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(写真:東間 嶺。以下すべて同じ)

中村さんが津田沼にいる世界で(前篇)
中村さんが津田沼にいる世界で(中篇)



「中村さん…ぼくは、ぼくは自分のことを天才だと思っていたんですよ。小説を書きたいと思えば書けちゃう、映画を撮りたいと思えば撮れちゃう…30歳になるまではそう思っていました」

「楽天家なんですかね?」

「いや、そういう訳ではないんですけど、妙に自分に自信がある訳です。天才だと思っている訳ですから」

「本当に天才だと、心から信じていたんですか?」

「たとえば、時計の長針と短針の関係が分からないとか、くりさがりのある引き算が苦手だとか、そういう部分はあるにせよ、自分の天才性とは関係がないと思っていましたね」

「ある種の万能感ですかねぇ。凄いな」

「その、幼児的な万能感と、自分という人間は特別なんだ、選ばれているんだ、というような選民意識もありましたね」

「選ばれているって誰に??」

「まぁ、神様でも何でも良いんですが、超越的な存在ですかね。あまり深く考えてはいないんですよ、直観的な認識なので…」

「うーん、凄いな」

「でも、結局、入った会社でうまくいかないんです」

「自分を天才だと思っているから?」

「いや、それは関係なくてですね、日本人特有の場の空気を読むみたいなことが非常に苦手で、同僚が何を考えているのか、分からないんですよね」

「ある種、アスペルガー的な…」

「そうですね。あと、同調圧力とか非常に苦手でしてね。日本人の非言語的なコミュニケーションのルールみたいなものが凄く嫌いなわけです。生理的にダメなんですよね。高ストレスにさらされると、下痢をしちゃう…みたいな」

「ぜんぜん天才じゃないですよね?」

「うん…、いま思うとあきらかにそうなんですけどね、パワハラとか凄く苦手な訳です。他人にプライドを傷つけられると、死ぬほど悔しくて、激しい暴力的な衝動に揺さぶられるわけです」

「なるほど。」

「でも、それを逐一解放してたらたいへんなことになってしまう訳ですよね。そうやって怒りの感情が、心の底に溜まっていく訳です」

「怒りを解決できない訳ですね?」

「はい、そうです。そういった怒りを抑圧し続けて、うつ病になってしまいました」

「そこまで自分のことが分かっていても病気になるんですか?」

「高度な自己認識と、精神疾患に罹患することに相関性はないんですよ」

「うーん、そうなんですかね……」

「まったく無関係ではないいかもしれません。でもたぶん科学的には証明できないでしょう」

「病気になって…どうですか、やっぱり辛いんでしょうが」

「そうですね。うつ病は辛いですよ。端的に死にたくなる訳ですし、自分がまったくの無価値に思えてしかたがない、だから自殺したいと思うわけです」

「自殺未遂はしたんですか?」

「いや、してないですね。怖いんですよ、やっぱり」

「それは死ぬことが?」

「うーん、死ぬことより、死ぬためのプロセスが辛いというか…痛いのとか嫌なんですよね」

「うーん、そうですか。もっとストレートに自殺に向かうものなのかな、と思っていました」

「個体差があるでしょうね。人それぞれによって違うという。それは当たり前のことなんですけど、一番辛いところでもあって。結局、苦しみを抱えるのは自分しかいない訳です」

「なるほど…。」
 


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「中村さんはこの世に生まれて、いま津田沼に住んでますよね、奥さんもいて。それで、自分が生きている意味ってどこにあると思いますか?」

「うーん、あんまり自分が存在している意味って考えないですね。考えても仕方がないっていうか、答えがでないじゃないですか」

「それはそうかもしれない。だけど、そうだな、自分が存在していること、存在し続けていることに違和感を感じたりしませんか?」

「いや、それは無いですかね。両親が愛し合ってセックスしてその結果、生まれたのが自分だと思ってますから」

「ぼくはそれが分からない。親がセックスしたというのは分かるけれど、その結果がどうしてこのぼく自身なんだろうと、真剣に思い悩みました」

「いわば存在論的な…」

「そうですね。実存についての悩みです」

「他に何か言いたいことはありますか」

「この場を借りてあえていうと、長時間労働は良くないと、これは国を滅ぼすと警告したいですね。営利企業といえども、人材をたいせつに扱うべき時代に入ってきていると思います。まだまだわが国は規制があまいですね。もっとガチガチにして、違反する企業には罰金を課すような法律が必要です」
 


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「さえきさん…あの、すみません、実はぼく来年からヨルダンに行くことになったんです」

「習志野からヨルダンへ?」

「そうなんです。」

「なぜヨルダンなんですか?こんな国、もう嫌になっちゃったんですか??」

「いや、仕事の都合なんですよ。」

「そうなんですか」

「そうなんです。ていうか、いや、うちのおやじがいま仕事でヨルダンにいるんですよ、実は」

「へー」

「おやじは空調関係のエンジニアなんです」

「それでヨルダンにねえ。いわゆる技術支援ってやつですか?ODA的な??」

「まあ、なんでもいいじゃないですか。で、おやじがせっかくヨルダンにいるんだから来年から遊びに行こうかな、と」

「いいですね。この日本を離れて…」

「おやじは夏にはモザンビークに行くらしいんですよ、野生動物とか観にいくらしくって、ついでにぼくも行きたいなって」

「なるほど」

「というわけで、ぼくが津田沼にいなくても、まあ元気にやってください」

「」

「ね?」

「……そうですね…いずれにしろ、人生は続くわけですから」
 


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中村さんが津田沼にいる世界で (完)