凡例  

1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録 Imagination et Invention” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(26~28p)である。 
2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。
3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
 


4、イメージのサイクルと文明の生成

 イメージ発生の集団的性格がさらに前進すると、サイクルの観念が文化の内容の発達において目立つ諸段階の継起をどう説明するのかと疑問が生じる。《ギリシャ的知の夜明けl'aurore de la science grecque》や《偶像の黄昏le crépuscule des idoles》といったような表現は昼と夜の、若さと老いの類似的メタファーを前提にしているように見えるし、進化するモード性(宗教、芸術……)のそれぞれの間で必然的な一致がたとえなくても、様々な文化的モード性を通過することで歴史的位相(古代的、原始的、古典的、そして退廃的)の継起にはある程度適応する。このことが意味しているのはおそらく、サイクル的生成に従順な文化の形は心的イメージの大きな役割を含んだ形であるということだ。純粋な知sciencesにはきちんとした発端があるが、常に学び何も忘れないユニークな人間と人類を比較したパスカルが書き留めていたように、知はさらに進歩的で、さらに累積的である。反対に、成長、成熟、衰退のプロセスは、文化を構成し、個体の認識と行動の規律に役立つイメージの共通資本fonds communに直接対応している。
 
 原始的、古典的、退廃的位相の継起のなかで、二つの支配的特徴を見出せる。最初のは原始的位相における、「アプリオリ」なイメージの優位であり、そのイメージは予測の論理に従い、行動を目指し、行為や手柄を讃え、気高い価値の通過儀礼的秘教的な認識を導入する。その文化では、ピンダロスとアイスキュロスの作品や我らが〈武勲詩〉のように、貴族的なものや聖なるものが支配的である。ティルテの詩のように、英雄の栄光は神聖視され、気高い行動を後押しする。古典的位相になると、標準的レヴェルでいう人間関係の意味での人生のなかで、永続的に現前する、アクチュアルで共通な状況の伝説のイメージのなかにその文化がある。文化は脱神聖視され、普遍的なものと名づけられる徹底的な「イマココhic et nunc」の統一を目指す。高尚な事実を讃えたり、行為を後押しする力を呼び起こす代わりに、文化は完成途上にある行動の見世物を見せてくれる。なぜならば文化のモード性が完璧にアクチュアルなものの現在時であればこそ、その文化は実現するからだ。最後に、ポスト古典期〔退廃期〕は痛ましいほどに強度ある情動‐感情的イメージを探求する。そこで芸術はもはや見世物ではないのだが偽の対象pseudo-objetsである象徴の形となって現実の代替物となる。現実の生命を覆い隠す分身doubleのように文化の形はその生命から切り離される。美学的価値が支配的になり、主観性に従った完全無欠で完璧な世界を構成する。例えば、同一視の論理に従った、第二の現実のような想像的なもの、ロマンティシズム、小説romanの世界だ。別言すれば、古代的文化は未来に向かう投影のパースペクティブに従ってほぼ中心化され、古典的文化ではそこに行動が置かれる。文化が衰退しても、古典的文化は本質的に可塑的で、行動を誘発させたり、整理整備されてはいるが分身はしていない現実的なものの知覚の基礎を作る代わりに、現実の対象を構築し、世界に従うことなく世界を粉飾し覆い隠すイメージの宇宙を生み出す。つまりは予見するという仕方ではなく、芸術によって提供されたイメージを試験する仕方で、イメージの貯蔵庫のように世界を取り扱う仕方で、美学が創出されるのだ。世界において、欠陥――廃墟、歴史の歩み――の糸口であるものはすべて、情動‐感情的宇宙に入るために知覚を免れることができる。象徴は先行する想像的な生命のパースペクティブに従って意味を獲得するのだ。可塑的なアクティヴィティーとは反対に、美学的な芸術は産出したものを過去に変える。廃墟を構成する。プラトンが都市から追い払ったのはこのイメージ産出的な芸術である。
 
 だから行動、知覚、象徴的想起は文化の基盤を構成するイメージの内容の基礎的な三つのモード性であるはずだ。そこでは文化は科学とは異なる。というのも、三番目の段階はオーギュスト・コントが三段階の法則のなかで発見した実証性のそれではないからだ。個々のサイクルが終わって文化が脱組織化し、構造変化し、新しい原理に従い再生するにも関わらず、知は進歩的かつ連続的である。
 


【訳註】
 
偶像の黄昏――古い真理の終焉を象徴。哲学者ニーチェの最晩年の著作のタイトル(Götzen Dämmerung)。 
共通資本――共通の財産として管理・運営されるもの。具体的には、農業水利施設や道路など社会的インフラストラクチャ、水や土壌などの自然環境、農業水利のルール等。
ピンダロスとアイスキュロス――どちらも古代ギリシャの詩人。
武勲詩――フランスの11世紀から12世紀頃から現れた叙事詩。大道芸人(ジョングルール)が上演することを目的として作られ、内容は主として史実で、他国との戦いで活躍する英雄が主人公。後に怪物や巨人などのファンタジー要素ももりこむようになった。
ティルテの詩――戦士ティルテはモンドルジュ+ラモーのオペラ『エベの祭典』(Les Fêtes d'Hébé, 1739)内の登場人物。スパルタ国王の娘イフィーズを手にするため、ティルテはラケダイモンの戦士たちを鼓舞しメセナ征伐に立ち上がり、見事勝利をおさめる。
プラトンが都市から追い払った――プラトンは『国家』のなかで、芸術とは現実の模倣にすぎず、その現実の更に高次の位置にある真理の光たるイデアから程遠いため、理想国家からは詩人を追放すべきだと主張している。
オーギュスト・コント―― オーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)はフランスの社会学者。コントは社会の発達というものが人間の精神の三つの段階、即ち、神学的、哲学=形而上学的、科学的という三段階の単線に対応していると考えた。これを三段階の法則という。「実証性」は第三段階=科学的の具体的内実である。