承前

 


 前回は、『POOL』で歌われる「いやいや」に着目し、「書かれた言葉」と「歌われた言葉」との断絶を見た。
 今回は、前回予告したように『MONDAY』における「書かれた言葉」と「書かれた言葉」との間に表れる断絶に焦点を当てたい。
 
 前回同様、以前に書いた文章から引用する。



 1stEPである『虚言者が夜明けを告げる。僕達が、いつまでも黙っていると思うな。』に収録されている『MONDAY』という曲の歌詞には、ある不均衡が見られる。一度目に歌われるさいには付けられていた疑問符が、二度目にはなくなってしまっているのだ。

 「大人なのに恥ずかしくないの?」から
 「大人なのに恥ずかしくないの」へ。

 このような疑問符の消滅自体は、同じEPの『Vanilla』という曲の歌詞にも見られる。
 しかしながら、『Vanilla』での疑問符の消滅は1stアルバム「シアノタイプ」では復活しており、こちらはさらにねじれている(あるいは、単なる誤植かもしれない)。また、『MONDAY』の歌詞には、一度目と二度目で改行の仕方が違う箇所もある。ただ、これらの問題については僕自身まだよくわからないのでひとまず置いておき、今回は『MONDAY』に見られる疑問符の消滅という事態のみに着目したい。
 
 そもそも、すぐに疑問符が消滅していることがわかったわけではなかった。

 実際、この曲を聴いているだけではわからないと思う。
 歌詞ではなく歌としての「大人なのに恥ずかしくないの」は明らかに「大人なのに恥ずかしくないの?」であり、「本当に恥ずかしいなあ」という声も併せて聴こえてきそうな印象を聴く者に与える。
 
 では、何が「大人なのに恥ずかし」いのか?
 「わあわあと泣いている」こと、である。

 一度目は、「わあわあと泣いている」ことに対して「大人なのに恥ずかしくないの?」というもはや答えを必要としない詰問が入る。大人なのにわあわあと泣いているのは、恥ずかしいことなのだ。
 
 しかしながら、二度目では「大人なのに恥ずかしくないの」と書かれる。
 
 先にも述べたように、あくまでも「大人なのに恥ずかしくないの?」と歌われてはいる。

 だが、書き手は「大人なのに恥ずかしくないの」と書いている。
 疑問符が、消えているのだ。

 「大人なのに恥ずかしくないの」という疑問符の外れた断定は、聴く者にとってはまったく同じ「大人なのに恥ずかしくないの?」という問いに否を突き付ける。

 大人なのに恥ずかしくないの?

 大人なのに恥ずかしくないの





 杏ゝ颯太