『箱の蓋』

ATとのインタビューのあと午後2時半、午後6時とグループ瞑想があったが、がんばり過ぎない瞑想でそこそこ上手くいった。ATに事情を話すことができたという安心感ゆえかもしれない。

午後9時、キッチン要員のミーティング。私と面談したATから短いコメントがあった。



「8日目、9日目は参加者のエネルギーが高くてトラブルの起きやすい時期なので、参加者の様子がおかしかったら、どんなことでもすぐに連絡してくださいね」
 


これはある意味、私へのメッセージで、「自分のコンディションには十分注意を払って、何かおかしなことがあったらすぐに相談しに来るように」ということなのか?いつかは箱の蓋を開けて、中を掃除する必要があるかもしれない。不用意にそんなことをしたら収集がつかなくなりそうだが、心の仕組みがわかってきたのは一歩前進だ。


『ながれ星』

キッチンの手伝いでセンターに滞在するときはいつも、夜のミーティングのあと散歩道を歩く。センターのある土地は北向きのゆるやかな斜面で見晴らしがいい。近隣の小さな町の明かりが遠景に見える。あとはセンターの建物の明かりが見えるだけで、道は暗い。でも月のある夜は、その光が砂漠の夜の空気を満たす。月ってこんなに明るかったんだと思う。懐中電灯なしでも十分に歩ける。

そして最近は、月の出ていない夜でも懐中電灯なしで歩いている。何回も歩いたので、散歩道の傾斜や曲がり具合、目印になりそうな大きな潅木の茂み、遠くに見えるセンターの建物の照明と散歩道との位置関係を覚えてしまった。

懐中電灯を使わない理由はふたつある。

ひとつは、人に見られないようにするため。
消灯時刻まぎわに散歩道で懐中電灯が動いているのを見たら、不審に思う人もいるかもしれない。いらない騒ぎは避けたほうがいい。

もうひとつの理由は、星をよく見るため。
月のない晴れた夜は星がたくさん見えるのだけれど、懐中電灯の光はそれを台無しにしてしまう。

8日目が終わった。7日目のレタス事件以来、仲間とキッチンで働くことに違和感を感じることが多くなった。でも今日はATと話すことができたし、良い日だった…、そんなことを考えながら歩いた。

小学校のころ覚えた星座はもう、ほとんど忘れてしまった。でも、いつも北の空に北斗七星かカシオペア座を探し、それから北極星を探す。天の川も見える。ロサンゼルス空港へ向かうのか、夜間飛行の旅客機も見える。

そして、ながれ星が見えることも多い。

ながれ星に願いをかけたことのある人はいるだろうか。
ながれ星が見えるのはほんの一瞬だ。そのあいだに願い事をするなんて不可能だ。

でも、本当に不可能だろうか?
私は一計を案じた。願い事をあらかじめ考えておくのだ。

そしてこの日の夜、生まれて初めてながれ星に願いをかけることができた。

センターに通うようになってからずいぶんながれ星を見たけど、あんなにきれいなものは、見たことがなかった。南に向かって、長い尾をひいて流れていった。


『死者と仏陀』

私の願い事はありがちなもので、亡くなった人にもう一度会いたい、というものだった。
でも、願いをかけたあと考えた。亡くなった人に会うって、どうやって?

遺体はもう何年も前に火葬されている。もう一度会うなんて不可能だ。

生まれ変わりに会う、あの世で会う、来世で会う…

それぞれ可能性はあるのかもしれないが、現実的ではない。

生きている人、と死んでしまった人の違いは何だろう?
生きている人に話しかければ、答えが返ってくる。手紙を書けば、返事がくるかもしれない。死んでしまった人は、そういうことはしない。生きている人のように返事をしてくれるわけじゃない。

でも、その死者を思う人の、心の中に存在している。
亡くなった人は、Qualityとして存在しているのだと思う。

仏教の教えに関心のある人なら、仏陀というのは固有名詞ではなく、悟りを得れば誰でも仏陀になれるということを知っているかもしれない。歴史上一番有名な仏陀が釈迦、いわゆるお釈迦さまなのだ。(注)大乗仏教の解釈は少し異なります。

コースが始まるとき、他の参加者と一緒に私も仏法僧の三宝に帰依した。
三宝のうち「仏」は仏陀のことだか、これは「悟りを得た存在のQualityに帰依するのであって、釈迦という人間に帰依するわけではないから、間違えないように」という注意があった。

お釈迦さまは当然故人である。
でも、彼が示したQualityは帰依の対象として存在している。

それなら私も、亡くなった人のQualityに会えばいいのだろうか?
それはどのように私を助けてくれるのだろうか。


『二回目のインタビュー』

9日目の朝、私はまた自分の名前をインタビュー予約のホワイトボードに書いた。10日目はATのインタビューがない。ATに事後報告してお礼を言うなら、9日目が最後の機会だ。

昼食後、指定の時間に瞑想ホールへ行った。この日インタビューに対応してくれたのは実習中のATで、昨日私が面談したATはその横で瞑目している。昨日のATと話せないのは残念だったが、実習ATと私の会話は聞こえているはずで、お礼を言って教えてもらったインストラクションを確認するならそれで十分だと思った。


『耳が痛い』

夕食後6時の瞑想では、最後の10分間また不調だった。明日、10日目はメッタの日だ。この日の午前中にメッタという瞑想の指導がある。そのあと、会話が解禁になる。

私は、この日が苦手だ。

会話解禁になると当然みんなしゃべり始めるが、私は話したくないのだ。自分がコースに参加する時はいつも日記帳を持参する。コース中は預けてしまうが、メッタの日に返してもらい、自室か瞑想ホールの近くで日記を書くことにしている。瞑想ホールの周りはメッタの日でも会話禁止なのだ。ここなら、誰も話しかけてこない。

コース参加ではなく、キッチンの手伝いでセンターに滞在している時でも、私はメッタの日が苦手だ。

昨日まで無表情だった参加者たちが突然、闊達に会話をしはじめ、コースの手伝いをしてくれてありがとうなどとお礼を言われると、なんだか騙されたような気分になる。

だから9日目の夜、明日はメッタの日かと思うと気が重かった。

夜のミーティングが終わり、いつものように散歩道を歩きに行った。この日はうす曇で、月もなければ星もあまり見えない、寂しい夜だった。それでも、明日はセンター中がおしゃべりの渦でいっぱいになるのかと思うと、この静寂がかけがえのないものに思われた。

耳が痛かった。気圧が変化しているのだろうか。明日はお天気が崩れるかもしれない。

この日もながれ星を見た。

東の地平線へ落ちていったが、息のタイミングが悪くて願いごとをすることはできなかった。「あ」と言っただけで終わってしまった。薄い雲の向こうを流れた星は、私の願いを拒否したのだろうか。

(『見えないホタル』へ続く)