course boundary -  trimmed

                                                コース境界の標識。コース期間中はここから外に出てはいけない。


グティエレス神父(瞑想について-03)」より続く


『駐車場』

女性スタッフ用のダイニングルームは、コース境界の近くで、境界を越えたすぐ向こうが駐車場だ。コース期間中は会話禁止のほかにも、さまざまな制約がある。そのひとつが、コース境界内で過ごすという制約だ。散歩道を含む境界は広大で、狭苦しい思いをすることはない。でも駐車場は境界外だから、期間中は自分の車まで行くことはできない。

スタッフ用ダイニングルームと同じ建物の中に参加者用のダイニングホールもあり、天気のよい日は食事をすませた女性たちが無言のままコース境界の近くをうろついていることも多かった。スタッフが食事していると、窓越しにその様子がよく見えた。

「ねえねえ、あの参加者、食事の後いつも駐車場の方を見てるのよ」

あれは何日目だったか、キッチン仲間の女性が他の仲間にそう話しかけた。
窓の外を見ると、サングラスをかけた女性が手にマグカップを持ち、駐車場のほうに顔をむけて立ちつくしている。

「ひょっとして、脱走しようと思ってるんじゃない?」

まれに、そういう参加者がいるのだ。

コース途中でセンターを離れる場合ATの許可が必要だが、普通そんな許可は出ない。イヤになったから、面白くないからといった理由で帰ることはできないのだ。となれば、人目につかないように黙って出てゆくしかない。

そういう事情を知っていても、私は内心、仲間の意見を苦々しく思った。
駐車場の方を眺めていたくらいで脱走を疑われるんじゃ、たまったものじゃない。
秘密警察が世の中を支配する近未来SF小説のようだ。


『瞑想者の心』

誰でもそうなのかは分からないが、瞑想コースに参加していると、何か、「おかしなこと」をしたくなってくる。

コースでは、「会話禁止、音楽禁止、電話禁止、読書禁止、筆記禁止、歌禁止、ヨガ禁止、ダンス禁止、運動禁止」の生活だ。境界は男女別々だから、「男女の接触」も当然禁止だ。事実上、瞑想しかやることがない。そして瞑想していれば、さまざまな雑念が心に湧いてくるのは誰でも同じだと思う。

散歩道にハートの形に小石が並べられていたり、地面に絵が描かれているのは日常茶飯事だ。

私だって、コース参加のときは、さすがに絵は描かないけれど参加者に秘密のあだ名をつけ、散歩道の近くの木にも名前をつけ、こっそり話しかけ、握手をする。今回のようにキッチン手伝いでしゃべってよいときでさえ、スペイン語の講話を「グティエレス神父(※ 前エントリ参照)」ということにしてあるのだ。

人間にとって、表現することは生きていくために必要なことなのかもしれないと、こういうときに実感する。


『駐車場に「自己」を落としてしまいました。取りに行っていいですか?』

去年山の中の瞑想センターでコースに参加したとき、早めに到着したので、ダイニングホールの建物のすぐ近くに車を駐車することができた。食事をするときはいつも、駐車場にとめてある自分の車が見えた。距離はものの20メートルだが、ダイニングホールと駐車場の境がコース境界で、すぐ目の前でも車のところには行けない。

朝4時半から夜9時まで、一日のうち8時間以上を瞑想に費やす暮らしをしているのに、キーをまわしてエンジンをかければ運転して自分の家に帰れる自分の車がすぐそこにある。瞑想をしていると、意識的に自我を無視するようになるから、「自分の」車があるというのは不自然極まりない状況なのだけれど、それでも車を見るたび、自分がどこで何をしているのか再確認するのだった。



"もしかしたら、砂漠の瞑想センターで駐車場を見つめていた女性も同じようなことを感じていたのかもしれない"
 


たまたま会話が途切れたタイミングでキッチンの仲間にそう説明したら、共感してもらえて、うれしかった。でも、そのあと仲間の一人が冗談半分に言った。



「ひょっとしたらさ、ポルシェみたいな高級車に乗ってて、盗まれないかどうか心配なんじゃない?」
 


わたしは、この場所でそんな発想ができる人が存在するということに、不安になるくらい驚いた。茶室の床の間に置かれたミロのビーナスのレプリカみたいだ。悪く言えば世俗的、よく言えば揺るぎない自己が確立している人なのだろう。

私は簡単に環境に染まってしまう。みんながそうと言えばそう、こうと言えばこう。
自分の意見にはこだわらないように、努力すらしている。
他人の発言に責任を求めたくないし、自分の発言に責任を負うのもいやだ。
理解されないこともあるし、理解できないこともある。それはそれで、しかたない。

何年か前、親しい知人と話していて、私の言うことをどうしても理解してもらえないことがあった。これはしかたないと思い「あなたにわからないこともあるんだよ」といったらイヤな顔をされてしまった。

わからないということを、放っておけない人もいるのだ。


『おかしな人が、いるかも』

毎晩9時、コース参加者が部屋に引き上げたあと、瞑想ホールでATとキッチン要員のミーティングがある。コースでは開始から4日目の朝まではアーナーパーナー瞑想、その後はヴィパッサナー瞑想を練習するが、技術的にややこしくなるので、このあたりから疲労してしまう参加者もいるのだという。

コース中盤の夜、ATたちから、もし参加者の不審な行動を見かけたら報告するようにと話があった。

これは参加者の保護が目的であって、不心得者を見つけ出して規則に従わせるのが趣旨ではないのだけれど、はっきり「報告」するように言われると、自分が何か特別な権限を持っているかのように錯覚してしまい、危険だと思った。

(『パンドラの箱』に続く)