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『ATLAS』-[16] ニュークリア・ランドスケープ《THREE YEARS AGO.あの覚醒した彼の誕生と消滅と嘘》
- 2014年03月11日 18:43
- [ATLAS]新たなる原子力の時代に
- OPINION&Critic
◆ 三年前から現在へ。2011.3.11から2014.3.11へ。
◆ 今日であの東北の震災から三年が経って、明日は福島で最初に原発が爆発してから三年が経つわけだけど、《三年》、と一言でまとめてしまうとなにか実におさまりが良すぎるというか、それは「まだ三年」なのか或いは「もう三年」なのかみたいなこととも関係なく、実際に経過した時間というものの実質が抽象化されすぎてしまい、観念性に物理量が飲み込まれてしまうような気がして、だから実はあまり使いたくない言葉だったりもする《三年》、《三年》、なのだけれども、とはいえ「三年経った」こと自体は間違いなくて、なんというか、唖然とするThree years later.
◆ で、まあ、そういうわけで、なんだかんだで《三年》、なのだけど、まったくの偶然から、来月発売のとあるリトルマガジンに、わたしと、その三年前の2011年3月に内閣官房長官だった人物が、同じ多数の寄稿者の一人、という立場でテキストを書いている。
◆ エダノ、というそのどこか間の抜けた響きの固有名は、しかし2011年のあの3月において、今とは全く違う存在感を国内外の人々とわたし(たち)に感じさせていたはずで、エダノ!と改めて「!」まで付けて発話してみると、あのとき彼がいかに国民からの《注目》を集めていたかということと、なんでまたそこまでの《注目》に晒されていたのかということの全体が、久しぶりに、まさに《三年》ぶりくらいにまざまざと思い出されてきて、具体的に過ぎ去った月日やその記憶は、そういった個別の、固有名の、さまざまなディティールによってこそ刺激され、意識に立ち上るのだということを強く感じる。
◆ だから、さあ、もう一度、エダノ!エダノ!エダノ!
◆ そんなエダノは/彼は、原発が最初に水素爆発という大変なアクシデントに見舞われた日の夜、派手に吹き飛んだ建屋もろとも思考が吹き飛んだのか、内面の動揺がまともに露出し、見ている方が不安になってくるような、殆どそのまま倒れて殉職?しそうなこわばり顔で、さらに呂律まで怪しくなった首相、菅直人が、「がんばろう!がんばろう!」と悲壮なうわ言みたいな《メッセージ》を残してフラフラと画面から消えたあと、まるで満を持したかのような雰囲気をまといながら、わたしたちの前に、現れた。
◆ 哀れな首相とは対照的に、彼は実に落ち着き払っていて、昨日までと変わらない調子で、驚くほど冷静な、自信に満ちた物腰で、原発についての、自分でもはっきりそうだと知っている《嘘》を喋った。
◆ 状況は自衛隊と東京電力によってコントロールされていて(実に正しく《アンダー・コントロール》の先取りであった)、何か爆発らしきものはあって、われわれが確認したそれはまあ「爆発的事象」で、もっと言うと水素で/が爆発なんだけど、でもそれはコントロールのためのあれやこれやのやむを得ない措置をした結果で、やむを得ない結果として外側の建物がちょっと吹っ飛んだだけで原子炉はいたって平穏無事で、核燃料とかも平気で、放射能は出たかどうか知らない、というか聞いてないけど、でも出たとしても「ただちに影響はない」から、だからみなさん落ち着きなさい、みたいなことを/《嘘》を彼は喋った。
◆ 「まざまざ」と上で書いたわけだけど、そのとき彼が放った《嘘》が人々に及ぼした効果、そのおそるべき鮮やかさの記憶は、何年経ってもわたしから薄れず、明瞭なものとして思い出される(少なくとも今のところは)。
◆ 彼がそれを言うまで、会見場やニコニコ動画やTwitterやmixi上を飛び回る言葉や気配に満ち満ちていた不穏な動揺(「え、ちょっとこれまじでやばいかも?」)、具現化して実態のあるものとして目に見えそうなほど膨張していた不穏さ(「え、ちょっとこれまじでやばいんじゃないの?」)の圧がプスッと抜け、急速に弛緩していったあの瞬間、あの僅かな時間、あれほど多くの日本人が自国の政治家を信用し、頼もしく思った錯覚の時間がかつてあっただろうか?(それは単に人気がある、みたいなこととは全く違う)
◆ あの日以前に彼が得ていた評価との凄まじいまでのギャップを考えると、大げさでなく、なんというかそれは覚醒モードなのかエンペラータイムなのか、「え?この人、目覚めた?」みたいな吃驚仰天、のパフォーマンスだった。
◆ 《覚醒》した彼を誰もが賞賛していて、少なくともせざるを得ないような感じで、Twitterのタイムラインには《#edano_nero》を付したツイートが溢れ、英Telegraphは《危機の中のジャック・バウアー》だなどと呼び、菅直人は直ちに首相を禅譲すべきだ、と平然と言われるようにさえなった。
◆ とにかく色々な人が彼を持ち上げていたわけだけど、わたしが特に印象深く思い出すのは二つで、村上龍がJMMで「信用できる態度に見える。少なくとも嘘はついていない、と思わせる。なぜなら…」みたいに書き、疑り深いことと皮肉屋の程度では右に出るもののないかのように思われた、北海道の某大学の心理学のW教授までもが、「われわれは、大災害が傑出した政治家を生む瞬間を目撃しているのかもしれません」みたいなツイートをしていたことだった。
◆ けれども、まあ、誰もが知っている通りのことだけど、《嘘》のすぐ翌々日にはもう一回原発で大きな爆発があって、その次の日も爆発して、さらにその次もさらに、、、みたいな事象が繰り返されているうちに彼の覚醒時間、一瞬のエンペラータイムはあっさり終わってしまい、いつのまにか、ごく普通に「死ね、氏ねじゃなく死ね」とか「永遠に寝てろ」とか「タダチニー!(笑)」とか罵倒され嘲笑されるごく普通の彼に戻ってしまったわけだけど。《嘘》について追求され、攻撃されるようになるまでも、大した時間は必要なかったわけだけど。
◆ とはいえ、当時のさまざまな状況から推測すると、殆ど賭けに近い判断で行われただろう《嘘》のパフォーマンスが及ぼした正の効果は、それがどれだけ短いあいだだったにせよ、結果から判断してかなり強力なものだったことは疑い得ないようにわたしには思われるし、同じ情報、つまり原子炉の実際の状態と、そこから今後予想されるきわどい選択肢だらけのシナリオ、を知ってベタに錯乱しかけていた菅や海江田に比べれば、自分が放つ危うい《嘘》の響きに表情さえ変えることのなかった彼の精神力は、政治家という特殊な属性を持つ人間として正しく賞賛されるべきふるまいだろう、とも思う。
◆ だから、すごく僅かながらに…、という限定にしたいのだけど、三年経っても、わたしは彼の今後に《期待》のようなものを今も持っていたりするのだった。そんな機会があるとは勿論思えないのだけど、膝詰めで何かすごくストレートな質問をして許されそうな場に彼と居合わせたら、「あなたあのとき自分がいま喋ってるよりぶっちゃけもっと遥かに原子炉やばいって知ってて、それ黙ってるときの気持ってどんな感じですか?」とか聞いてみたい。絶対答えてくれないだろうけど。
※ ちなみに、冒頭のリトルマガジンで彼が書いているテキストのタイトルは【歌は世につれ。~秋元康・AKB戦略と日本経済~】というものなのだけど、まるで自民党の人のようなセンスなのだけど、一体どういう内容なのだろうか?