最近『大統領の執事の涙』と、『それでも夜は明ける』を立て続けに見ました。両者とも凄く良い映画で色々と考えさせられたんですが、そこでふと「そういえば、去年一番良いと思ったのは『ジャンゴ』だったな」と思いだしたんです。前の二つは黒人差別(奴隷問題)が主題の実話を基にした映画ですし、タランティーノの最高傑作『ジャンゴ』は血が乱れ飛ぶ西部劇ですが、やはり黒人差別は明確なテーマとして物語の背景になっています。更に言えば、好きな映画を聞かれたとき答えるお気に入りの一つにエドワード・ズウィックの『グローリー』があります。これは南北戦争で奴隷解放を求めた北軍の黒人部隊のお話です。デンゼル・ワシントンがスターダムにのし上がった映画で、これも非常に感動的で素晴らしい作品です。
という事で、「どうやらアメリカの黒人差別を扱った映画が好みらしい」と最近特に意識するようになりました。僕には過去、アメリカ、メキシコ、タイ、ドイツの四ヶ国でのべ七年ほど暮らした海外経験があります。どの国の言葉もまるっきり勉強せずに終わって恥ずかしい限りですが、それぞれの国に住んでさまざまな差別と肌身で対面した経験が、そういった《好み》を形成しているんでしょうね。直に自分が差別を受けた事もありますが、それよりも、差別の現場に冷静な傍観者として立ち会った場面が多いように感じます。
最初の差別体験はアメリカに住んでいた20年程前の事です。日本軍の真珠湾攻撃から何十年だかの記念日だったと記憶しているのですが、ボクシングジムからの帰宅の際の道すがら、白人男性が車上からビール瓶を片手に「ファッキンジャーップ!」なんて叫んで走り去りました。この時は、車からは距離もあるのによく日本人と分かったな、という程度の感想しか持ちませんでした。それらしきアジア系に手当たり次第に叫んでたのかもしれませんね。
次もアメリカに住んでいた時の事です。あるレストランでオムレツを注文したのですが、ウェイトレスのおばちゃんが分からない振りをします。何度言っても指さしても駄目で、さらにアルファベットを一つずつ読み上げても駄目です。いい加減腹が立ちましたが、僕はどうしてもトマト&チーズオムレツが食べたかったのです。更に何度か繰り返すと、彼女は「ああ、トマト&チーズオムレツね、早くそう言ってよ」なんて捨て台詞を吐いて、結局はフワフワのオムレツを持ってきました。彼女は僕を怒らせて立ち去らせたかったのでしょうね。ささやかな抗議として、チップは置きませんでした。
アメリカでは他にも、今から考えるとちょっと怖い場面にも出くわしました。ローカルバスでダウンタウンからロサンゼルス国際空港に向かっていた時の話です。車内で二人組のメキシコ系と一人の黒人が何やら言い争いをしていたのですが、その勢いでメキシコ系が「ニガー!!」と。次の瞬間、それまで静観していた運転手以外の黒人男性が全員すっと立ち上がり、四、五人位だったのですが、メキシコ系二人組を取り囲んだのです。しかも一人は「シャキーン!」と特殊警棒をスタンバイ。車内は異常な程の緊張感に包まれました。しかし結局その場ではそれ以上の事は起こらず。真っ青になったメキシコ系二人組は逃げるようにバスから降りていきました(彼等は降りた途端に元気になって何事か叫んでいましたが)。
メキシコでは、あまり差別的な場面に遭遇した記憶はないですね。メキシカンは総じて親日的ですし。ただ、子供が「チーノ!チーノ!(中国人の意味)」と呼んでくるのはうざかったですね。でもまあ面白がって言ってくるだけなので。ボクシングジム内で子供達に言われた時は、ジャイアントスイングしたりプロレスごっこで技をかけたりして遊んでました。子供達もキャッキャッ言って喜んでましたね。このように子供が日本人を見て「チーノ!」と騒ぐのはラテンアメリカの他の国でもごく日常的な事のようです。
タイでは、僕自身が差別的な目にあったという経験はありません(ぼったくろうとしてくる位です)。ここはメキシコ以上の親日国です。ただ、ムエタイ選手とボクサーが集まるジム内では、タイ人とカンボジア系の対立はありましたね。最初は分からないんです。見た目も変わらないし、派閥みたいなのがあってそれぞれの性格も少しずつ違ったりはしますが、そんな事は別に人種・民族が違わなくてもある事です。しかし長く滞在して色々と見聞していると、それらの派閥はタイ人とカンボジア系で分かれている事が分かってきました。一度、派閥のあいだで大乱闘が起こった事もあるそうです。タイ人がカンボジア人を見下しているように感じた事もあります(そういえば、9.11のあの時、ジムではタイ人もカンボジア系も一つの列になって「ビンラーディン!!ビンラーディン!!」と拳を振り上げて騒いでいました。彼等があんなに団結している場面を見た事がありませんが、まあ、これは差別の話題ではないですかね)。
タイで他に印象に残っているのは、これもジム内の事ですが、あるムエタイ選手についての差別です。彼は長らくラジャダムナンスタジアムのタイトルを持っていた元チャンピオンで、ボクシングでも国内タイトルを持っていました。年長で面倒見もよく、ムエタイのタイトルを失ってからも一級の実力者でした。人間としても尊敬出来る男で、ジム頭と言える存在だったんですが、ある選手が彼の事を影で、「あいつはラオス人だから」と鼻で笑ってバカにしてたんですね。どうやらタイではラオス人は差別されるようです。
ドイツに住んでいた頃で印象に残ってるのは、ベルリンの東側にあった安アパートの近所で開かれていたフリーマーケットでの出来事です。歩いて数分のこのフリマには毎週遊びに行っていたんですが、ある時、古い写真をボードに貼り付けて売っている若い男に気付きました。その中に、どうやら日本のアイスホッケーチームを写したらしい、大きな古い白黒写真が何点かあったんです。チームには、ステレオタイプな《メガネ出っ歯の日本人》が一人居て、ある写真では彼に矢印が付けられ、ある写真ではアップにされ、目立つようにして曝されていました。
これはかなり頭に来て、店主の男を睨んで写真を指さしたんですが、彼は困ったような顔をしてました。肩をすくめて顔を振り、何か申し訳なさそうにしていた記憶があります。彼は単なる店番だったのかもしれません。写真だけ下げたのか別のフリマに行ったのか、アイスホッケーチームの写真を見たのはその日一度きりでした。
帰国前のヨーロッパ旅行の際には、イタリアだったかと思いますが、ボロボロの服を着たジプシーの、それはそれは見事なアコーディオンの演奏を聴いた事を覚えています。
一般的な日本人は、差別するにもされるにも、それに対して鈍感なのではないでしょうか。人間の自然状態というのは、自分とは異なる共同体に属する他者や自分と違った価値観の他人に対して差別的なものだと思います。少なくとも、そうなる可能性を多いに含んでいるものでしょう。上に書いた体験談では人種、或いは民族差別のみを取り上げましたが、差別というのは別に人種、民族間だけのものではないですしね。鈍感なのは、そういったシリアスな対立を自覚的に経験してないからでしょうか。対して僕には、僅かばかりですがそういったものがあるので、比較すれば、やや敏感なのかもしれません。
そういえば、『ミスターソウルマン』という映画がありましたね。黒人のみが受けられる奨学金を得る為に黒人になりすました若い白人が、当事者として差別を受ける事で差別に対して敏感になるというお話です。
偉そうに書いてみましたが、僕にも差別に対して鈍感な所はありましたし、今も当然あるでしょう。僕も気付いてないだけで、何処かの誰かに「鈍感だ!」と言われる事、思われる事もあるでしょう。僕と、僕がここで乱暴に括った《一般的な日本人》とのあいだに違いがあるとすれば、これまでに自身の価値観が覆された経験が《あった》のか、《なかった》のか、の違いなのだと思います。そういった経験によって、僕の《好み》が形成されてるんでしょう。
という事で、「近くのビデオ屋さんで借りられるこの手の映画を片っ端から見てみよう」と思うに至りました。そして、「どうせならエンソフで映画評を書かせて貰おう」と。
自分の経験から差別を対象にしたといっても、そこからさらに「アメリカの黒人差別を題材にした映画」と括る意味は特にありません。映画マニアでもない僕が、括りやすいところで括っただけです。括らないと収拾つかなくなっちゃうように思ったので。
予め断っておきますが、作品の解説をするのでネタバレします。それから、偉そうに差別論的な事を書きましたが、この連載を通して「差別とは何ぞや?」みたいな事を大上段から論じるつもりもありません。あくまで個々の映画に対して自分なりの解説をしていこうというだけです。まあ、《あとがき》にでも何か書けたらいいなあ、とは思っていますが。
では、次回からよろしくお願いします。