凡例1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録“ Imagination et Invention ” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(24~25p)である。2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
C、イメージの発生的サイクルの観念の適用;個体の外部のイメージ
〈自然〉において、サイクルするアクティビティーはシンクロニゼーションしやすい、即ち、そのアクティヴィティーと重なる可能性のある循環的現象と一致しやすい。では心的イメージの発生的生成のなかではシンクロニゼーションを観察できるだろうか?
1、昼夜のリズムに伴うシンクロニゼーション
朝と夜の交替は多少なりとも(生活の類型、都市化の度合いに従って)人間的アクティヴィティーを深部で変調するmodule。一日一日は部分的には、イメージのあれこれのカテゴリーが優勢すると連続的に変化するよう促す完璧なサイクルであるように現われる。朝の強力なアクティヴィティーを経て到来する夕方のイメージは、想起のイメージである。過去の非意志的喚起は消え去った存在のイメージを浮上させるためにスペクトルとして十分な凹凸をもつことができる。そこで被る、ずっと昔、または最近の諸状況は生命を呼び寄せ、生命を再び手にする。行動が止まったり緩んだりするとき、一日、もっと大きく、生命は、自らを要約する。イメージや顔は、その時々の〔要約の〕章立てであり、過去は体系化〔システム化〕され、後悔や満足のニュアンスに富んだ情動-感情的トポロジーに従い集合群に整理される。反対に、夜明けの最初の輝きはその過去のイメージ群を追い払う。つまりは休止の後〔夕方〕と行動の端緒の前〔夜明け〕とは、運動の予測、計画であるイメージ、実現の糸口であるイメージを支配するのだ。個体が動機を最も強く感じれる時というのは、イメージを行動に移すときであり、対象との関係の起動的位相のなかで、自由の印象を覚える振る舞いの起源であると感じるときである。発祥地、源泉、唯一の中心から分岐する光線のように、一日の方針は投影されるse projettent。そして将来の行動は「アプリオリ」なモードに従って想像=イメージ化され、計画projetの増幅的拡張のなかで現実的な対象遭遇が浮かび上がり整理される。運動的直観の統一性はアクティヴィティーの予測を構造化する。労働のなかにあるような、環境との直接的関係は、反対に知覚に対し最も直に挿入されたイメージに対応している。最後に、夜とはサイクル変化の時間であり、そこでは新しい朝の下にある状況を見るようにさせる、大なり小なりの発明である構造変化を日々実行する。どうして夜がアドバイスをくれるといわれるのだろうか。それは覚醒時の宇宙のなかに含まれているようには見えなかった解決を夜が出現させるからである。