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ドレフュス事件をめぐって二分する世論を風刺した漫画( 出典:Wikipedia )


――われ弾劾す!

 これは19世紀末のフランスのある新聞に掲載された、作家のエミール・ゾラによる大統領宛ての公開質問状の見出しである。ゾラは、当時世間を騒がせた所謂ドレフュス事件において、証拠不十分のままスパイ容疑で逮捕されたユダヤ人のドレフュス大尉を弁護する為に、軍部を批判してこの質問状を作成した。この事件の背景には、西洋キリスト教社会に根深いユダヤ人差別がある。この事件についての世論は当時真っ二つに分かれたが、ドレフュスを罰するべしという意見の中には「ドレフュスが本当に犯人であるかどうかよりも、国家の威信を守る事が重要なのだ」というものまであったそうだ。

 さて、ではボクシングの話をしたい。昨年12月3日に行われたIBF王者亀田大毅とWBA王者リボリオ・ソリスのスーパーフライ級統一タイトルマッチをめぐる一連の騒動について、だ。ご存じ無い方の為に試合前日の計量から1月10日の倫理委員会までの経緯を説明しておくと、大体以下のようになる。

――事の発端はWBA王者ソリスが計量の際に犯した体重超過にある。これによってソリスはタイトルを剥奪され、無冠のまま統一タイトルマッチに出場する事になった。報道によると、事前のルールミーティングでIBFの立会人リンゼイ・タッカー氏は「大毅が勝てば王座統一、ソリスが勝てばWBAもIBFも王座は空位になる」(※1)と述べたそうだ。そして試合は大毅の奮戦及ばずソリスの2-1判定勝ち、しかし当初の説明とは異なり、亀田大毅のIBFタイトルは保持されたまま、移動はなかった。タッカー氏はルールミーティングでの説明を翻した形になったが、これについて「ルールミーティング後に説明を受けていた」という亀田側と、「説明を受けていなかった」というJBCで認識が食い違う事になる。そして今月6日になって、亀田側の北村春男弁護士から、「(試合前の)ルールミーティングでIBF立会人タッカー氏から英語版のIBFルールブックが配布され、挑戦者が計量失格となった場合の取り扱いについて“王者は勝っても負けても王座を保持する”と明記されている」(※2)というコメントが出された。そして10日、亀田側関係者出席の下に、JBCによる最終的な処分を決定する為の倫理委員会が開かれた。ここでは亀田側の主張が以前とやや変化しているようにも見える。以下に、本郷陽一氏の記事(※3)から亀田ジム側、そしてJBC双方の見解を確認したい。


 
亀田ジム側: 「『負けても防衛』の見解は、前日のルールミーティングで確認されていた』と主張。その後、独自調査をした上で、それを裏づける状況証拠を文書で発表した。
 

 
JBC側:ルールミーティング後、JBCの森田健・事務局長が同席の上でIBFの立会い人のリンゼイ・タッカー氏が取材に答えた「負ければ空位」という見解が、事前の共通認識だとしてきた。
 

 
 この「状況証拠」についてだが、【拳論】(※4)によると、亀田ジム側の主張は「ルールミーティングでJBCが『大毅が負けたら王座が空位になる』とIBF立会人に確認した話は、通訳の聴取で事実ではないことが確認された」「その裏付けとして海外サイトの記者のメールがある 」というもののようだ。この聞き取り調査を終え、後は今月下旬の処分決定を待つばかりである――。

 正直、ここまで来ると、既存の報道だけでは「事実」が何だったのか分からない。サイゾーの記事(※5)では、ルールミーティングの模様はTBSが全て録画しているという。これが本当だとしても、JBC対亀田の構図の中でどちらかが決定的に信用を無くす事を考えれば、今後もこのVTRが表に出る可能性は低いように思う(裁判にでもなれば別だが)。 以上のような状況で「どちらかが嘘を吐いている」として断罪する事は私には出来ないし、問題の本質がそこにあるとも思えない。私が今回の一件で問題だと思うのは、「ルールは本来どうあるべきなのか?」という点が一つ、そしてもう一つ最大の問題点と考えるのが、「ルールが正しく告知され、行使されるように試合を運営するべきは一体誰なのか?」という点である。

 ボクシングは誰もが知る通り、階級制のスポーツである。他のスポーツでこれ程細かく階級区分(全17階級)が設定されているスポーツはないだろう。これら区分下で、各階級各団体の世界タイトルマッチが争われる。私自身は、このような細かい階級設定は認定団体の承認料欲しさの産物でしかなく、正当性は無いと考えている。しかし、逆に正当性があると考える立場であれば、それが例え統一戦であろうとも、体重超過の時点でタイトルマッチは不成立とするのが道理だろう。ちなみにソリスは最初の計量で1.4キロの超過、2度目では400g落として1キロの超過でギブアップしている。道理に従うならば、二度目の超過時点でソリスのタイトルは剥奪し、タイトルマッチは不成立とするべきだ。これが階級制、並びにルール、タイトルマッチの権威を守る為に最も正当性が高いと思う。しかし興行に穴を開けない為には、グローブハンディなどのペナルティを付けてノンタイトルとして試合が行われる必要性があるだろう。


 ただし、ソリスの体重超過はソリス陣営に課されるべき責任であり、それについて大毅には全く落ち度がない。大毅がタイトルを失わないにしろ、そういった取決めに彼が従わなければならないという道理もない。大毅の減量苦は以前から知られるところであり、大毅が今回の試合でも10キロ以上を落として絞り切った身体で試合に臨んでいるのに対して、ソリスの身体はまだだいぶ余裕を残しているように見えた。私は過酷な減量には反対の立場であるが、体重制限の枠組の中で戦うというルールの中でこのような試合が公平性を欠いている事は明らかであろう。今回のようなケースでの落としどころとして、大毅のIBFタイトルは勝敗に関わらず移動しない、ソリスの場合は剥奪、大毅が勝った場合にはWBAも獲得でタイトル統一という取り決めは全く不適切なものとは思わない(その上でソリスには、ファイトマネーの一部没収などのペナルティが課されるべきだ)。

 更に、上記した本郷氏の記事には、JBCの秋山弘志理事長の“個人的な意見”が紹介されている。これはJBCの【体質】を表している言葉なので、引用しておきたい。


 
「JBCは、ボクシング界の相互の発展のため各ジムが、ちゃんとルールを守っているかを見る“裁判所”的な役割も持っている。その業界内のルールが守れないのであれば、出て行ってもらうしかない」(同※3)
 


 ここで述べられているJBCの【ルール】がどういったものなのかは不明である(恐らくは「不文律」という事であろう)が、しかしこのような対応に果たして正当性はあるだろうか?そもそもJBCとは、「JBC管轄下で行われるプロボクシング試合がルールにのっとって正しく行われるかを指揮、監督を行う機関」である。JBCがそのような機関であり、それに応じた権限を持つならば、同時に果たすべき責任があることは明白だ。今回の場合、統一戦のルールをきちんと把握して告知し、それが守られるように管理・指導するという事ではないだろうか。例え亀田ジムが興行全体の主催者であっても、試合が適切に行われるかを管理するのはJBCの役割だ。もしもその役割が主催者にあるのなら、(今回の事件で多くの者が訝しんでいるように)主催者側が有利になるようなルールの捻じ曲げや働きかけを認定団体に行うなどの行為は当然起こり得るだろう。だからこそ、それをさせない為にJBCが責任を持つべきなのだ。今回のような事態におけるIBFルールが、報道の通り、「タイトルの移動なし」ならば、なぜJBCは「空位になる」というIBFの説明に、「ルールブックでは移動なしとなっていると思うが?」という確認しなかったのだろうか。「空位」ならば、それは書面で確認されているのか?まさか、IBFルールを事前に知らなかったというわけではあるまい。JBCにも落ち度はある。というより、もっと言えばJBCは果たすべき役割を果たしていないように思える。それなのに、「IBFから説明を受けていた事を黙っていた」というだけで、なぜ「出て行って貰わなければならない」となるのか?それでは亀田ジムに余りにも過大な責任を負わせすぎてはいないだろうか。

 ネットの掲示板やSNSにある一般の意見を見ると、亀田家にはこれまでも数々の問題行動があったのだから、今回の件で亀田を追放するべきだ、という意見が非常に多いように見受けられる。確かに一連の経緯を考えると、「IBFからタイトルの移動なしという説明を受けていた(そしてそれを理解していた)」というのは非常に苦しい。恐らく、亀田ジム側は何らかの形で嘘を吐いているだろうと思う(或いは「嘘を吐く羽目になった」というべきなのかもしれない)。

 しかし、本来の問題はそういった所には無い筈だ。私は【ボクシングを打ち倒す者】の本編で、「亀田家と日本ボクシング界は【共犯関係】にあった」と結論付けて寄稿した。亀田のふるまいは非常に目立ったが、その多くは彼等が単体で行えた類のものではない。今回の件でJBCが主張した言い分は、私にはJBCが自らの責任を回避して亀田ジム側にだけ責任を押し付けようとしているとしか思えない。JBCが、もしこれまで【共犯関係】にあった亀田をスケープゴートにしてボクシング界に信用が取り戻せると思っているのなら、それはまったくの誤りであり、前近代的な、村社会的発想であると指摘したい。

 尚、ドレフュス大尉は一度終身刑の判決を受けて流刑にされた後、結局は放免され、軍隊に戻り勲章を受けた。エミール・ゾラも一時は亡命を余儀なくされたが、彼らは歴史において勝者となったのだと思う。



※1:http://boxingnews.jp/news/8852/
(「ボクシングニュース」2013/12/ 4)
※2:http://www.daily.co.jp/ring/2014/01/07/0006619431.shtml
(「デイリー」2014/1/16)
※3:http://thepage.jp/detail/20140110-00000008-wordleafs
(「THE PAGE」2014/1/10)
※4:http://boxing.dtiblog.com/blog-entry-3657.html
(「拳論」2014/1/6)
※5:http://www.cyzo.com/2013/12/post_15591.html
(「日刊サイゾー」2013/12/25)