凡例  

1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録 Imagination et Invention ” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(21~23p)である。 
2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。
3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
 

 
 もし発明が水準の変化を実行するのだとしたら、イメージのダイナミックな発生を位置づけれる水準の原理を定義することはどうしても必要だ。

 第一次の水準は生物学的、即ち生命的と名づけられる。それは現働化actualisationの手段として有機体全体の参加を前提にした水準で、それにより捕食者との関係、餌との関係、パートナーとの関係といったカテゴリーに従い、諸状況のなかにその有機体を拘束する。この意味での予測とは、有機体全体の参加を前提にした、攻撃や、逃走といった本能的行為の遺伝的調節が前もって存在することにある。知覚的経験は、危険、糧、パートナーとの出会い、群居性動物espèces socialesに対する優位と降伏の態度、これらに従った状況の意味の把握に対応した先天的な形式や《パターン》に導かれている。とりわけ強度ある学習apprentissageは反響をつくるものの、それは動物行動学の研究された「すりこみPrägung」現象を実現さすような、類型的状況に制限されている。

 第二次の水準は、その用語が十分に満足のいくものでないけれども、心理学的と名づけられるものだ。第二次の水準はイメージを構成する局所的アクティヴィティーにおいて神経システムのより専門化された参加を前提にしている。つまり、環境との個々の関係のなかに有機体を直接的に拘束させる代わりに、第一次の関係の心的類似を発達させるということだ。ここでは予測は、〔第一次がそうであった〕本能的アクティヴィティーの覚醒である代わりに、対象遭遇を準備するイメージの連鎖を伴って、動機づけや意識的予測、欲望、欲求不満の状態、行動のプラン、という形で目立ってくる。経験においては、イメージを産出する局所的アクティヴィティーは生存の第一次カテゴリーの受容モードにははもう役立たないが、再認、対象分析、現在の状態の知覚、変化と差異の測定、偶発的信号の緻密で微分的な把握、これらの受容モードには役立つ。ここでイメージは対象との適応の道具として役立つのだ。イメージは単なる状況ではなく、対象が存在することを前提にしているからだ。経験を経て、純粋に心的なイメージは、表象的描線と主体の反応様式の連合を含んでいる対象の情動-感情的象徴となる。例えば、会話には、対話者のある種のイントネーションを伴う言葉や類型的表現が、イメージとして残存し、一定の情動-感情的な誘発性valenceに結合する。この記念的な複雑さCe complexe mémoriel〔ママ〕は、主体において、誘発性を伴った、環境表象の組織化にとっての目印であるのだ。

 最後に、イメージのアクティヴィティーの第三の水準が存在しうる。それは形式的、或いはある意味では、反省的réflexifと名づけるべきものである。何故ならば、環境との関係を支配する主体の視点の実行的システム化を行なうからだ。予測としての、「アプリオリ」なイメージは、運動的直観、つまりは状況や対象の多数性に向かって広がる自発性のアクティヴな中心から生じる投影図式の形で現れる。このような直観はプラトン主義、プロティノスの学説、またエラン・ヴィタルの観念と一緒になったベルクソンのそれのような、哲学的学説の原理に見出される。反省的直観を用いることで、主体は〔プラトン的〕投影〔プロティノス的〕発出〔ベルクソン的〕進化の無条件的唯一的源泉と一体化する。つまりは、アクチュアルな現存や経験の絶対的起源に観念的に溯り、純粋な予測を行うのだ。アクティヴィティーのこの同じ〔第三次の〕形式的水準は、分類化の抽象的図式化によって提示されて、水準から水準へ類似的な移転transfertによって活性化した、経験の様式に従って、目立ってくる。例えば様式が働いているのが分かるのは、質量形相的hylemorphique図式が適用されるときだ。その場合、「アプリオリ」な直観の一元論では、集合把握の異質的二原理の永遠的二元性と対立する。質料matièreと形相formeの相補的状況は、統一性を授ける局所的アクティヴィティーよって形になった=情報化した環境に由来する、偶発的情報の外生的供給の状況と比較可能なものだ。最後に、もし「アプリオリ」なイメージに含まれた論理が直観的反省性の原始的モデルを提供するのだとしたら、内部‐知覚的イメージの論理が帰納的inductiveないしは演繹的déductiveなシステム化の糸口である限り、「アポステリオリ」なイメージの世界は、個別の誘発性を与える制限された数の目印に由来する出来事と歴史の発生を観念的に作り直すことができる、増幅した反省性の原理であるようにみえる。弁証法に類型される哲学的思考に介入するのは、宇宙の「似姿analogon」へとイメージを組織化するこのタイプのものだ。哲学的思考は理解可能性と発達の源泉として、歴史的状況に出自がある試験された複雑さを前提にしている。

 限定的ではない例示としてアクティヴィティーの形式的水準を獲得した、イメージのそのアクティヴィティーに対して反省的モードが結びつく概略は、ただたんに直観、言説、弁証法的思考の反省性を現せさせるということに向かうのではなく、その三つの〔水準の〕システム化のどれもが発明のアクティヴィティーを完璧な仕方で覆い隠さないと示すことにも向かう。発明のアクティヴィティーは、範例に役立つためにはあまりに安定しないのだ。高くない形式化formalisationの水準では、「アポステリオリ」な利用が大きな集団的意味作用に姿形figurationsと神話の構造を与える限りで、イメージの「アプリオリ」なアクティヴィティーは様々な種類の最初期的思考に拡がっていく。この意味において、イメージの研究は、文化的内容の分析を目指す方向に向かうことができるだろう。
 


 【訳註】

群居性動物espèces sociales――ラットやヒツジなど、互いに身体を接触して群をなす習性をもった種。
すりこみPrägung――インプリンティング。ある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種。生まれたばかりのガチョウの雛には、目の前に動くものを追いかける習性があるが、それが母ガチョウではなく、車や人であっても最初に覚えてしまったら追いかけてしまうような現象。
誘発性valence――対象が人をひきつけたり避けさせたりさせる性質。人をひきつける誘発性を「正の誘発性」といい、回避させるものを「負の誘発性」という。クルト・レヴィンが提唱した概念。
〔プラトン的〕投影――プラトンにとって我々が経験できる現実世界は理想世界(イデア)が投影されたものにすぎない。イデアが太陽だとしたら、現実世界はその光が映し出した洞窟の中の影であり、多くの人々はその眩しさゆえに、太陽=イデアを直視することができないでいる。
〔プロティノス的〕発出――プロティノスは新プラトン主義を代表する哲学者。世界とは神的一者から流出・発出であり,人間はこの流出を逆にたどって自らの根源に帰りゆくことで神と一体になることができると考えた。
〔ベルクソン的〕進化――ベルクソンは生の哲学を代表するフランスの哲学者。進化の推進力の根源に「生の飛躍」(エラン・ヴィタール)を置き、この一つの力の多分岐が生命進化の本質であると説いた。