凡例  

1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録 Imagination et Invention ” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(40-42p)である。 
2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。
3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
 


6、身体的図式での運動的イメージの生得性

 空間における指標として役立ち、各々の身体から生じる表象は身体的図式と名づけられている。普通の生活に必要な絶えざるこの図式的表象は、頭脳(頭頂葉)の損傷に応じて、様々な次元ordreでの切断手術や肉体労働の不能の帰結で、悪化を被ることがある。おそらく、身体的図式は外受容的また自己受容的なextéroceptive et proprioceptives、様々な次元の感覚的与件を統合しているのだが、身体的図式の組織化において運動的予測の割合は極めて大きい。身体的図式は既に現れている行動のシステムの観念を再獲得しながら、個々の個体の行動のシステムの直観を含んでいる。これは単に身体の集合が無傷であった時だけではなく、破損した後でも、個体は自身の器官の集合を一挙に使えるという事実に対応している。ゴールドシュタインは、『有機体の構造 La Structure de l'organisme 』と題された著作で、損傷の後に起こる集合の再組織化による機能回復現象に特別な重要性を認めた。ゴールドシュタインは麻酔状態にあって四肢が切断されたモルモットたちの回復期間の経験を引用している。麻酔がやんだとき、深刻なほどの重傷でもその動物たちは手足の残った部分で体を引き摺っていこうとはしない。つまり、彼らは手足をもたない〔ヘビのような〕動物のモードと比較可能な這うことのモードを一挙に取り入れるのだ。運動性はあらゆる有機体に残ってる機能的可能性を元にした全体toutのように再組織化されているのだ。これにより完璧な再構造化が実行される。当然、この解釈はゲシュタルト心理学la Psychologie de la Formeによって述べられた図-地figure-fondの関係を一般化させた学説に従って、有機体とその機能の一般的理論を発達させたゴールドシュタインの全体論的な原理に一致している。しかし、この特殊なアスペクトの下では、有機体は運動的直観と、身体の可能性の半-具体的イメージと、身体の組織化との間の対応に翻訳される。運動的イメージのモード性modalitéは可能的なものだ。何故ならそのイメージは固有の身体の運動の組織化された網目のように最初試された行動のシステムから生じたからだ。

 実際、運動の具体的なイメージは主体の身体的図式への参照を常にある程度含んでいる。対象の運動の具体的直観をもつこと、それはあたかも私たちの身体がその対象であるかのように、ある程度その場所やその状況に身を置くことだ。たとえば、運動的直観に従って離陸する飛行機を想像すること、それは自分自身のうちで、滑走路の端までに上昇し、高速度で、あいつぐ障害物を飛び越えていかねばならないために、ためらいなく、減速なく、後退なく、可能な迂回もせず、一か八か賭けながら、思いきりエネルギーを解放する印象を感じながら、どんどん速くなっていく躍動の全力の漸進的適用を発達さすことである。垣根や小川のような、障害物を乗り越えて躍動を得るために、人間の運動的可能性の利用にきちんと対応する、高速度で走るイメージと同じ次元であるからこそ、この運動的イメージは、かなり類似する正確さで発達することができる。反対に、限定的角度での滑走路のアプローチ、つまりその減速は、人間の身体的図式の利用に対応してないために、着陸しようとする飛行機を想像することはとても難しい。身体的図式は様々な運動の想像的予測のなかにセレクターselecteurのように介入する。想像しうる運動は、徹底的に要約されて運動的直観を組織する人間の身体的図式の可能な活用に対応している。

 人間の大人においては、現実の直観の手段としての運動的イメージの使用を制限するためにある種の文化的圧力が介入してくるだろう。もっとも、振る舞いの完全なる発達は運動的自発性を、組織されたシークエンス、演技=遊びのために自発性の自由さを縮減したものに統合するが、子供においては、対象を運動で真似するために、身体的図式の運動的利用が延長されることはいくらか注意しておかねばならない。演じる=遊ぶ子供は、たんにドライバーや騎士であるのではなく、同時に自動車や馬でもある。つまり、身体的図式は行動に結びつく最も直接的な利用の対象の内的活性化animation interneにまで延長されるのだ。行動の予測という形の下で、運動的直観は暗黙のアニミズムを実現する。これを経ることで、知覚のカテゴリーが少しづつ運動的イメージに勝っていく。表現のモードとしての、大げさな身振りは、発声や書記の使用を前に後退していくのだ。だが言語表現のモードの起源の研究は恐らく身振りの意味論の原始的条件を回復させるべきだろう。そこには人間の身体的図式の論理と、原理であるアクティヴィティーのシークエンスの論理に従った、運動のイメージの現実的なものに対する投影が含まれている。

 要約すると、「アプリオリ」の第一義的源泉は、運動の予測の形になった有機体であるようにみえる。この予測は運動的イメージの環境に投影される形を獲得し、そのイメージは、身体的図式を元に広がる運動的図式と共にある有機体という最初で唯一のその源泉を元にしている。



【訳註】

ゴールドシュタイン――クルト・ゴールドシュタイン(Kurt Goldstein, 1878-1965)はユダヤ系の脳病理学者。第一次大戦の戦傷例を集め、脳損傷後遺症研究所を創設、心理学教授ゲルプと共にゲシュタルト心理学を脳病理学に導入した。