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写真:【チェユクチョン(Deep frying)】作成、撮影、東間 嶺以下全て同じ



パク・ミョンは懐かしい香りを嗅いで、ふいに故郷の村の風景を思い出してしまった。チェユクチョンは、昔母が何度か作ってくれた料理だ。パク・ミョンは、江原道平康近くの、名前のない小さな村で生まれ育った。豚肉はまず党に供出しなければならず、本当に特別なときでなければ食べられなかった。祖父が解放戦争で戦死していて成分は申し分なかったが、両親ともに果樹園で働く労働者で、家は貧しかった。パク・ミョンが五歳のとき弟が生まれて、そのお祝いの席で生まれて初めてチェユクチョンを食べた。

(村上龍『半島を出よ (上)』、幻冬舎文庫、2007年、P293)
 


◆ リリー・フランキーのそれほど有名ではない(と思う)作品に、『架空の料理 空想の食卓』という、《料理》を扱った共著がある。

◆ 『料理王国』で三年半ほど続いた連載を元にした本で、フランキー氏が、澤口知之という著名なイタリアンのシェフに、「俺のムチャクチャなオーダー(P278)」をあれこれと要請し、その《ムチャクチャ》に澤口氏が応え、創りあげた異彩の料理を現場(澤口氏のかつてのオーナー店、リストランテ・アモーレ)で食したのち、各回のテクストを書くという流れ。

◆ 今やバカ売れした『東京タワー』より、俳優としての知名度が最高潮に達している感のあるフランキー氏なのだけど、上記の共著ではエッセイストとしての力量を遺憾なく発揮し、料理というものに関するテクストの新境地を開いている。

◆ 脈絡に欠ける日々の身辺雑記や憂い事、そこから着想した、氏の《いま、食いたい料理》。随所にブリザード吹き荒れるオヤジギャグすれすれの比喩、駄洒落、下ネタを散りばめた氏の語り口(氏によれば、性と食の不可分さを語ろうとしているらしいが…)は、しばしば紹介すべき映画とはまるで無関係な話に終始しているくせに、結果として独自の言語表現を展開するに至った中原昌也の一連の映画論評をふと想起させもし、何かについて紹介、ではなく、《語る》ことについて色々と再考を促されるものであった。

◆ さてしかし、わたしが冒頭に引いたテクストはフランキー氏によるものではなく、いつのまにか還暦を過ぎたリュー・ムラカミ氏の傑作からであり、いささか成形の美しくない『チェユクチョン』を作ったのも凄腕の料理長、カポクオーコCapocuoco澤口氏では勿論なくて、ドシロート台所番のわたしであり、料理を前にしてこのエントリをまさに書いているのも、フランキー氏でもリュー氏でもなく、わたし、東間である。オーダーも、料理も、テクストも、すべて非コラボ精神で、DIYを試みた。

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【チェユクチョン(Deep frying)】


記憶/思考、そのトリガーとしての料理(死なないための)

◆ 『チェユクチョン』…、この、日本語では聞きなれない奇妙な響きの料理は、福岡へと侵攻した北朝鮮の精鋭コマンドたちが、占領し、臨時司令部を設置したホテルで市長や知事らと行う共同会見と宴席のために用意したメニューの一つであり、若いエリート兵の一人に、過去を苦い感傷と共に脳裏へと蘇らせる象徴的な料理として登場する。



(…)それ以来、母親は、パク・ミョンの入党の日や、大学への入学許可が出た日などに必ずチェユクチョンを作ってくれた。平壌に行くために故郷を離れるとき、チェユクチョンを作ってやりたかったけどもう豚肉が手に入らなくなった、と悲しそうな顔をして母親が言った。当時は豚肉どころか米もトウモロコシも満足に食べることはできなかった。果樹園で働く顔見知りのおじさんが、ミョンのお母さんは豚肉を探して丸三日歩き回ったんだよ、と教えてくれた。(…)母親は、お前が帰ってきたらおいしいチェユクチョンを作ってあげるよ、と言って何度も泣いた。パク・ミョンは、母親の顔をまともに見ることができなくて、ずっと氷の張った田んぼで滑る女の子たちと、その赤いマフラーを見ていた。
 
(村上龍『半島を出よ (上)』、幻冬舎文庫、2007年、P294)
 


◆ 多作で知られるリュー氏は、当然のことながら料理をテーマにした小説も何冊か出版しており、中でも『料理小説集』などはわたしも凄く好きな作品なのだけど、直接的な扱いではない『半島を出よ』のところどころで、北朝鮮の軍人たちが《食》について思い巡らし、言及する場面は、《美食》で埋め尽くされた過去の作品とは異なった強く生々しい印象をわたしに与えた。

◆ 描出される殆どのエピソードが飢餓に関連していて、リュー氏が愛する文化的悦楽としての《食》など、彼の国の殆どの民にとっては論外以前というか、もう遥か億万光年彼方という感じで、まずもって素朴な喜びとしての食事すら大変な幸福と見做されるような世界に生きている。

◆ それは《料理》ですらもはやなく、命をつなぐ糧としての単なるカロリー摂取でしかなく、野生動物と同じ次元で血眼にならざるを得ない彼彼女たちの姿は、圧政下での貧しさや飢えがいかに悲惨/陰惨か、凄絶に人間性を剥奪するものであるかを読み手の脳裏に強く刻みこむ。感情を排した平面的な筆致は、ときおり単調すれすれなほどに淡々としているのだけど、それがむしろ、起こっている事象の異常さをより際立たせている。



平壌に行ってから、帰郷するたびに状況はひどくなっていった。両親は痩せ細り、父親はひどい神経痛で果樹園で働くことができなくなった。山も果樹園も、戻るたびに少しずつ削られるように姿を消していた。飢えと寒さに耐えかねた人びとがリンゴの木や山の木を切り倒し、斜面にトウモロコシを植え始めたのだ。冬になると田んぼは凍ったが、スケートする人は誰もいなくなった。一度平壌から、軍で分けてもらった豚肉を持って帰ったことがあったが、胡麻油もニンニクも卵も豆腐も、キムチさえもないので、チェユクチョンは作れないのだと母親は言った。パク・ミョンはチェユクチョンの作り方と材料を知らなかった。豚肉さえあればチェユクチョンが作れるのだと思っていた。

(村上龍『半島を出よ (上)』、幻冬舎文庫、2007年、P294-295)



◆ 『チェユクチョン』は、そうした悲惨の中での、数少ない幸福な食卓の記憶として記述される料理だ。フランキー&澤口氏の共著なら、さしずめ《ゲリラが占領地で過去を想いながら食べる料理》とでも題されるだろうか。

◆ 二度と帰らぬことを前提に半島から送り出された彼彼女らは、全体主義社会のくびきから自由な存在となって、福岡へと侵攻した。そして、圧倒的に異質な外部(日本)との接触により、抑圧していた自我と記憶が刺激され、一個人として在ること、考えることが解放される。

◆ そのことに、ある者は戸惑いを見せ、ある者は興奮を覚える。『チェユクチョン』の香りで故郷の惨状を思い出すパク・ミョンは、まだ自分が変わりつつあることに気付いていない(結局、かれはそれに気付かないまま、イシハラグループの破壊工作によって他のコマンド共々死ぬことになるのだが)。


『チェユクチョン』=朝鮮風ミートボール(天ぷらではない)

◆ では、かつてパク・ミョンが豚肉さえ確保すれば作れると思いこんでいた、かれに覚醒を促した『チェユクチョン』とはいかなる料理なのだろうか?簡単なレシピは、以下のように作中で示されている。

 

チェユクチョンは、布巾で絞って水気を取った豆腐と、同じようによく水気を取ったキムチと、ミンチにした豚肉を、塩と黒胡椒とニンニク、それに胡麻油を加えて混ぜ、卵の黄身をつけて油で揚げる。卵と豚肉と豆腐、それにさまざまな調味料が混じり合って、油で揚げると独特の香ばしい匂いがする。
 
(村上龍『半島を出よ (上)』、幻冬舎文庫、2007年、P294-295)
 


◆ このテクストを書くにあたり、本文を参照しつつわたしが家族の夕食用として何度か作った結果がエントリ内に掲示した写真である。タネの形状については記述が無いのだけど、揚げる(Deep frying)なら、丸める以外の選択肢はあまり無いだろう。

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【チェユクチョン(Deep frying)】

◆ 本文中には、「チェユクチョンという豚肉の天ぷら(P293)」とも書かれているが、《魚介類や野菜等の食材を、鶏卵と溶き汁を小麦粉にあわせたものを衣とし、油で揚げて調理する》という天ぷらの定義(参照:Wikipedia)に従えば、どう考えても上記の手順を天ぷらと呼ぶのは無理で、無理というか、揚げる、という点しか共通項がないチェユクチョンを《天ぷら》と称するのは、昭和日本の一部で《リゾット》を《洋風おじや》などと訳した暴挙に通じる、どうにもムチャな話。そこへ違和感を持たないリュー氏の料理観、巨匠の、一種独特のものか、あるいは、単に読み返していないのか。

◆ なんにせよ、調理してみた実態としての『チェユクチョン』は、キムチと豆腐入りの肉団子、言うならば《朝鮮風ミートボール》とするのが妥当なところだ。クックパッドには、チヂミならぬ『ジョン』の調理法として似たようなものが存在している。揚げるのではなく、小麦粉をまぶして円状に整え、ピカタのようにソテー(Sauté)で仕上げているところが異なってはいるが、アレンジの範囲内だろう。つなぎがない上、小麦粉をまぶさないので成形がやや難しいが、《チェユクチョン》でも同じことはできる。

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【チェユクチョン(Sauté)】

◆ ただ、ここで一つ疑問なのは、万能のGoogle検索で《チェユクチョン》という単語を検索しても、他のどんなレシピも作例も無く、Wikipediaにも行き当たらないということ。

◆ 引っかかってくるのはどれもこれも『半島を出よ』の記述ばかりで、それ以外は、わたしと同じように本を読み、この料理を作ってみようと思い立った方のブログがいくつかある程度。中国は黒竜江省、ハルビン市出身で現在はソウルに住む朝鮮族の友人女性に尋ねても、「そんな料理も言葉も聞いたことはない」と首を傾げていた。

◆ リュー氏の取材チームは、『半島を出よ』を書くために巻末へも示されている膨大な資料を読み込み、何人もの脱北者へ取材を重ねたという。『チェユクチョン』も、取材の過程で彼らが教えてくれたのだろうか。とすれば、日本でも、似たような料理が地方によって微妙に調理法や名前が異なったりするのと同様、江原道平康群でだけ通じる呼称や作り方なのかもしれない。上記クックパッドでの類似レシピでは、《韓国名節料理の1つ》とされ、「毎年、旧盆・旧正月に必ず作る料理としてお義母さんから教わりました。」とあるので、材料の欠乏云々が無くとも、特別な意味をもった料理のようだ。


「特別なごちそう」としての肉団子(素朴な)、その切なさ

◆ パク・ミョンが母に聞いた(と思われる)手順で作ったチェユクチョンの味は、日本で一般的な、揚げたあとに甘い煮汁をからめるミートボールとはまったく異なっている。

◆ キムチとにんにく、さらに胡麻油、黒胡椒も加わった刺激的な香りが豚挽き肉の旨味を増幅させ、さらに豆腐が入り、最後は卵でくるまれることによって揚げ油を含んだ脂のしつこさが中和され、口当たりは驚くほど柔らかだ。日本では、唐辛子とニンニク、発酵食品が濁流のように交じり合い、洪水となって迫り来るものばかりが知られる朝鮮の料理とは思えないほど、その味は素朴で優しい。汁気を切ってパンに挟み、サンドイッチにしてもウマい。

◆ 混ぜて、こねて、丸めて揚げるだけ。単純と言えば単純だし、けして奥深く複雑な味わいとも言えないが、人格障害の気がある『美味しんぼ』のバカ親子以外、例えばコロッケやメンチカツにそんなものを求める人間はいないだろう。

◆ しかし、コマンドたちが後にした祖国において、それは人民の平凡な家庭料理などではなく、極めてスペシャルな《贅沢品》であるのだ。冒頭の引用によれば、『チェユクチョン』は、「本当に特別なときでなければ食べられなかった」のだから。

◆ そんなことを考えていると、自分が作った肉団子からも、何か急にシリアスなものが舌へと刺さってくるような気になる。飢えたる国の祝賀で供される、最高のごちそうとしての肉団子。『ミートボール』ではなく、『肉団子』と書くだけで、何とも物悲しく切ない響きになってしまう摩訶不思議。

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【チェユクチョン(Sauté)】


カリアゲデブの罪とチェユクチョン(別のストーリーとしての)

◆ 現在、彼の土地を統べる歪んだサラブレッドのカリアゲクンは、何年か前から「『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」とかなんとか殊勝なことを言っていたわけだけど、現実にやっているのは、年末におじさん一派を機銃掃射でバラバラにしたりとか、そういう血腥いことばかり。

◆ 最近では何を血迷ったか、親分を恫喝したりもしていて、まるで正しい中二病の症例が如き有り様。世界一、危険なカリアゲ・デブ。これでは、死んだパク・ミョンの母が再び『チェユクチョン』を作るための豚肉や卵を手に入れる日は、当分、訪れなさそうだ。

◆ これまで、リュー氏はエッセイで「美味しいものは自意識を消す(大意)」みたいなことをしばしば書いてきたのだけど、なにがしかの特別な過去を背負わされた料理は、それとはまったく逆の作用をわたしたちに及ぼす。

◆ 料理の味や、味を構成する技法や材料のいちいちが人間の舌や脳を情緒で刺激し、まるで物語を食しているかのような心持ちにさえ、なる。

◆ 北朝鮮のコマンドというマレな属性を持たずとも、そのことに代わりはない。

◆ 死んだ母の、味が濃すぎる味噌汁や煮物や揚げ物、殴り合いの末に別れた最初の恋人とはじめて食べた一杯のかけ蕎麦…、ではなくサイゼリヤのミラノ風ドリアかマルゲリータ、先輩の強要ではじめて一気飲みし、程なく嘔吐した1リットルの大五郎…。

◆ ともかく、どんなものでも、物語にはなり得る。

◆ パク・ミョンたちコマンドの物語が特異なのは、《飢え》が、主要な要素を占めていることだ。日本も、核攻撃で終わった69年前の戦争直後など、状況はまったく同じだったのだけど、69年経ってみれば、最近はゲイの恋人たちの記憶の物語が、大人気だったりする。時代は、変わった。

◆ 『チェユクチョン』にも、違う物語が紡がれる日が来るだろうか?(このエントリが書かれた経緯も、その一つだとは言える)

◆ すべては、カリアゲデブの素行に、かかっている。バンダナとサングラスの怪しい元宮中料理番、藤本健二氏を再び彼の国に送り込み、是非ともデブにその事実を、突きつけたい。


おまけ:チェユクチョン・レシピ

※ 参考までに、わたしが作った際の材料と手順を載せておきます。オイスター・ソースと醤油は、コクと旨味を補強するために、独自に付け加えました。キムチも、韓国で主流の酸味が強いものより日本風の甘いものが合うと思います。


材料(4~5人分)

  • 豚ひき肉:500g
  • 木綿豆腐:1丁
  • にんにく:1~2片(すり下ろす)
  • 白菜キムチ:200g(ピックルスの『ご飯がススム』がちょうど良い分量)
  • オイスターソース:大匙1~2
  • 粗挽き黒胡椒:適宜(目安は小匙1)
  • 塩、醤油、各小匙1
  • 胡麻油:小匙1or4分の3
  • 卵:1~2個(全卵or卵黄どちらでも)
  • 揚げ油:適宜(オリーブ油かサラダ油)

作り方

  1. キムチは細かく刻んで汁を絞り、豆腐は崩してキッチンペーパーなどで入念に水切りする。にんにくは芽をとってすり下ろす。卵は溶いておく。
  2. 豚ひき肉に、塩を混ぜて練り、1、オイスターソース、醤油、胡麻油をすべて混ぜ、さらに入念に練る。
  3. 2を成形し、溶いておいた卵液にくぐらせる(ソテーする場合は薄いハンバーグ状に、揚げる場合はピンポン玉の倍くらいに丸める)。
  4. a:揚げる場合、100度辺りまで熱した油に3(ピンポン玉)を入れ、そのまま180度まで熱しながら全体に焦げ目がつくまで揚げる。b:ソテーする場合、大匙2程度の油を引き、熱したフライパンに3を並べ、余った卵液を注いで蓋をしてから中弱火で蒸らすように焼き上げる。2~3分して片面に軽く焦げ目が付いたらひっくり返し、さらに数分焼く。火の通りは串を指して確認(火力が強すぎると卵が焦げ付くので注意)。