romaine lettuce
                         ロメインレタス

脱走したいわけじゃない(瞑想について-04)」より続く。
                    

『記憶の塊』

7日目の午前中、キッチンの調理台でサラダに使う大きなレタスを切っていたときのことだった。レタスはロメインと言う種類の、白菜くらいの大きさのもの。キッチンの仲間が私に、「イタリアンドレッシングの作り置きはどこにあるの?」と聞いてきた。私はサラダの係なのでドレッシングも管理していたが、テーブルでサラダの横に並べる小さい容器入りのドレッシングか、大きな容器に入った補充用のドレッシングか、とっさに判断がつかなかった。もたもたしていたら、すぐ横で作業していた別の仲間があっさり答えた。「ワゴンの中段」

これだけのことが、一体、どうしてあんなに堪えたのだろう?

今までの人生で不手際から恥ずかしい思いをした記憶や、「頭が悪い、役立たず」と蔑まれた記憶が全部、透明でぐにゃぐにゃした塊になって、目の前5メートルくらいの空間にクラゲのように浮いているような気がした。

そんなことがあるわけがない!

思わず、目を凝らした。
深く見つめれば、それが贖罪になるかのように感じた。
目の焦点がキッチンの景色からずれていくのがわかった。

動作が止まったのは、ものの1秒か、長くて数秒だと思う。

すぐまたレタスを切る作業に戻ったが、動揺しているのか手が滑らかに動かない。大きな包丁を持っていることに気がつくと、怖くなった。包丁をまな板の上において水を飲みに行った。戻っても、もう少し時間が欲しかったので、今度は手を洗いに行った。それから調理台に戻り、2分前(そう、2分だ)と同じようにレタスを切り続けた。

自分では上手く誤魔化したつもりだったが、ドレッシングの場所を私に聞いた仲間が見ていたのだろう。昼食の片づけをしている時にキッチンマネジャーが話しかけてきた。

「疲れているようだから、2時半のグループ瞑想の後はもうキッチンの仕事はしないで、休んでて」

身体的にそんなに疲れているとは思えなかったが、キッチンで仲間たちと一緒に作業するよりも一人で過ごしたいと思った。

「ありがとう。それじゃ3時45分のキッチン・ミーティングも欠席していい?」

マネジャーは一瞬、どうしようかという表情を見せた。
ミーティングに出たあと、作業に戻る仲間をキッチンに残して、自分だけ自由時間を取るのはかっこ悪くていやだ。それだったら、ミーティングも出ないほうがいい。

結局、マネジャーは了解してくれた。


『不出来な瞑想』

昼食の片付けのあと、2時過ぎまで休憩時間だ。
しばらく横になって休んだので、頭はすっきりした。2時20分、瞑想の時間を知らせるゴングを鳴らしながらセンター内を歩く。2時30分からホールでグループ瞑想。

私が時々経験する、瞑想の不快さ、気分の悪さをどう表現すればいいだろう?

この時もそうだった。瞑想にまったく集中できず、胸が悪くなるようなイヤな思い出が、手品師の帽子から出てくるシルクのハンカチのように、次から次へと出てきて決して止まることがない。胃カメラを取り出すときのような気持ち悪さと、このままヒステリーを起こすのではないかという恐怖、敗北感、自分と世の中への嫌悪。

悲しくも何ともないのに、閉じた目から涙が流れ続ける。

瞑想は中断したほうがいいと思い、意識的に目を開けた。すると今度は、目を閉じて座っている大勢の瞑想者が目に入る。それはそれで不快で気持ちの悪い光景で、瞑想終了時間までこの場所にいなければいけないと思うだけで、頭がおかしくなりそうになる。上半身を床に伏せ、おじぎの体勢で終了時間まで乗り切った。

ミーティングをパスすることにしておいてよかった。
仲間たちは、私がキッチンの仕事を休んでいるのは、疲れているからだと思ってくれるだろう。

瞑想のあと、センター内の散歩道を歩いた。日没直前の時間で、山の陰にあたる場所はもう薄暗くなっている。風はなく、空気はまだ暖かい。部屋に戻ってもまだ時間があった。日記帳を取り出して、自宅を出発して以来のできごとを書きとめた。


『ATに会う』

瞑想のテクニックについての質問があったり、センターでの生活について相談したいことがあれば、ATと個人面談することができる。ATとの面談のことを「インタビュー」というが、「インタビュー」するためには予約が必要だ。参加者用のダイニングホールに「インタビュー予約用のホワイトボード」があり、それに名前を書く。8日目の早朝、参加者が朝食に来る前に、私は自分の名前をそのボードに書いた。

前夜、夕食後のグループ瞑想は何とかなった。でも滞在期間がまだ4日あることを考えると、対処法を考えたほうがよさそうだ。センターでのグループ瞑想で気持ち悪くなるのが2回目だというのが気になったし、ATに不調であることを報告しておく目的もあった。

インタビューの時間は昼食後だ。昼食時間がすみ、キッチンで片付けものをしていたら、リネーが呼びに来てくれた。インタビューの順番が回ってきたのだ。このコースの時は、昼休み中の瞑想ホールを女性参加者のインタビューに使っていた。私はリネーと一緒に瞑想ホールまで行った。インタビューが始まるまでの短いあいだ、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせた。


『1回目のインタビュー』

インタビューは瞑想する時と同じように、座った状態で行う。
ATに挨拶し、インタビューを申し込んだ理由を説明した。

「キッチンの仕事をしていて、ストレスに苦しむ人は多いと思います。仕事が忙しくて疲れているからストレスがたまるのでしょうが、対人関係が原因のストレスも珍しくないと思います。たぶんご存知だと思いますけど」

ATは「わかっている」という表情を見せた。私は続けた。

「そういうストレスに見舞われたとき、自宅だったら瞑想すれば心を落ち着けることができます。でもセンターで瞑想すると、逆に混乱が深まるような気がします。どうしてなんでしょう」

「コース期間中は参加者も混乱しているから、あたなはその影響を受けているんだと思いますよ」

グループ瞑想中はATも目を閉じて瞑想しているが、参加者の様子はきちんと観察しているのだ。瞑想中、私が座ったまま動き回ったり目を開けたりするのも見ていたのだそうだ。ATは続けた。

「グループ瞑想のとき、どんなふうに瞑想していますか?」

私がやっているのは、教わったとおりの瞑想法だ。どうしてこんなことを聞くのだろう?

「頭からスタートしてつま先まで下りて、つま先から頭に戻って、それをもう一度くりかえして、二往復することにしています。それでもまだ時間があれば、身体の内側の感覚を感じ取っています」

「だからですよ」

「え?」

「内側まで入り込むと、心の中のものが出てくることがあるのです。今日はコース8日目だけれど、8日目前後は参加者も混乱していることが多いから、あなたはそのエネルギーに圧倒されているんだと思いますよ。ここで瞑想する時には内側まで入らないこと。それと、がんばりすぎず、リラックスして瞑想すること。ヴィパッサナー瞑想が続けられなくなったらアーナーパーナーに戻る、あるいは単純に鼻のまわりか手のひらか足の裏に意識を集中してみてください。それから、グループ瞑想のあとは直接キッチンへ行かず、自分の部屋に戻って一分間だけベッドに横になり、頭からつま先まで意識を移動させて、それからキッチンへ行きなさい」

そういえば前回の瞑想中に体調を崩したのも、コース8日目だった。
他人の混乱に感染することなんてあるのだろうか? 
そして、心の中から出てくるものとは? 

心の中のものなんて深く知りたいとは思わないが、さぞかし汚いものがぎっしりつまっているのだろう。

まるで、パンドラの箱だ。
衝撃で蓋が開いてしまうようなことはないのだろうか?
もしそんなことが起こったら、私はいったいどうなってしまうだろう?
そんな時に使える、応急処置的なテクニックはあるのだろうか?

私が半ば混乱しているのをATは見て取ったのだろう、同じインストラクションを根気強く話して聞かせた。

「ちょっとだけ瞑想しましょう」

姿勢をただし、瞑想する。ものの30秒。それでインタビューの5分は終了してしまった。でも、これだけ教えてもらえれば十分だ。これ以上複雑なことを教わったって、できるわけがない。

(『ながれ星』へ続く)