"Traffic gate(with two security guards)" Futaba, Fukushima (撮影:東間 嶺)
"うわ、またこりゃざっくりした地図だなあ"。防護服姿の伯母が車内から示した通行許可証と、一時立ち入りのルートが「ざっくり」書かれたコピー紙を見るやいなや、郵便局前に設置された『ゲート』の前へ立つ初老の警備員二人は素っ頓狂な調子の困り笑いを辺りに響かせた。午後の日差しが強くなってきていて、ヘルメットに安物の綿マスク、汗が滲んでくたびれた水色のワイシャツ、そして『原子力災害現地対策本部』の文字が入った安全ベストという《ふつう》の格好をした彼らは、首を捻りながら何度も地図とゲートの向こうを見比べていた。
Chapter-1:Into the Area(域内へ)
◆ 先月の、つまり2014年5月14日の午後、両親や伯母夫婦と共に、福島第一原発の事故で全住民に避難指示が出された福島県双葉町へ一時立ち入りした。町には祖父母の墓があり、現状を確認するためだった。
◆ 双葉町は教育者だった祖父、そして伯母と母の生まれ故郷だった。大学進学を機に伯母たち二人は上京し、祖父母も晩年は双葉を離れて生活拠点を首都圏へと移していたが、生家とその近隣、大熊や浪江など同じように避難指示が出された隣接自治体には、祖父の兄弟に連なる親戚、知人友人が幾人も暮らしていた。今は皆、各々が各々に、県内外で避難生活を送っている。
◆ そのことに関しては二年前のエントリ【[ #普通の福島 ]観光雑記】でも触れた。当時はまだ、双葉郡全体が『警戒区域』、つまり、『ゾーン/エリア』だった。あれから二年が経つうちに、『ゾーン/エリア』の状況は変わった。さまざまなトラブルが頻発しつつも収束作業が進捗し、セシウム137ではなく134の半減期(2年)が過ぎ、風雨による拡散を主因とする放射線量の自然減衰も確認された。一部地域では公的な除染も終わり、少しずつ帰還への動きも出始めている。
◆ 双葉町の『警戒区域』指定が解除されたのは約一年前の5月28日零時。だが大熊町や浪江町と同様、あまりにも発電所に近く、汚染が深刻なこともあって人口の96パーセントが居住していた土地は長期に渡って原則立ち入りが禁止される『帰還困難区域』へと再編された。見直しのメドはまったく立っていない。自治体から許可を得なければ、区域内を往来することさえ出来ない。
◆ ただ、立ち入りの基準自体は緩和され、住民票を持つ人間や報道関係者などでなくとも、縁者が一時的に墓所などを訪問することは可能になった。わたしたちはその区分で双葉町に入った。空き巣等に関わる防犯上の理由もあって、町への入退場を確認する複数のゲートとスクリーニング場をあらかじめ指定された箇所から選び、ゲートから目的地までの往復ルートも事前申請するなどの手間はかかるが、それでも立ち入れるようになっただけマシになった(詳細な手引は以下の町公式ウェブサイトで公開されている→双葉町への立ち入りのしおり)。
◆ 14日はまず両親の車で早朝に東京を発ち、常磐道からいわき市の藤間に向かった。宿泊先の『かんぽの宿いわき』で伯母たちと合流した後、昼食を摂ってから二人の車にわたしと両親も同乗し、再び常磐道を走って双葉町へ。広野町、楢葉町を通りぬけ、一時間もしないうちに富岡町の外れに設置された高津戸スクリーニング場と、第一の通行確認ゲートまで辿り着く。
◆ 広野町を過ぎるとき、いまや東電管区の電力供給を支える存在となった火力発電所の排気筒が遠くに見えた。ゲートまでの道すがら、持参したエアカウンターEXおよびSで時折、線量の推移を見ていたが、いわき市(0.1μSv/h前後)の倍程度から大きく上がることはなかった。
◆ 国や県などが公表している調査結果からも明らかになっているが、大半が警戒区域に指定されていた楢葉町、全域だった富岡町も、山林やホットスポットを除けば他の県内地域、さらに関東圏とそれほど変わらない数字まで下がってきている。とかく問題点の指摘される除染にしても、一定の効果はあったのだろう。しかし区域再編が行われても住民の帰還は始まっておらず、ほぼ人の気配は絶えている。
◆ ところどころ、水田には、あの例の黒い袋が整然と並べられ、あるいは無造作に投げ出されていた。除染で発生した廃棄物を押し込めている『黒色高耐候性フレコンバッグ』は、荒廃した片田舎の風景の中に浮き上がる奇妙な異化物だった。本来ならけして置かれることなどない場所へと積まれた一群の袋は、画像合成のような不自然さと、不穏で禍々しい気配を強く発していた。…というような述懐はあまりにも凡庸なものなのだけれど、眼前の風景に満ちている即物的な生々しさは、凡庸な感想以外を強く拒んでいるような気がした。死体袋みたいだ、とわたしは思った。
◆ 広野町を過ぎるとき、いまや東電管区の電力供給を支える存在となった火力発電所の排気筒が遠くに見えた。ゲートまでの道すがら、持参したエアカウンターEXおよびSで時折、線量の推移を見ていたが、いわき市(0.1μSv/h前後)の倍程度から大きく上がることはなかった。
◆ 国や県などが公表している調査結果からも明らかになっているが、大半が警戒区域に指定されていた楢葉町、全域だった富岡町も、山林やホットスポットを除けば他の県内地域、さらに関東圏とそれほど変わらない数字まで下がってきている。とかく問題点の指摘される除染にしても、一定の効果はあったのだろう。しかし区域再編が行われても住民の帰還は始まっておらず、ほぼ人の気配は絶えている。
◆ ところどころ、水田には、あの例の黒い袋が整然と並べられ、あるいは無造作に投げ出されていた。除染で発生した廃棄物を押し込めている『黒色高耐候性フレコンバッグ』は、荒廃した片田舎の風景の中に浮き上がる奇妙な異化物だった。本来ならけして置かれることなどない場所へと積まれた一群の袋は、画像合成のような不自然さと、不穏で禍々しい気配を強く発していた。…というような述懐はあまりにも凡庸なものなのだけれど、眼前の風景に満ちている即物的な生々しさは、凡庸な感想以外を強く拒んでいるような気がした。死体袋みたいだ、とわたしは思った。
"Nuclear waste" Futaba, Fukushima(撮影:東間 嶺)
"Nuclear waste" Futaba, Fukushima(撮影:東間 嶺)
Chapter-2:inside the area(区域内で)
◆ 常磐富岡で高速を降り、県道36号線沿いに設けられた高津戸スクリーニング場に向かうと、簡易プレハブの詰め所からごく普通の作業服と帽子、マスク姿の係員数人が一斉に飛び出してきた。一人はGM式のサーベイメーターを持っていて、ご苦労様ですー!許可証お願いしまーす!と叫んだ。彼らに通行許可証と各自の身分証を見せてから、おじが携帯の連絡先を教え、ごくシンプルな、『防護服』一式(カッパ型上着、ズボン、ゴム手、綿手、足カバー、ネット帽子、マスク)と線量計2種(空間線量計はTERRA、個人線量計は確か日立ALOKA製のEPD)を借り受ける。
◆ 『防護服』は、以前の一時帰宅者たちが身につけていた本格的な装備(タイベック)ではなく、わたしが万が一の為に東急ハンズで買ってきた、日光物産のポリプロピレン素材で作られた保護服(1着1000円程度)よりも安っぽい代物だった。着用にしても、一応は脱ぎ着出来るプレハブが用意されていたのだけれど、立ち入ってから車内で身につけても構わない、といったアバウトな雰囲気だった。着替えるとき、『防護服』では放射線を防ぐことは殆どできないのだ、とおじに伝えると、おじは呆れたような顔をして、「それじゃ意味がないだろう。なんで着るの」と言っていた。わたしは、「放射性物質の付着と吸引を防ぐためだ」と答えた。
◆ 係員はみな退屈しているようで、スクリーニング場にはのんびりと弛緩した空気が漂っていた。そこは帰還困難区域と居住制限区域の境に位置していたが、線量は0.2μSv/h程度と低く、実際特に誰も気にしている風ではなく、まるでガソリンスタンドの受付係みたいな物腰が印象的だった(県の測定結果によれば、1~3μSv/hを超える地点も周辺には存在しているが、恐らくスクリーニング場を整備するにあたって除染したのだろう)。未だ放射線へのパラノイアに陥っている人々にとっては、およそ信じ難い、常軌を逸した光景に見えただろう。
◆ それは常磐線高架横の通行確認ゲートへ陣取った人々も同じだった。通過のさい、再び身分証明書提出を要求するときも、わたしたちの車が区域内に向かうのを見送ろうとするときも、いずれも極めて低姿勢だった。護送車のようなものが複数台止まっていたが警察官の姿は見えず、中年のおばさんや、学生のような若い男が主に受付を行っていた。誰もが警備員の制服か、作業着姿だった。すぐ目の前には町民の集団一時立ち入りのバスも停車していたが、そこに乗っている人々もみな普段着だった。わたしたちだけが防護服を着ていて、なにかひどく浮いているというか、間が抜けているように感じた。
◆ 確認を済ませ、36号線から双葉大熊方面に伸びる国道6号線(通称『陸前浜街道』)を走って大熊町に入ると、急に線量計の数字が跳ね上がり、計測部でガンマ線をキャッチするピッという電子音が激しくなる。2つのエアカウンターも借り受けたTERRAも、4~11μSv/hの数字を示していた。先ほど通ってきたゲートやスクリーニング場周辺の数十倍の値だった。さらにそのまま6号線を北上して大熊町を抜け、双葉町に入る辺りから今度は数字が下降し始める。このテキスト冒頭に登場する二人の警備員が立っていた双葉郵便局前のゲートまで進むと、1μSv/hを切るところま下がっていた。数キロの移動で、ここでも十倍以上の差が出ている。
◆ 平均したレベルは違うものの、汚染に晒された関東圏の各県や都近郊がそうであるように、事故時の風向き等の影響から、旧警戒区域内でも数キロ単位で著しい線量変化が存在している。これまでさんざん報道等でも指摘されてきたことだが、単純に数値の問題だけで言えば楢葉町や富岡町と大熊、双葉、浪江の各町を同列に語ることができないのはもちろんのこと、大熊、双葉、浪江の中でも無視できない差がある。福島県や原子力規制委員会が公開している最近の測定結果を見ても明らかだ。
◆ 祖父母の墓は、上掲の図で緑と黄緑の丸点(~1.00と~2.00μSv/hの範囲)が集中している、常磐線と国道6号線に挟まれた新山根小屋(しんざんねこや)地域にある。そこは自性院という真言宗の寺の地所で、発電所正門から北西4キロ弱に位置していた。方位的には損傷した原子炉から飛散した放射性プルームが高濃度の汚染を残したところだが、根小屋をはじめ、双葉駅から南に1.2キロほどの双葉南小までの一帯はその軌跡から僅かに北北西側(発電所から見て)へ外れているため、すぐ西側と比べて数倍から十倍以上も線量が低くなっている。
【キャプチャ画像リンク:同上、福島県放射能測定マップ】
◆ しかし、6号線から北東側でも部分的には高い汚染の帯が伸びていて、《美味しんぼ鼻血ブー騒動》でも物議を醸したあの井戸川克隆前町長が、「死の灰を浴びた」と主張する双葉厚生病院も含まれている(参照:福島民報「原発建屋?の破片降る 灰色の煙、病院に迫る【午後3時36分、1号機で水素爆発】」)。
◆ 前町長や病院スタッフが主張するように、吹き飛んだ建屋の断熱材などが降ってきたかどうかはともかく、2011年3月分の県内モニタリングポスト値を見ると、3月14日までで記録が途切れている新山(No.18)、同じく北西方面に位置する上羽鳥(No.19)では最高値904、1590μSv/hというケタ違いに高い数値をそれぞれ計測している。
(キャプチャ画像リンク先:福島県【原子力発電所の環境放射能測定結果 平成23年3月11日~3月31日(東日本大震災発生以降)】1P)
◆ 今回の事故で最大量の放出が起きたとされる2号機の格納容器損傷は15日朝方のことなので、14日の時点でここまでの数値になっているということは、1号基ないしは3号基の水素爆発で飛び散った放射性物質の一部が、北西方向の各地へまだら状に《降った》ことは確かなのだろう(その被曝が町長の訴える《体調不良》に繋がることは数値上考えられないが)。
Chapter-3:Deja vu(既視感のパノラマ)
"Cemeteries(family grave)" Futaba, Fukushima(撮影:東間 嶺)
◆ 「まあ、我々の方からあまりああしろこうしろとか言えないんで、移動とか、自己判断で」困り笑いのままそう言いながらゲートを開けた二人の警備員を後ろにして、わたしたちは墓地まで向かった。倒壊し、一部が道路にせり出した民家や地割れを慎重に避けながら走っても、郵便局前の交差点からは十分程度の距離だ。
◆ 車内から無人地帯になった故郷の町を見て、伯母や母は驚きを隠せない様子だった。 事前に一時帰宅した親戚や友人たちから現況を聞いていたとはいえ、まず何より強烈な地震の被害に改めてショックを受けていた。そして、半壊した親戚や知人友人の家が殆ど手付かずで3年以上も放置され、いま自分たちがシュールな白装束姿でそれを目撃している理由と意味とに、呆然としているようだった。
◆ 一方わたしは、車窓の外を流れ去る景色を時折撮影しながら、昨日まで何度か眺めていたGoogle Street Viewが捉えた記録画像と自分の写真が殆ど完全に重なっていることを確認し、既に体験していた経験をもう一度体験し直すような強いデジャヴュを味わっていた。墓地へ到着し、清掃と草むしりの合間に周囲を歩き、さらに撮影をする毎に、震災以前の町の記憶とも混ざり合いながら、その感覚は強まっていった。
◆ Googleが浪江町と協力して旧警戒区域に車を走らせ始めたのは昨年3月のことだったが、今やその範囲は双葉郡の大半にまで広げられている(参照:Google Japan Blog: 福島県浪江町のストリートビューの公開によせて)。
◆ 双葉町も、町内の主要道路を中心に殆どの地域を『ドライブ』することが出来るし、そもそもここまでの道程自体、事前に《下見》が可能だった。
◆ 自らが行ったことの無い空間や時間、経験したことの無い出来事などの画像/映像を見て疑似体験を得ることは、既にずいぶん前から広く一般化した行為だが、物理空間を記録する技術と共有方法が多様化、高度化するに従って、体験も同様に多様なものになっている(今回の震災の場合でも、被災者が撮影しオンライン上にアップロードした映像を見ているだけで、実際に被災したかのような精神的ダメージを受けた人間が出た)。
◆ Googleが、MapsとEarthとStreet Viewの組み合わせで提供する視覚の驚異的なパノラマは、それらを明らかに更新している。
◆ この景色を、わたしはもう《体験》している。眼前の被災した風景をファインダーで四角く切り取りながら、そう思った。
TO BE CONTINUED→《結界の内側にて-2》
◆ Googleが、MapsとEarthとStreet Viewの組み合わせで提供する視覚の驚異的なパノラマは、それらを明らかに更新している。
◆ この景色を、わたしはもう《体験》している。眼前の被災した風景をファインダーで四角く切り取りながら、そう思った。
TO BE CONTINUED→《結界の内側にて-2》