小玉重夫『学力幻想』読書会(新宿文藝シンジケート第三十七回)開催に際して、当日配るだろうレジュメの一部を先んじて公開する(引用内の〔〕は荒木による補記である)。『学力幻想』はいささか難解な書物だが、基本的に「教育の失敗を個人のせいにしてはいけない」というテーマに沿って書かれており、その基本軸を忘れなければ、読了することは難しくない。なお、読書会の日程は下記。


1. 日時:2014年3月29日(土) 18:00-20:00。
3.  備考:当日は場所代(ドリンク代込み)を各自1100円ずつ負担。読書会のあとは親睦会を予定(任意参加)。

※ この記事を見て出席される方は、荒木宛(arishima0takeo+gmail.com)まで連絡いただければ。FBアカウントを持っていれば直に「参加(→イベントリンク)」を。イベント当日飛び込み参加も可能だが、席が準備されているかどうかは不明である。
 



A、「学力幻想」とは何か?
 
 ―引用→「五八年体制の転換とその後のビジョンの構築という、社会構造や政治体制の改革と連動したそもそもの論点を十分整理することがないまま、「学力低下問題」に議論が矮小化〔学生が勉強しなくなった、親が甘すぎる、親学etc〕されていった。そういう既視感をうみだした要因を、「学力」なるものへのとらわれという意味で、ここでは「学力幻想」と呼びたいと思っている」(30p) 
 ―point→「ゆとり教育」の反省、しかしビジョンなき〈ポストゆとり〉の教育改革。「学力」のマジックワード化。幻想発生装置としての二つの罠=B「子ども中心主義」、C「ポピュリズム」。
 


B1、「子ども中心主義」とは何か?
 
 ―引用→「学力や教育というものを、教える側、あるいは教える側の背景にある政治や権力などとの関係を見ないで、あくまでも学習者である子どもの側の問題として学力の問題をとらえる、それを子ども中心主義といっていいのではないか」(45p)
 ―point→子供による子供のための教育=学びのネオリベ化(自己責任化)。「ゆとり」も「詰込み」も主体が子供に決定されている点で大差ない。教えシステムの不全状況がスルー。
 


B2、「子ども中心主義」は社会的なもの
 
 ―point→アーレントの三カテゴリ、①公的領域=未来と過去といった異質な他者同士の関わり合い領域=市民教育としての公教育、②私的領域=生命に関わる家のなかの領域、③社会的領域=公的と私的の雑種=集団や社会の文脈の学び(空気ヨム、先輩後輩関係、「蹴りたい背中」)。
 ―point→問題は教育が超社会化(公的に私的なものが侵入)=〈学び-社会性〉の前景化=相対的に〈教え-公共性〉は弱化。〈学び-社会性〉vs〈教え-公共性〉の図式。
 ―Q処方箋は?→〈教え-公共性〉の再活性化。「学習に還元されえない教えに固有の位相」(91p)。
 


C1、「ポピュリズム」とは何か?
 
 ―引用→「このポピュリズムという問題は学力そのものの概念の外延〔境界線〕が確定されていないことから生じる問題だといえる。学力という概念の中にすべてを包含してしまうような、ある種のオールマイティな概念として学力という概念を使ってしまっている、そういう意味での学力幻想なのである」(60p)
 ―point→教え(ペダゴジー)の二モデル=コンピテンス(能力)とパフォーマンス(達成)/採点基準が「見えない教え」と「見える教え」、AO入試vsペーパーテスト。「ゆとり」とは前者の優位性。齋藤孝的「何々力」ブーム、ハイパーメリトクラシー(本田由紀)はコンピデンスの一種。
 


C2、「ポピュリズム」は個人主義化しやすい
 
 ―point→コンピテンス+ポピュリズム=みんなやればできる論。
 ―引用→「バーンスティンによれば、コンピテンスモデルというのは、「万人は生まれながらにして能力獲得可能性を持ち、また共通の進行手順でそれを獲得する」という前提に立ち、「ポピュリズム信仰の傾向」と結びつきやすく、「学習と現実化のモードを選択的に特殊化する権力分布と統制原理の分析を忘れ、学習者個人を抽象化してしまう」という問題点を見いだし、批判的にとらえている」(116-117p)
 ―Q処方箋は?→①「何々力」的な抽象的能力還元主義をやめる、能力の可視化=「ラディカルな見えるペダゴジー」(radicalに注意、単なる保守回帰ではない)。②シティズンシップ教育。
 ―引用→「「無能な者たち」の教育は、誰にでも開かれている教育である。そこでは、知ることと考えることを結びつけ、それによって知の独占性を開放しようとする。たとえば、医者にならなくても医療問題を考えること、大工にならなくても建築問題を考えること、プロのサッカー選手にならなくてもサッカーについて考え批評すること、そして官僚にならなくても行政について考え批評すること。つまり、職業と結びついた専門的知識や技能を、市民化された批評的知識へと組みかえていくこと」(157p)
 


◎『学力幻想』カタカナ語辞典

  • アカウンタビリティ=説明責任(本文では公教育が成功しているかどうか市民に対して説明する責任、責任を負う主体は行政機関)。
  • アンラーニング=ラーニング(学ぶこと)の否定=学び直し。
  • カリキュラム=教育課程。
  • シティズンシップ=市民権。
  • ヘゲモニー=覇権。
  • ペダゴジー=教育方法(本文では過去と未来を橋渡しする「知識の再文脈化」)。
  • ポピュリズム=大衆迎合主義(本文では一種の能力平等主義の信仰を指す)。
  • メリトクラシー=メリット支配=能力主義(本文ではコンピテンスに類似)。