凡例  

1:この翻訳はジルベール・シモンドン(Girbert Simondon)が1965年から1966年まで行った講義の記録“ Imagination et Invention ” (Les Editions de la Transparence, 2008)の部分訳(12~15p)である。 
2:イタリック体の文章は「」に置き換えた。書物題名は『』、強調や引用を示す《》はそのまま用い、文中の大文字表記は〈〉に替えた。〔〕は訳者による注記である。
3:訳文中の青文字は訳注が末尾についた語や表現を指し、灰文字は訳者が自信なく訳した箇所を指している。また、太字強調は訳者の判断でつけたもので、著者によるものではない。
 


 もし経済的な交換の集合を行動として考察することができるなら、決定におけるイメージの果たす役割は簡単に露わになる。製品や品物は全てイメージの衣をまとっている(社会的水準、外国からきたもの)。更にそれぞれに固有の性格が付け加えられる。商業は進んで、選択に際し決定するには十分に具体的な性格をその内にもっていない製品に対し想像的存在をもたらす条件づけconditionnementを創造する。生産物が包装された売り物であるときは、包装がイメージの担い手だ(洗剤のような場合)。もし製品がガソリンのように、販売機の売り物であるなら、それに色(紺碧色)を残せたり、販売機そのもののイメージを変えたりする可能性がある(エッソ・タイガーでは、管を虎模様のリボンで巻いて、虎のしっぽが車に引っかかるようになる)。これらイメージはそれぞれ運動的情動的な要素へと発達する。めでたそうで平和的そうであろうとして、紺碧色は空の色をしており、欲されれるとすぐ飛びかかれるように、虎は象徴的に運動的なものを置いている。

 流行modeのような、集団的現象は、イメージの半-抽象的性格の存在を含んでいる。定められた流行を取り入れながら、人は気取り、限度、可能性のグループ、つまりは人生のある種のスタイルを選択する。クレージュに従えば女性の流行の歩みはシャネルの価値とは別の価値を含んでいる。服の裁断に従い、個人はモダンや伝統的などと知覚される。その個別の輪郭を使って、人々はそれぞれ個人を識別できるようにする具体的与件をもたらす。けれども知覚できるようになり表明された気取りの束としての流行を個人が作ることを通じて、その同じ人は部分的に概念化可能で抽象的な規範の集合への加入とグループへの帰属を首肯している。衣服は選別器として介入する。というのも、衣服はある身振りを適合さすのに別の身振りを禁止し、雨や寒さから身を守る一方で、傷つきやすくさせもするからだ。この補綴的prothétiqueな役割は数多くの可能性を制限するが、抑制的だった可能性を発達させ増幅させもする。いわば顔の表現を不動のものとさせるが声の届く範囲を広げる劇場の仮面のようなものだ。衣装、仮面、登場人物、これらは事物と有機体の中間的な距離に置かれ、有機体を媒体化=メディア化しながら物質的世界と社会的世界との関係を安定化させる。

 この意味で、主体と対象との間を媒介するものintermédiaireは全てイメージの価値をもつことができ、付け加えると同時に制限する補綴の役割を演じる。私たちが日々使っている、言語の特色、アクセント、《職業習癖》は十七世紀(モリエールの喜劇)ときよりも注意を引くものではない。職人団体のコスチュームも消えていく傾向にある。けれども主体と対象の間を媒介するものの想像的価値は、生活水準の指標や、乗り物や、髪型のような細かなものへと写った。実際、イメージは、単に心的なものである以上に、抽象と具体との間、自己と世界との間を媒介する実在としてある。イメージは自らを具現化しse matérialiser、制度や、製品や、財産に生成する。それは商業的ネットワークに加え、情報informationを広める《マスメディア》によっても広がっていく。この媒介的性格は、意識を生むが対象も生み、伝播の強い力をイメージに与える。イメージは文明化civilisationに力を染み込ませ、力を積み込む。或る意味では、イメージは社会的経済的事実を表現しているが(例えば、ポリエチレンを使った衣装)、イメージが具現化し対象化するやいなや、任務を構成し、社会的生成を部分的に決定する緊張を導く。このような理由のため、流行の進化のような現象は全くもって皮相とはいえない。その現象を上部構造〔意識〕の純粋な合力、表現、付帯現象、一時的アスペクトのように取り扱うことはできないのだ。イメージは合力であるが、芽germeでもある。それは概念や学説の糸口に生成しうる。集積的因果性の社会的プロセスによって心的なものから対象的に現実的なものへ赴いた循環的因果性は、同じく客観的な現実的なものから心的なものへも赴く。どんなイメージも具現化ないしは観念化する循環のプロセスに取り込まれることがある。芸術品、記念碑、技術的対象が流行に登録されると、イメージは運動、認知的表象、情動や感情を呼び起こす複雑な知覚の源泉に生成する。人間によって生産された対象の殆ど全ては、ある程度は対象-イメージである。それは潜伏的な意味作用の所持者で、単に認知的である以上に、意欲的conativesで情動-感情的だ。対象-イメージは殆ど有機体で、少なくとも主体のなかで再生し発達していくことができる芽だ。主体の外にあってさえ、交換とグループのアクティヴィティーを通じて、新しい発明に再び取り込まれれる想像的段階までの再び引き受けられ拡がっていく機会が見つかるまで、幼形成熟的néotenique状態で自己増殖し、自己伝播し、繁殖する。

 想像力の研究はイメージ-対象の方向で行なわれなければならない。何故なら、想像力はイメージの単なる産出や喚起のアクティヴィティーではなく、対象に具体化されたイメージ受容のモード、その方向の発見だからだ。即ち、イメージにとっての新しい存在のパースペクティヴの発見である。対象-イメージ――芸術作品、衣服、機械――は時代遅れと化し、そしてはっきりしない想起、つまりは消えゆく文明の面影と共に薄まっていく過去の亡霊に生成する。感性的分析と技術的分析は発明の方向に向かう。というのも、二つの分析はその対象-イメージを有機体として知覚しながら、発明され産出された実在のその想像的な十全さを新たに喚起しながら、その対象‐イメージの方向の再発見を行なうからだ。方向を真に完璧に余すことなく発見することとは、再装備であると同時に復活、世界に対して効果的な再度の取り込みである。十分に自覚はできない。有機体は単なる認識可能な構造をもつ以上に、拡張し自己発達するからだ。有機体が隠し持つイメージを掘り下げてみることで、生成の中に有機体が再装備され、それが発明に戻ることを通じて《現象を救い出すこと》こそ、哲学的、心理学的、社会的な務めなのである。

 発明された実在の具体は、実際、個体の空想のように、恣意的でも主観的でもない。それは多機能的plurifonctionnelであるが故に、普遍的になっていく。感性的、補綴的、そして技術的な対象-イメージは同時代の諸実在の組織網に結ばれたアクチュアリティーの結節点だ。例えば見かけ上は最も安定している衣装の流行は、衣服が経済的使い勝手と作用的ないしは知覚的規範とを単位として統合するに応じて、現実的な発明となる。冬の白いブーツと同じ色のトレンチコートは、大衆において薄く色がついた合成樹脂物質の使い勝手、つまり色彩の安定性を保証するものに対応しているが、照明の条件が悪かったとしても高い度合いで知覚力をもつ研究にも対応している。これら衣装と道端で働く労働者のそれとの間には親類関係がある。白く縁どりされた衣装と、飛行機や宇宙飛行で使用される航路標識や目印の間にはアナロジーがある。つまり衣装は多少なりとも遠慮がちに《光学化opticalisés》されており、都市や内部の衣服としてではなく、いわば外部に対して、すべての土地とすべての空に対して、補綴的対象として生じるのだ。

 発明の任務とは、対象‐イメージが再発見され分析されたさいに、場合によっては転調transpositionを用いて、復活することができることにある。装飾や衣服などを考えてみると、都市や内側の衣服にとって社会的ランクと階級の知覚に役立ったものは、道路の交通、工場労働、建設現場での労働者にとって機能的な方向をもつ知覚性の規範に従って再考されうる。いくつもの機能を(もし一つだけの機能に対応し抽象的であり続けるならば)一つに凝縮し、同時代の諸実在の組織網に結びつく解決を用いるとき、具体的なものと抽象的なものとの間の真の媒介となる。そのときイメージのその実在は互換的paradigmatiqueである。そして自己分節化しかつ連帯もしているそのイメージによって、結びついた他の諸実在を理解できるようになる。

 対象-イメージの様々なカテゴリーの存在、対象的なものと主体的なものの間の第三の実在は、用語の本来の意味で現象学的phénoménologiqueと名づけれる分析の特別なモードと呼べる。その種類の実在は自己顕示しイメージの本性を押し付けるという方向をもっているからだ。


【訳註】

エッソ・タイガー――世界的な石油会社。虎のキャラクターがマスコット。
クレージュ――アンドレ・クレージュ André Courrègesは、フランスのファッションデザイナー(1923‐)。
補綴的prothétique――主に歯科の言葉で、失われてしまった歯の部分を義歯(インレー、クラウン、ブリッジ、インプラントなど)で補い、元あった見た目と機能を回復さすこと。
幼形成熟的néotenique――ネオテニーとは性的に成熟した個体でありながら、幼い頃の形態を残っている現象。例えば、サンショウウオやイソギンチャクなど。成人したヒトはチンパンジーの子供によく似ており、ヒトも幼形を残していると言われている。