジェクト』が実施できるような状況にしておくべきでもない。
◆ やるべきこと、必要なことはゲート封鎖と悲劇のイメージに福島と双葉郡を押しこめ続け、耳目を塞いで忘却の彼方に追放することではなく、ネイチャーの、物理のファクトを積み上げることだ。Sv、Bq、cpm、あらゆるリテラルな要素を明らかにし、検証する地点から常に思考をはじめること。それがわたしたちを偽の希望や虚妄から自由にする。
少なくとも、わたしは、そう確信している。
◆ このテクストでも一部引用したように、各機関の継続的な測定結果は、単純な空間放射線量(率)が、長時間の立ち入りでも十分に可能なレベルまで下がっていることを示しているし、除染が本格化すれば、それはさらに加速するだろう。
◆ では、何のために?
◆ 昨年、『福島第一原発観光地化計画』を上梓した東浩紀がしきりと言っていることに倣えば、一部の研究者や報道関係者以外のアクセスをもっと容易にするために、津波被災地同様、日々風化する核災害の記憶を教訓として残すために、これから数十年に渡って続く収束作業も含め、忌避すべき対象として眼や耳を塞いで《忘れる》のではなく、正面から引き受けるために(参照:作家・思想家の東浩紀さん ラジオ版学問のススメ Special Edition 2013年10月8日)。
◆ その意味では、GoogleがStreet Viewを使って旧警戒区域をまるごと映し撮ったのはとても重要な試みだった。撮り手の意図によって装飾され、意味付けられ、文脈化されることのない連続したパノラマは、空白だった場所の《真実》ではなく、即物的な《事実》を観者に伝える。暴力的なまでにフラットな視線の照射こそ、彼の地から曖昧に肥大するさまざまな幻想の覆いを剥ぎ取ってくれる。
◆ チェルノブイリでの事故は旧ソ連下の情報統制によって閉ざされ、肥大したイメージは結果として《モンスター化(東浩紀)》した。人々の核に対する忌避とカタストロフへの欲望がそれを強化した。その物語は今もあちこちで有効に機能し、望まれてもいる。だが双葉郡はプリピャチにすべきではないし、福島Fukushimaは『フクシマ』とされるべきでもないし、21世紀の『アトムスーツ・プロジェクト』が実施できるような状況にしておくべきでもない。
◆ やるべきこと、必要なことはゲート封鎖と悲劇のイメージに福島と双葉郡を押しこめ続け、耳目を塞いで忘却の彼方に追放することではなく、ネイチャーの、物理のファクトを積み上げることだ。Sv、Bq、cpm、あらゆるリテラルな要素を明らかにし、検証する地点から常に思考をはじめること。それがわたしたちを偽の希望や虚妄から自由にする。
少なくとも、わたしは、そう確信している。
(了)
【参照ウェブサイト一覧】双葉町公式ウェブサイト:『双葉町への立ち入りのしおり』福島県放射能測定マップ:原子力規制委員会:東京電力株式会社福島第一原子力発電所の20km圏内の空間線量率測定結果(平成26年6月17日~19日測定)福島民報:「3.11大震災・検証」アーカイブ、【双葉町の双葉厚生病院】突然の避難指示福島県:【原子力発電所の環境放射能測定結果 平成23年3月11日~3月31日(東日本大震災発生以降)、1P】Google Japan Blog: 福島県浪江町のストリートビューの公開によせてEn-Soph:東間 嶺『ATLAS』-[15]ニュークリア・ランドスケープ「半円の結界」…今井智己【Semicircle Law】IMAI Tomoki:「note」文部科学省及び茨城県による航空機モニタリングの測定結果について福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2ラジオ版学問のススメ Special Edition 2013年10月8日(作家・思想家の東浩紀さん)ヤノベケンジ公式ウェブサイト:ATOM SUIT PROJECT同上:The Atom Suit Project: Chernobyl / アトムスーツ・プロジェクト:チェルノブイリ (1997)http://www.yanobe.com/projects/pj005_atomsuit01.html