サイン会の存在だ。
握手会ではなく、サイン会だ。
サイン会なるものに、私はこれまで二回参加したことがある。
連載で名前を挙げた二人の書き手(レヴィナシアンとドゥルージアン)で、どちらもトークイベント後に行われた。
サイン会の目的は様々だろうが、私の場合はサインが欲しいというよりもサインを書いてもらっている間に生まれるわずかなトークタイムが一番の目的だった。しかし、あのわずかな時間で話せることと言えば本当にちょっとしたことである。
レヴィナシアン・Uさんには「メールにご丁寧にお返事頂きありがとうございました」と伝え、ドゥルージアン・Cさんには「二月に受験予定です。よろしくお願いいたします」と頭を下げることしか出来なかった(結局、受験せず)。
私は、両氏に多大な影響を受けている。
改めて振り返ると、もっと他に伝えるべきことがあったはずだ。よりによってサイン会の場でそれを言うかなどと思わなくもないが、誉め言葉の一つも上手く言えない私のような人間では致し方ない。
そして、誉め言葉の一つも上手く言えないことは、連載・ハルカトミユキの一大テーマでもある。事実、いま悩んでいるのも、サイン会の場で何を伝えるべきかということだ。
まず、ミニライブにだけ参加してサイン会には行かないという選択肢がある。
過去のサイン会でもトークが目的だったと書いたように、私はサインにまったく執着がない。そもそも、私はサインをもらうと、それ以降の無条件応援を要求されているような気がして、なんだか気が引けてしまうところがある。
特に、宛名まで書かれるといよいよ逃げ場がない。過去に私は、サイン除けのためだけの名前を作ろうかと真剣に考えたことがある。それほど、宛名付きのサインには効力がある。
しかしながら、サイン会でしか話す場がないというのも、これまた事実だ。
私は、前回のワンマンライブのときも、「これが最初で最後になるかもしれない」と思い詰め、手紙を渡そうと決心した。内容は連載で書いていることそのままであり、いわゆるファンレターではまったくない。ただ、直前に何度も渡す/渡さないの一人押し問答があり、結局渡さないことになった(どちらにしろ、渡すチャンスというか、場自体がなかったのだが)。
渡さなかった理由は単純で、こんなもの渡して一体何になるんだというものだった。
しかし、では本当に、一体私は何を伝えればいいのだろうか?
「いつも聴いてます」
「ライブ良かったです」
「これからも応援してます」
「頑張ってください」
これらは嫌だ。
そんなことを言うために、私は生まれてきたわけではない。
かと言って、黙ってサインだけもらうのも、先述したように呪いだけもらって帰るに等しい。
これも、嫌だ。
さりとて、いきなり短歌を澄まし顔で詠んで帰る、みたいな度胸も私にはない。
先ほど、私は何を伝えるべきか、と書いたが、伝える「べき」ことなんて実際は何もなくて、本当にそれは個々の自由である。
しかし、そうは言っても「Be Silent Tシャツ」の存在を知ったり、「君にはきっと分かんないよ」という『POOL』の歌詞を聴くたびに、私の口は強ばってしまう…が、「杏ゝ颯太」の由来にもなっている杏さん主演のドラマよろしく杏ゝ颯太も黙ってない。
あるときから、先の言葉や君の嫌いなところがひたすら列挙された『Hate you』の歌詞を聴くたびに私はこう思わざるを得なくなった。「お前だって…」
「黙れ!」と言われて、「嫌だ!」と言い返すこと。
この連載も、そういう類いのテクストだ。
「君にはきっと分かんないよ」と言われれば、「君にもきっと分かんないよ」と言い返したくなる。嫌いなところを散々言われたら、「うっせえ、お前だって…」と言い返したくなる。他者論は、基本的に「私」が「他者」の理解不可能性を自覚してお開きが王道なのだが、他者論で本当に重要なのは、「言い返すこと」ではないのかと最近は考えるようになった。
これは、いわゆる「応答可能性」とは異なる。
私が他者に「応答」するのではない。他者に対して「言い返す」のだ。
一人で勝手に応答して自己満足するなんて、もう御免である(客観的に見れば、私の連載は限りなくそれに近いだろうが…)。
…サイン会の話をしていたのだった。
まあ、参加するかどうか、何を伝えるか、あるいは、何を伝えないかはそのときの気分で決まるだろう。
そんなことはその場になってみないとわからないのだから。
とにかく、ミニライブ楽しんできます!
杏ゝ颯太
「黙れ!」と言われて、「嫌だ!」と言い返すこと。
この連載も、そういう類いのテクストだ。
「君にはきっと分かんないよ」と言われれば、「君にもきっと分かんないよ」と言い返したくなる。嫌いなところを散々言われたら、「うっせえ、お前だって…」と言い返したくなる。他者論は、基本的に「私」が「他者」の理解不可能性を自覚してお開きが王道なのだが、他者論で本当に重要なのは、「言い返すこと」ではないのかと最近は考えるようになった。
これは、いわゆる「応答可能性」とは異なる。
私が他者に「応答」するのではない。他者に対して「言い返す」のだ。
一人で勝手に応答して自己満足するなんて、もう御免である(客観的に見れば、私の連載は限りなくそれに近いだろうが…)。
…サイン会の話をしていたのだった。
まあ、参加するかどうか、何を伝えるか、あるいは、何を伝えないかはそのときの気分で決まるだろう。
そんなことはその場になってみないとわからないのだから。
とにかく、ミニライブ楽しんできます!
杏ゝ颯太