承前

 およそ二ヶ月程前にスタートした連載・ハルカトミユキ。当時の私がどのようなゴールを見据えて連載を書き始めたのか今となってはまったく思い出せないが、断片的に書いては一つの空間へと還元してしまうことを繰り返していた状況に何らかの亀裂を入れようとしていたことだけは連載第一回を読むと確かなようだ。なぜそのような状況に陥ってしまったのか?
 

 自信がなかった。
 とにかく、この一言に尽きるだろう。

 私は自分が好きな人を正々堂々好きだと主張することが出来なかった。
 あるいは、当人たちからあなたは間違っていると言われることを怖れていた。
 
 だから、一つにまとめ、膨大な量にしてしまった。
 自分でさえ読み返すことが面倒になる量の文章なら誰にも読まれまい、と。
 
 しかし、そうは言っても私が書いた文章の対象は、たとえどんなに遠い世界の人たちに思えたとしても今まさに同じ時間を生きている。そのため、書き残した以上は責任を持たなければならない。

 連載という形式を採ったのは、次の連載を準備している間に起こる出来事を、書く上で積極的に生かしたいと思ったからでもある。事実、連載中に3rdEPのリリースが発表されたり、インストアライブにも行くことになった。本連載七回に対し、番外編、第零回、外伝、続外伝と当初の予定にはなかった偶発的なテクストが四つも生まれたことは、正直私自身も予想外だった。

 連載で書いている内容にも、影響は出る。

 第一回で書いたように、この連載は以前に私が書いたテクストを多分に引用し、そこから新たな言葉を立ち上げようとしていた。注意しなければならないのは、そこで書いたことは3rdEPが出る前の段階での考えなり想いであったということだ。

 私はそこで幾つかの不満を書いた。

 例えば、歌詞に出てくる「君」は、結局「僕」から見た一方的な存在でしかなく、閉鎖的であるということ(ただし、「君」は「僕」の自意識とも読め、そうだとすると、閉鎖的であることは半ば当然ではある)。例えば、『マネキン』のPVで顕在化するように、「ハルカ」は文句のつけようがないぐらい美しいのだが、それは美しすぎるという違和感を私に同時に抱かせ、その美しさは「福島遥」を隠蔽することで初めて可能になっているのでないのかということ。

 本連載でハルカトミユキの「ト=と」に着目しているのは、この美しく、歯に衣きせぬ言葉を操る「ハルカ」に亀裂を入れるためであった。例えば、徹底的に影の役割を担いながらも音や存在で違和感を示す「ミユキ」。例えば、「ハルカ」自身に現れる「書かれた言葉」と「歌われた言葉」との齟齬、そして、「書かれた言葉」内部での亀裂。例えば、これはまだ扱っていないが、福島遥の幾つかの歌。

 
さっさとほろびればいいのにうつくしいだけの女 永遠めいた刹那の長さ
(「バター」『空中で平泳ぎ』)

言葉にもならない想いは歌になどなるはずもなく絶叫をする
(「宙づりの昼」『空中で平泳ぎ』)
 

 そして、何よりも十日ほど前にリリースされたばかりの彼女たちの3rdEP!
 続外伝でごくごく簡単にこのアルバムに言及した最後に、私はこう書いた。


 とにかく、ハルカトミユキについて文章を書き始めて以来自分が少し前に書いたテーマが次のライブやアルバムで前景化するということが毎回のように起こっています。本当に不思議なことですが。
 

 この数行が書けてから、私がハルカトミユキについて書き始めて以来ずっと書きたかったこと、いや、ずっとあなた方に信じてほしかったことは、ただこれだけのことだったのかもしれないという想いを、以前にも増して強く抱くようになった。

 もちろん、現実は、彼女たち自身が己と向き合った結果生まれた作品であり、そこに私の入る余地はまったくない。しかしながら、その一方で、彼女たちの新たな一挙手一投足は、私が書いた文章に対する応答としか思えないーーこれが私にとっての真実である。

 荒唐無稽と言うほかないこのような想いを、それでも何とか書くことが出来たのは、ある書物の存在があったからである。鈴木雅雄さんの『シュルレアリスム、あるい痙攣する複数性』だ。以下、引用する。


 
 私が誰かを愛する。すると世界はその人である。比較などありえない。街に出ると、本を開くと、瞼を開くかあるいは閉じると、それはほかにもありえたであろうあらゆる可能世界のなかで、私の愛するものが存在しえた世界、そのことによってだけ存在しうる世界である。肝心なのは、それが私にとってそうなのではなく、本当にそうだということだ。あなたは私が何をいっているかわかるだろうか。「彼」、「彼女」、あるいは「それ」が、私にとっては世界一素晴らしいといってしまえるなら、私は愛していない。これは一つの純粋な狂気、あるいはほとんどファシズムだろうか。だが自分に見えているものを他人に認めさせ押しつける必要を感じているなら、やはり私は愛していないだろう。押しつける必要などない。本当に、ただ単にそうなのだから。そしてそれにもかかわらず、私はそれがあなたの世界ではないことを知っている。この痙攣をあいだにはさんで、私はあなたとともにあることができるだろうか。

(364頁。傍点強調を黒字強調に改めた)

 
 

 私が痙攣しているのは、現実離れしている出来事に対してでは、ない。
 現実とは思えないにもかかわらず、それが紛れもなく現実以外の何物でもないことに対して、である。

 私はあなたに、私の痙攣を理解してほしいわけでは、ない。
 なぜなら、それは不可能だから。

 けれども、痙攣、それ自体はあなたにも心当たりがあるのではないだろうか?
 私はまだ、私にとっての現実と、私にとっての真実とのあいだの齟齬で痙攣しているにすぎない。

 ゆえに、連載は続く。

 
 杏ゝ颯太