日々の生活はまったく変わらないにもかかわらず、この四月一日をもって、私はどこにも属さない存在となった。
どこにも属さないこと、つまり、大学を卒業するということは、何よりもまず奨学金が入ってこなくなるということを意味した。
もともと、卒業後の進路は大学院進学を目指していた。
しかし、とりあえずどこでもいいから進学出来ればいいというわけでもなかった。
実際、私は自分の所属大学の大学院を受けることを選択しなかった。また、唯一受けたところに何がなんでも行きたいわけでもなかった。事実、事前の挨拶にも行かなかったし、ろくに勉強もしなかった。
こんなふうに書いてしまうと、どうしても後からとってつけた言い訳のようにしか聞こえないと思うが、私は落ちることをある程度望んでいたように思う。落ちてしまえば、自分の学問全般に関する中途半端なプライドを捨てるきっかけとなるかもしれないし、高校時代から続く慢性の肉体疲労(長時間勉強するにはあまりに目が疲れてしまうのだ)を軽減することも出来る。だから、現に、ある時期からはそちらの方が正しい選択だとさえ思っていた。
そういえば、大学院に落ちようと思う以前に、教師になること(より正確には、教員免許に必要な授業の単位を取ること)も、二年の始めには断念していた。塾講師のアルバイトを経て、自分がつねに教える立場に立たされることに耐えられないと確信したからである。それに、単に単位さえ取れば教員免許なるものを取得出来ることに唖然としてしまったのも理由の一つだ。
そんなことは大学に入る前からわかっていたことではないか?
実際、少なくとも一度はどこかで、そういう情報を目にしていたはずである。
しかしながら、小さいときから教師に憧れていたわけでもなく、単に受験勉強の延長線上で、つまり、自分が生徒として経験した受験勉強を、今度は教える立場から経験してみたいというような動機しか持っていなかった私の頭からは、その事実がすっかり抜け落ちてしまっていた。
あるいは、そんなことは知っていたし、ちゃんと覚えてもいたけれど、実際に単位を取るという行為にそれ以上の違和感があったのかもしれない。周知のように、粛々と単位を取ることは実に奇妙なものである。
そもそも、大学に進学したのも別に大学生活に憧れていたわけでもなく、単に受験に受かったからという理由だった。中学まで野球しかやってこなくて、高校で始めて真面目に勉強を始めた私は受験勉強それ自体にのめり込んでいた。そのため、大学受験もあくまで受験勉強の一つ、あるいは、最後の受験勉強という感覚だった。
そんなわけで、早い場合には中学卒業時には直面する働くということ、就職するということについて、高校卒業時に考えることはわずかばかりもなかった。
しかしながら、大学卒業時ともなるとやはり考えざるをえない。ただ、そのさいにまず直面したのは、働くこと、就職することではなく、就職活動だった。
身も蓋もなく言ってしまえば、私は就職活動がしたくなかった。
というか、出来なかった。
もちろん、まったく何もしなかったわけではなく、就職活動が解禁になる三年の十二月が訪れる三ヶ月程前までは精力的でさえあった。しかしながら、三年の十一月頃に大学院進学の検討を始め、十二月にはあたかも当然のように大学院進学を志望し、就職活動を辞めてしまった。
そして、私はこれまた当然のように二月の大学院受験に失敗し、さらに大学の先生に紹介してもらった会社の採用試験にも先月落ちた。
さて、周知のように、五日程前から、新聞配達のアルバイトを始めた。
大学院試験に落ちたあとも、三月までは仮にも大学生だったので奨学金は給付されていたし、試験に落ちたお陰で入学金が不要になった。そのため、しばらくは働かなくても生活することが出来た(もちろん、基本的には兄におんぶにだっこであるが)。
しかしながら、そのお金も次第に減ってきたし、いくらおんぶにだっことは言え、三分の一程度は私が稼がないと生活出来ない。そんな事情から、とりあえずという形ではあるが新聞配達のアルバイトを始めた。
始めてみてつくづく思うことは、私は生活していく上で本当に必要最小限の生活費さえ稼げればそれでいいということだ。大学での就職活動は基本的に正社員での採用を目指す。が、私は正社員になりたくないのだ。というか、なる必要性がまったくない。
一番の難点は、時間が拘束されすぎること。
平日はほぼすべて仕事で終わる。私は平日大好き人間(大学生の、特に三年、四年の特権は、平日の午前中を自由に過ごせることだ)なのでこれには我慢出来ない。
そして、給料が多すぎること。
多いと言っても、せいぜい二十万前後だろうが、二年からは兄の給料と奨学金で生きてきた私には法外な金額である。シンプルに言えば、お金は必要最小限でいいから、自由な時間がほしいのだ。よく、学生はお金はないが、時間はあると言われ、反対に、社会人(になると)はお金はあるが、(それを使う)時間はないと言われる。
それだったら、時間がほしかったら、必要最小限働いて時間を作ったらいいのではないのか?
一見、優柔不断に見える私の行動もこの観点から見ると驚く程単純である(自分でもこの単純さに気付いたのはわりと最近で今回始めて言語化出来た)。
もちろん、その時間に何をするかは個々の自由なのだが、それを母親や兄に説明するのはなかなか困難である。兄は去年から仕事漬けの日々だし、母親にはとりあえず正社員で働いてお金がある程度貯まってからそういうことは考えたらどうかと言われた(私が母親に「正社員だと貰えるお金があまりに多すぎる」と言ったら、母親は給料が多すぎることに不満を覚えることが理解出来ないようだった)。
これは、兄に言われたことだが、私の場合は動機が薄すぎるらしい。
例えば、小説家を目指していて、そのためにアルバイトをしながら少ないお金で生活する。要するに、何か夢なり目標があり、それに向かって頑張る生き方だ。その夢や目標が具体的なもの、あるいは、社会的に認知されているものならわかりやすいし、その夢や目標も何らかの職業であることが多い。
しかしながら、私は別になりたい職業があるわけではない。
私はただ単に平日の午前中に梅田の某書店や某レコード店に行き、立ち読みをしたり、ときには本やCDを買い、帰ってゆっくり読んだり聴いたりしたいだけなのだ。あるいは、このようにまとまった量の文章を不定期に書いていきたい。
正社員になっても、本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたりすることは出来るだろう。
しかし、平日の朝の、あるいは、平日の午後の何とも言えない空気感は味わえない(もし仮に正社員で働くことになっても、土日ではなく平日に二日休みがほしい)。
繰り返すが、正社員で働いても、通勤途中に本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたりすることだって出来るだろう。しかしながら、それは同じ行為であったとしてもまったく違うものになってしまう。
仕事の合間にではなく、反対に合間に仕事をする。
私は、そちらを望む。
私の夢、私の目標は、決して大きな野望ではない。
しかしながら、それをささやかだとも言いたくない。
私にとっては、その時間こそが最も大切なのだから。
少なくとも現在の生活形態が続く限りではあるが、当面は、ある程度望むような生活が出来そうである。朝、帰宅してから昼まで寝てしまうので、平日の朝は活動出来ないが、配達途中に日の出が見れたりする。平日の午後に本を読む元気はまだないが、こうして文章を書いたりすることが出来るようになった。家事も出来るし、食事の時間も変わらない。出発前は音楽も聴ける。
ということで、完全にではないけれども、満足のいく生活が出来そうである。
ぼちぼち頑張ります。
杏ゝ颯太