大学に入学してから兄と二人暮らしを始めたが、それまでの生活との最も大きな変化は個室を持てたことだった。実家では兄と一つの部屋を共有していたのでしばらくはこの事実が単純に嬉しかった。特に、部屋のドアに鍵が付いていること。これがたまらなかった。
二人暮らしとは言え、兄は仕事で基本的に夜の九時過ぎまで帰ってこないので、実質一人暮らしと変わらなかった。しかしながら、一つだけ完全に見逃していた要素があった。隣人の存在である。
中学三年の秋だったと思うが、僕は半ば強制的に塾に入れられた。あるとき、冬期講習で一日塾にいなければならない日があった。確かあれは夜の八時過ぎだったと思うが、お腹がなった。偶々そのとき教室が静かだったこともあり、その音は教室中に響き渡った。そして、笑い声が起こった。教師も含め皆はその音の原因を誰かの空腹のためだと思ったらしく、僕もそれに乗っかって笑った。その時点では誰もそれを鳴らしたのが僕だとは気付いていなかったのだ。しかしながら、その数分後、教師に顔色が悪いぞ、しんどいなら帰るか?と促され、僕はそれに応じ帰宅することになった。おそらく、この件(くだり)で誰があの音を響かせたのか皆が理解したと思う。ただ、その音も顔色の悪さも空腹のためではなかった。その原因は高校三年間苦しむことになった「ガス」だった。
その体験以降、僕はずっと音を待望し続けた。どんな些細な音でも良い。教師の声はもちろんのこと、椅子を引く音や私語までもが僕の味方だった。とにかく、音が鳴ると僕はほっとした。皆の声が響き渡り、自由にトイレに行ける休憩時間なんて天国そのもので、逆に問題を解いている間の静寂やテスト中は地獄でしかなかった(休み時間のトイレは両義的で小便をしながらなされる会話のお陰で音が紛れる場であると同時に黙々と個々が小便をするさいには静寂したあの教室同様音が響き渡る場でもあった)。
「ガス」は強敵である。
たった一回それに逆らいお腹に溜めるだけで、何倍もの仕打ちを受ける。授業中にわざわざ手を挙げその旨を伝えトイレに行ったにもかかわらず、感覚的にはほとんど何も出すことが出来ないことがしばしばあった(僕が苦しめられていたのはこんな少量のガスなのか!)。こんな次第で、些か下品な話ではあるけれども、高校時代、僕はとにかくどんな些細なものでも構わないので音が鳴ることを渇望していた。そして、この渇望は今振り返ると勉強スタイルにも影響を及ぼしていたみたいだ。
そう。僕の高校時代の勉強法は「音読」だった。これには左右の視力と遠近に大きな偏りがあり、ずっと目とその周辺が重たくてとても黙って字を読める状態ではなかったという個人的な事情が大きく関わってはいるのだけど、改めて考えてみると自分の願望と重なってもいて興味深い。
音読をするのは自宅でだし、流石に家ではトイレもガスを出すことも自由に出来る。ただ、先述したように僕は個室を持っていなかった。同じ部屋に居た兄はよくテレビを観ていたので、もちろん笑い声も出る。母は野球をよく観ていたので当然歓声が出る。ある時期から、僕は兄との共有部屋ではなく日常的には仏壇が置かれていて誰の生活スペースでもなかった部屋を勉強部屋にしていたのだけど、もともと広い家でもないのでそれらの声はこちらに漏れてくる。
そこでだ。ハンムラビ法典よろしく音には音で対抗する。音読を始めた。ちなみに、僕の音読はぶつぶつ呟くスタイルではなく、かなり大きな声を出すスタイルだった。
そんなこんなで、無音への恐怖から音を待ち、音への抵抗として自ら音を出した(あまりにも汚い話題なので先程は触れるのを躊躇ったが、もちろん音は自分が排出する音を隠してもくれる。しかし、そうは言っても音が鳴るよりもすかしっぺの方が気分は良い)。
これが僕の高校生活のすべてだった。
時は流れ、僕は大学生になった。もちろん、大学生になったからと言ってガスが溜まらなくなくなったわけではないのだが、それでも随分増しになった。たとえほとんど行くことがなくても授業中に自由にトイレに行けるという大学特有の慣習だけで精神的にはかなり大きいのだ。それに引き換え、テスト開始後ある時間まではいかなる理由であれ退出を禁じるあの悪習はなんだ。悪習のせいで悪臭が出ても知らないぞ!…もちろん、そのときは握手で和解だ。
ただ、少しでも良くなるとすぐ調子に乗るのが人間で、体調が回復傾向に向かうにつれて前は味方だった授業中の私語なんかが鬱陶しくなってきた。そして、静寂を待望し始めた。
たくさん人のいる大学はともかく、家でならという期待があった。個室!本を静かに集中して読める。しかし、事はそんなに上手くは運ばなかった。テレビも消しほぼ無音状態で本を読んでいると、足音が聞こえる。笑い声が聞こえる。物音が聞こえる。兄はまだ帰ってないのに。誰だろう?隣人だ。仕方なく、僕は高校時代に習得した音には音で作戦をとる。テレビを少量で付ける。あるいは、真夏や真冬ならエアコンを稼働する。もしくは、音楽をイヤホンで聞いて音そのものを遮断する。が、曲と曲との僅かな間に音が聞こえてしまう。あるいは、足音が揺れとして伝わる。音が振動という本来の機能を携えて回帰する。
不思議なもので、音が鳴ることが一旦気になりだすと、実際には鳴っていなくても音が不意に鳴ったときの防衛反応なのか自分の頭の中で音が鳴る情景をイメージしてしまうようになる。鳴る前に自分で鳴らしてしまおうとでも言わんばかりに。
完全に音を遮断することなんて出来ない。さも悪人のように隣人を召喚してしまったが、その程度の音なら僕も出しているのだ。しかし、兄の出す音や隣人の音と比べると遥かにばかでかい電車の通る音なんかはまったく気にならないし、もう慣れてしまった。となると、予測不可能な不意の音が不快なのだろう。たった数年前にはあれほど歓迎された同じ音なのに。
僕の卒論のテーマは、同一性を超越論的に基礎付けるものーーレヴィナスなら「他者」、ドゥルーズなら「差異」、フロイトなら「不快」ーーの意義を考察するものだった。それらは同一性を基礎付けているとともに同一性を変容させたり、同一性に亀裂を入れる役割も果たす。
この観点から考えてみると、どうやら僕は隣人の予測不可能な不意の音に同一性を脅かされているようだ。しかし、この一見不快でしかない毎日の出来事までもきちんと卒論に反映してしまう点が生真面目というか…。僕はこんな表題を掲げてしまった。
《同一性を批判するーー例えば、レヴィナスのように。例えば、ドゥルーズのように。》
さらにもう一言付け加えよう。《例えば、隣人のように。》
これが僕の大学生活のすべてだった。
杏ゝ颯太