凡例1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録“ Imagination et Invention ” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(33‐35p)である。2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
3、運動的イメージにおける行動の遺伝的調整
行動のシステムの基本的なシークエンスには日常的に観察されるような本能的アクティヴィティーの一部をつくる遺伝的調整が付加されており、動物行動学の研究はそれらを発見してきた。ところで、それぞれの種によって違う行動のシステムの要素がもし、他の種による振る舞いの意味の直接的把握の基礎を提供しなかったとしても、遺伝的調整は振る舞いを露わにする種を一般性においてほとんど乗り越える。遺伝的調整は予測を養うだけでなく、運動によるコミュニケーションの原初的モードの道具、一種の間種族的な自然言語として役立つ。警報としての叫び声、攻撃的な結集、つがいの儀式、子供に対する親の振る舞い、これらはイメージを生み他の種によっても理解される行動の調整を含みこんでいる。
更に、このプロセスは神経系の自発性と動機づけの働きjeuをとりわけて活用する。ローレンツとティンバーゲンは遺伝的調整が必ずしも現実的な対象や状況への反応ではないことを示した。もし動機づけが極めて強ければ、本能的なプログラムを繰り広げるのに、どのような刺激も必要ない。最後に、刺激によって始動した後なら、完全に内生的な秩序のちからで本能的行動を展開し続けることができる。唯一その行動に欠けているのは現実的な対象が眼の前にいるときに行動を適合させる走性的成素composantes taxiquesだ(灰色のガチョウにおける目玉の運動の場合)。
この発見は運動のイメージの起源の探究にとって重要だ。というのも、動機づけが充実しているとき、内生的な仕方でアクティヴになることのできる振る舞いの複雑な図式の貯蓄を有機体が有していることを示しているからだ。ここには対象の経験に先立つ、想像的なものの真の生物学的土台が存在しているのだ。ゲンツは、掘り出すハチの巣がひとつも眼の前にないので、ハチを捕獲するプロセスの動きをまるで想像的な巣に対してするように空回りで完遂する、捕獲状態にあるヨーロッパ・ハチクマ Bondrées apivoresを観察した。対象に事前に適合された動きは、対象現前の、さらには対象の構造の実践的な真の予測なのだ。対象を仮定しているのだ。遺伝的調整に対応する対象のモード性は正確ではない。しかしながら、本能的なアクティヴィティーの始動に対応する特種な対象の或る予示préfigurationは存在している。ラベルは孤独でいるオスの大きなシチメンチョウからそのことを学んだ。つまり、風で揺れているぶら下がった黒いぼろきれは〔シチメンチョウの〕攻撃的な振る舞いを始動させる。反対に地面にあるぺらぺらな黒い対象は交接前の振る舞いを生じさせる。始動する刺激の役割を演じる知覚の或る《パターン》が存在している。運動的イメージを分析するために詳細な調査をする場所ではないが、もし問い直してみるならば、極めて強い動機づけの場合において、適切な刺激のない本能的行動の内生的な働きは、図式的で大雑把な形の下、運動的予測によって誘発された、特種な刺激の幻覚的表象をもたらさない。
しかしながら運動のイメージの内容をいつも遺伝的調整の特種なプログラムのなかに書き込まれた振る舞いの予測にしてないことも私たちは知っている。たとえばそれは、人間にとっての、飛行のイメージのような場合だ。ユングは高等な種のなかには進化の先行段階に現れた生命の形に由来するイメージが進化によって存続されているという仮定を立てて、そのようなイメージに解釈を与えている(例えばドラゴンは、ヘビのイメージと関係している)。この解釈は推測の域を出ないものの、魅力的であり、興味深い。その解釈はある動物が――たとえば陸生の哺乳類が――たとえ長期間河川近くで生活してこなかったとしても自発的に泳ぐことができるという事実によって部分的に認証されうるものだ。しかし、もし飛行の運動的イメージが真の予測でならと、あるいは主体の置き換えtranspositionを経て、そのイメージがトリの知覚に由来するものであるならと、問い直してみることもできる。本質的には運動的なものを含んでいるあらゆるイメージの発生や内容を説明するのは遺伝的調整の枠組みはおそらく狭すぎるのだが、たとえその内容が後々複雑な消化によって変形したとしても、枠組みはそのイメージが一定の知覚に先立つ内容をもつことができることを示している。飛行のイメージについて、飛行の現実の試みの昔話を経て、注記しておくことができるのは、鳥においては非本質的な運動の図式が、人間の運動の中では極めて重要であるということだ(跳躍や躍動がそれら予測と合体した)。つまり、最初の飛行挑戦は、空中への跳躍を利用し、走ることで準備し、旗めく翼によって維持したのだ。これが示しているのは人間が走ることの躍動や高い跳躍から出発して飛行を部分的に想像し、これが行動のシステムの一部となりり遺伝的調整に介入するのだ。
遺伝的調整の重要性は特種な刺激との関係が相対的に不確かである分だけますます大きなものである。動物行動学派の研究が示していたのは、或る種において、「刷り込み(インプリンティング)」の現象が発生するということだった。一定の振る舞い、例えば母鳥との連関にある幼鳥の体勢attitudesの集合は、事前形成préforméされている。しかし《母》刺激の知覚は完全には選択されてない。一匹の犬、一人の人間が、幼体の誕生の後の或る数日や数時間を互いに目の前でやっておくと、その《後をついていく》ように獲得される。関係は後後により選択的になるのだ(《母》は特種な或る信号に応答せねばならない)。しかしながら、ここで重要なのは母のイメージが、この場合、とりわけ振る舞いの予測、つまり後についていくことができるもの、であることに気づくことだ。絶対に生じてかつ一度しか起こらないこの学習を、動物行動学派は《刷り込み》と名づけた。本能的調整の場合、その力と素早さは状況の本質的に運動的な予測として、イメージの役割を示す。行動は既に潜勢的に準備されている。ただ、対象的な支持体supportだけが求められているのだ。もし人間において《刷り込み》を実現さすそのような敏感な期間が本能的振る舞いの枠組み(熱情、一目惚れ、決定的な好みの感情、運命のパートナーの感情)のなかに存在してなかったらと問い直してみることができる。本能的予測の土台に対して生じた原始的経験からの帰結として、きっとそれは親、教育者、一般的には恐らく「仲間socius」の表象の第一義的カテゴリーのなかで個体的な差異の起源となるだろう。
【訳註】
・ローレンツとティンバーゲン――コンラート・ツァハリアス・ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz, 1903-1989)は、オーストリアの動物行動学者。ニコラース・ティンバーゲン(Nikolaas Tinbergen, 1907- 1988)は、オランダ人の動物行動学者。1936年、国際シンポジウムで知り合い、ガチョウの研究から始まる二人の研究成果は、「刷り込み」に代表される本能的行動の機構を明らかにした。・走性――英語でtaxis。自由に運動できる生物が刺激に対して方向づけられた運動を起こす性質。・ゲンツ――Genz。詳細不明。・ラベル――Räber。詳細不明。・ユング――カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)は、スイスの精神科医・心理学者。集合無意識の仮説に基づいた、フロイトとは異なる心理学の分野を開拓した。・(跳躍や躍動がそれら予測と合体した)――原文は(le saut et l'élan)étaient incorporés à ces anticipationsであるが、意味が通らないので()の内容を延長して訳した。・仲間socius――ソキウス(socius)は「仲間」という意味のラテン語。この言葉からオーギュスト・コントが社会学(sociologie)という学問を提唱した。