【歌われる走百姓(谷島 誠.a.k.a 家出.01
)】
Flickr Photo:【歌われる走百姓(うたわれるはしりひゃくしょう)】
http://www.flickr.com/photos/108767864@N04/sets/72157637718428225/#
パフォーマンス:【谷島 誠.a.k.a 家出】
from:【東中野セルフキッチン:2013.10.21】
LIVE:【DIYパーティ出張編「都市の港―音楽と交易の夜」Vol.3】
撮影:【東間 嶺】
◆ もう昨年末の、というかより正確には昨年秋のことになってしまったのだけど、東中野という、普段のわたしには映画館「ポレポレ」と、元同僚の働くラーメン屋「みそや林檎堂」、それと行ったことがない友人の家くらいしか縁の無い場所で、知人の哲学研究者が仕掛けた風変わりな音楽イベントに参加した。
◆ 【都市の港】と称されたその音楽イベントは、ここ二年ばかりわたしがよくライブを聴きに行ってはパシャパシャと撮影被写体にさせてもらっている、ヒグチさんというキューバ帰りの風変わりなギター奏者及び歌手をフィーチャリングしてゆく連続企画の三回目で、風変わりなヒグチさんへ関わるあれこれについてはまた次回以にここで書く予定なのだけど、このエントリはヒグチさんとは関係がない。
◆ 10月21日のその日は、ヒグチさんの演奏が終わったあと、〈谷島誠.a.k.a 家出〉と称された初老の男性のアコギ弾き語りも、ごく短い時間だけ行われたのだった。かれは主催者である知人の父君で、わたしともヒグチさんのライブや知人宅のパーティやらで何度か面識がある人だった。
◆ 〈谷島誠.a.k.a 家出〉の演奏はごくごくオーソドックスな、つまり普通に手慣れた硬質なブルースというかフォークというか弾き語りで、音楽の全体として引っかかりや違和感や強くハッとさせる印象をわたしに与えるものではなかったのだけど、一曲だけ、【百姓が走る】というタイトルの歌は、主に〈百姓〉と〈走る〉という〈ことば〉の組み合わせの響きによって、わたしを奇妙に捉えたのだった。
◆ 10月21日のその日は、ヒグチさんの演奏が終わったあと、〈谷島誠.a.k.a 家出〉と称された初老の男性のアコギ弾き語りも、ごく短い時間だけ行われたのだった。かれは主催者である知人の父君で、わたしともヒグチさんのライブや知人宅のパーティやらで何度か面識がある人だった。
【歌われる走百姓(谷島 誠.a.k.a 家出.06)】
◆ 〈谷島誠.a.k.a 家出〉の演奏はごくごくオーソドックスな、つまり普通に手慣れた硬質なブルースというかフォークというか弾き語りで、音楽の全体として引っかかりや違和感や強くハッとさせる印象をわたしに与えるものではなかったのだけど、一曲だけ、【百姓が走る】というタイトルの歌は、主に〈百姓〉と〈走る〉という〈ことば〉の組み合わせの響きによって、わたしを奇妙に捉えたのだった。
【百姓が走る】作詞作曲:遠藤倫+(妖怪バンド)
ぼくの 思いはどこへ 踊りだす 糸を切った操り人形嫌いなものを 口に詰め込まれて お前はこれが最高さ
触れられるほどに 近くはないが ぼくは既に 戦いの中この上、この身を焼こうと ちょっと歪な入れ物 脳は進化をとげるだろうか祈っても一緒さ ゲームに夢中 負けてみて分かった お前は嘘つきさ百姓が走る 鎌を持って走る百姓が走る 鎌を持って走るこの世界の果てを見通せる望遠鏡 自分の 背中が小さく見えた百姓が走る 鎌を持って走る百姓が走る 鎌を持って走る
◆ 上の引用が走る百姓についての歌詞なのだけど、わたしが勝手に聴きとっただけなので間違っているかもしれない(気が向いたら最後の動画リンクで確認して下さい)。歌詞全体の意味としては「なめんなよ社会!」みたいな抵抗のプロテスト・ソングかしら?ぐらいしか分からないのだけど、谷島の歌う百姓は走るばかりでなく、鎌を持っているのだった。鎌を持って走る百姓、という言葉から即座にゴアとかスプラッタ映画のイメージを立ち上がらせてしまい、「いったい誰の首を狩りに行くのだろう?」とか思ってしまうわたしの発想の貧困さはどうしたことだろう。
【歌われる走百姓(谷島 誠.a.k.a 家出.11)】
◆ それにしても、百姓〈が〉走るのはなぜか?百姓〈も〉走るのではなく、百姓〈が〉走る。土方でも工員でも行員でも議員でも首相でも作家でも気違いでも誰でもなく、【百姓が走る】のだ。…とか思っていたら、いま、恐るべきGoogle検索がすぐに示唆をよこしてくれて世の中とても便利。要は、わたしたちの、日本という国の歴史の中で、百姓は常に〈走って〉いたらしかった。
走百姓(はしりひゃくしょう)【欠落】より…【藤木 久志】 近世に入っても,小百姓や隷属的な農民が,逃散に至らぬ小規模な抵抗の形態として村外,領外に逃亡することがしばしば行われた。初期の領主禁令では,このような欠落人を,多く走(はしり)百姓,走りものなどと称し,厳しい処分規定を設けている。欠落の類語に,家出,出奔,立退(たちのき),風与出(ふとで)などがあるが,中期以降は,階層,理由を問わず,これら居住地からの失踪行為全般を意味する用語として,欠落が広く使用された。…
【逃散】より…近世成立期の17世紀前半,逃散は領主に対する農民の主要な抵抗形態であった。その中には,〈走り者〉〈走百姓〉などの呼称であらわれる,隷属農民や小百姓の個別的な欠落から,大百姓が村内の小百姓や隷属農民を引き連れて村ぐるみで逃亡する集団的な逃散まで,さまざまな規模・形態のものが含まれる。このうち〈走り〉〈欠落〉などの個別的な逃亡を除外すると,逃散は単なる村からの逃亡ではなく,領主に要求を受け入れさせるための計画的な同盟罷業といった色彩をもつことが多かった。…【百姓一揆】より…この時代には組織的な武力一揆と分散的な逃散(ちようさん)とに農民闘争の形が二分されていた。小百姓層はきわめて不安定であり,多数の〈走百姓〉と呼ばれる欠落(かけおち)者がでた。大百姓の中のある部分も,大百姓に隷属する下人的農民も,領主負担を転嫁されて欠落した。…
◆ 【百姓が走る】ことは、〈一揆〉ではない、土地からの逃亡という極端なサボタージュによる支配者たちへの抵抗運動であり、それら逃散する百姓たちは〈欠落人〉、〈走百姓〉と呼ばれていた、ということ。もしくは、〈家出、出奔、立退(たちのき)、風与出(ふとで)〉などとも。
◆ 〈逃走/闘争〉、闘争すなわち逃走、「ここではないどこか」みたいな感傷的抽象論ではなく、これ以上なく具体であり、切実な行為。
◆ 〈走ること〉は〈逃げること〉…、みたいな話はとても分かりやすいのだけど、百姓たちの〈逃走〉がただの向こう見ずな、後先考え無い暴走ではなく、ときに組織的な抵抗や交渉のすべでさえあったという事実は新鮮な驚きをわたしに与えた。これ、なんか色々と地球規模で袋小路気味の21世紀でとりあえず死ぬまで生きざるを得ないわたし(たち)こそ、生きる実践として切実さを持って捉え返すべき行為ではないか!とか一瞬だけ大げさに思ったりもした。けれども、もちろん具体的にどうしろこうしろ、みたいな提案があるわけではない。
◆ あるわけではないのだけど、走百姓の歌を唄う男、「百姓が走る 鎌を持って走る」と身を振り絞って叫ぶ谷島 誠が、〈a.k.a 家出〉、つまり〈also known as 家出=またの名を家出〉でもあるのだということを思い出すとき、そこに何かヒントのようなものがある気もした。
◆ 「何かヒント」とか言っても、この歌をプレイすることが谷島 誠の〈逃走/闘争〉の実践であるなら、わたし(たち)各々も、各々が日々生きる上で直面する、各々レベルの世界/セカイの不合理に対して、各々なりに〈逃走/闘争〉的な何かを、あれこれレジスタンス的なものを試みませんか?的な、まったく安易で曖昧なことでしかないのだけど。各々なりの逃走ってなんなんだって話だし、なんか浅田彰みたいで懐かしいぞという感じなのだし、各々とか言ってる以前に、まず〈わたし〉にとってどういうものかという話なのだし、それは明らかに校舎の窓ガラス割って盗んだバイクで走りだせって話では全く無いのだし。
◆ わたしの〈逃走/闘争〉って何なのと問われれば、まずもってこのテキストを書いていることやEn-Sophを運営していることは明らかにそういうことで、写真とか現代美術とか小説とかに制作を通してコミットしていることも同じなのだけど、ただし、〈走百姓〉のような切羽詰まった、捕まれば首を落とされるのだという状況からは今のところほど遠い。
◆ ほど遠くない状況に今後わたしが追い込まれるのかどうかは分からないのだけど(できれば追い込まれたくはないのだけど)、万一追い込まれたときの為にも、今から〈逃走/闘争〉についてはもっと考えを深めたいと思っているのだった。より優れて〈走る〉為には色々と準備体操が必要なのだし、そうでなければ惨めに転ぶだけだからだ。
※ 〈谷島誠.a.k.a 家出〉氏の演奏からはまったくかけ離れたテキストになってしまっているのだけど、一応、当日の演奏風景は下記で参照可能です。
◆ 「何かヒント」とか言っても、この歌をプレイすることが谷島 誠の〈逃走/闘争〉の実践であるなら、わたし(たち)各々も、各々が日々生きる上で直面する、各々レベルの世界/セカイの不合理に対して、各々なりに〈逃走/闘争〉的な何かを、あれこれレジスタンス的なものを試みませんか?的な、まったく安易で曖昧なことでしかないのだけど。各々なりの逃走ってなんなんだって話だし、なんか浅田彰みたいで懐かしいぞという感じなのだし、各々とか言ってる以前に、まず〈わたし〉にとってどういうものかという話なのだし、それは明らかに校舎の窓ガラス割って盗んだバイクで走りだせって話では全く無いのだし。
◆ わたしの〈逃走/闘争〉って何なのと問われれば、まずもってこのテキストを書いていることやEn-Sophを運営していることは明らかにそういうことで、写真とか現代美術とか小説とかに制作を通してコミットしていることも同じなのだけど、ただし、〈走百姓〉のような切羽詰まった、捕まれば首を落とされるのだという状況からは今のところほど遠い。
◆ ほど遠くない状況に今後わたしが追い込まれるのかどうかは分からないのだけど(できれば追い込まれたくはないのだけど)、万一追い込まれたときの為にも、今から〈逃走/闘争〉についてはもっと考えを深めたいと思っているのだった。より優れて〈走る〉為には色々と準備体操が必要なのだし、そうでなければ惨めに転ぶだけだからだ。
※ 〈谷島誠.a.k.a 家出〉氏の演奏からはまったくかけ離れたテキストになってしまっているのだけど、一応、当日の演奏風景は下記で参照可能です。