今回紹介する『フルートベール駅で』も、前回取り上げた『それでも夜は明ける』と同様、実話が基になっています。この映画の事を知ったのは、資料として参照したWikipediaに、サミュエル・L・ジャクソンによる以下の発言が紹介されていたからです。


 
「『それでも夜は明ける』こそ、アメリカの映画界が人種差別に真摯に向き合おうとしていないことを証明している。もし、アフリカ系アメリカ人の監督が本作を監督したいといっても、アメリカの負の歴史を描くことにスタジオが難色を示すであろう~(中略)~過去の奴隷の解放を描いた本作よりも、現代における理不尽な黒人殺害事件を描いた『フルートベール駅で』を作ることの方が勇気のいることだ」

――Wikipedia「それでも夜は明ける」より、【著名人の反応】から抜粋。
 

 
 この映画は、2009年1月1日に起こった黒人青年射殺事件(参照:AFPニュース)が題材になっています。事件後には全米規模で抗議集会が開かれ、一部では暴動になるなど大きな騒動に発展しました。

 作品の構成は至ってシンプルです。まず、主人公のオスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)が射殺されるという事件のクライマックスが冒頭に置かれています。そして、その日の朝まで一気に時間を遡り、そこから《その時》までを時系列順に追っていきます。単純といえば単純ですが、冒頭のシーンがあまりにも衝撃的な為、観客はのっけから映画の世界に引き込まれてしまうでしょう。





 その導入部が衝撃的なのは、それが事件発生時に携帯電話で撮影された実際の映像だからです。上に挙げたYouTube動画は、他にも数多くアップされている動画の一つで、劇中に使用されたものとは異なっているかもしれません。しかし対象は間違いなくその場面です。

 そうです。オスカー・グラントは、衆人環視の状況で警官に射殺されたのです。

 この映画は、そこから始まります。


日常の破壊

 大晦日の朝、オスカーは恋人のソフィーナ(メロニー・ディアス)、三歳になる愛娘のタチアナと共に目覚めました。愛情に満ちた普通の家庭の朝の一コマです。いや、「普通」とは言えないかもしれません。オスカーは朝からマリファナを吸おうとしてソフィーナに怒られていますし、彼はかつて売人もやっていた前科持ちで、パートタイムのスーパーの仕事は寝坊を繰り返してクビになってしまいました。

 しかし、「普通」ではないかもしれないけど、グラントのような男は何処にでもいるのではないでしょうか?リスクに対して鈍感で、楽しい事が好きで、自分を律する事が不得意です。それでも恋人と娘の事を深く愛していて、早く結婚して幸せな家庭を作りたいと願っています。そしてその日は、今まで散々に心配を掛けた母親ワンダ(オクタヴィア・スペンサー)の誕生日でもありました。だからこそ、その日は彼の人生の様々なものを凝縮したような、密度の濃い一日になったのです。

 オスカーはタチアナを幼稚園に送ると、何とか仕事に復帰できるようにスーパーの店長に頼み込みますが駄目でした。それならばまた売人をするしかない、と隠しておいたマリファナを知り合いに売ろうと思い立ちます。しかし結局それは海に捨てました。大晦日に金が無いと言うのは惨めなものです。でもワンダに心配を掛けたくない。ソフィーナとタチアナを幸せにしてあげたい。

 仕事もなく金もない。袋小路に迷い込んだかのようなオスカーの人生ですが、タチアナを幼稚園に送り迎えする際などは、彼の本当に幸せそうな一面が垣間見えますし、その日の様々な場面でオスカーの人懐っこい、良いヤツっぷりを見る事が出来ます。

 オスカーの最後が予め提示された後で彼のそのような日常を見せられるわけですから、それを見る者がそこに単なる日常性を見出せる筈はありません。観客は、まるで「何でもないような事が幸せだったと思う♪(by高橋ジョージ」というような、日常が破壊される様をまざまざと見せ付けられるわけです。
 さて、そこで問題となるのは、オスカーの「日常」が破壊された、その理由です。


《理由》は何だったのか?

 オスカーは当初、車で出かけるつもりでいました。仲間と連れ立ってカウントダウンの花火を見るためです。しかし、どうせ酒を飲むのだろうと見越したワンダは、電車を使う事を提案します。オスカーは素直にそれを聞き入れ、ソフィーナと連れ立って仲間と落ち合い、電車に乗り込みます。けれどそれは途中で停車してしまい、結局は車中で新年を迎える事になってしまいました。

 「きっかけ」は、そこで起こります。

 オスカーはそこで、収監されていた時に揉め事を起こした相手(ヒスパニック系のようでした)と偶然出会ってしまい、結果として仲間達も巻き込んで暴動のような事態に発展してしまいます。停車中だったこともあり、すぐに鉄道警察が出動し、オスカーと仲間達はホームに連れ出されます。

 英語版のwikipediaによると、事件当時のオスカーはアルコールを口にしていたそうですし、鎮痛剤のフェンタニルも服用していたとされています(ただし、これはオスカーを射殺したヨハネス・メセリ側弁護士の言い分です)。また、このフルートベール駅のあるオークランド周辺は治安が悪く、住宅の窓には鉄格子がはめられており、凶悪犯罪も多発しているそうです。

 オスカー・グラントは前科持ちでした。アルコールや薬である程度酩酊していたのかもしれませ ん。再び収監されるのは嫌だからと、必死に自分の正当性を喋り散らして抗議したでしょう。しかし例えそうであっても、オスカーは射殺される直前には地面へ抑え付けられ、抵抗など不可能だった事は一目瞭然です。ただ、治安の悪い地域で起きた乱闘の当事者で、尚且つグラントは黒人ですから、警官たちは必要以上に緊張していたのかもしれません。

 前回、『それでも夜は明ける』のレビューを書いた際、映画の最後に後日談として紹介されるとあるエピソードについて、あえて書きませんでした。主人公、ソロモン・ノーサップが奴隷生活から脱した後の事です。ソロモンを騙して彼を奴隷商人に売り渡した二人組は裁判に掛けられたのですが、黒人の出廷が許されていなかった当時の法廷では、二人組を有罪にする事は出来なかったそうです。

  それから150年が過ぎました

 オスカー・グラントを射殺した警官ヨハネス・ミセリの、「テーザー銃(スタンガンの一種)と拳銃を間違えてしまった」という言い分は認められ、彼は逮捕されてからの拘留機関を含めて二年間の懲役刑に処せられました(結果として、裁判後の服役は約7ヶ月程度だったようです)。

 この事件が起こった理由を、一口に「黒人だから」と、済ませる事には躊躇してしまいます。しかしそうであっても、判決をそのまま受け入れて済ませてしまうのは更に困難です。冒頭で紹介したサミュエル・L・ジャクソンの言葉が重く響きます。

 オスカーの死因は出血多量で、撃たれた後も暫くは意識があったようです。うつ伏せ状態だったオスカーは身体を返してミセリと向き合いました。その時オスカーの頭の中にあったのは、ソフィーナでありタチアナであり、ワンダだったでしょう。オスカーは、彼の日常と描いた未来が今まさに破壊されていくその場面で、同じ世代の見知らぬ警官に向かって、その無念を刻印するかのように言いました。



「You shot me!(お前が俺を撃ったんだ!)」
 


 この台詞が、『フルートベール駅で』の中で、オスカーが発した最後の言葉です。
 様々な思いを込めたであろう一言ですが、あまりにも空虚に聞こえるこの言葉が、オスカーの人生最後の言葉ではなければ良いなあと思います。

 『フルートベール駅で』は、2013年に全米公開され、日本では今春の公開後、一部の映画館では現在も上映中です。監督・脚本はライアン・クーグラー、制作はフォレスト・ウィテカー、両者ともアフリカ系アメリカ人です。

 ……ということで、次回はフォレスト・ウィテカー繋がりの作品で、彼自身が主演し、アメリカにおける黒人差別の歴史を概観する事の出来る話題作、『大統領の執事の涙』です。