転載元:大村益三【〈B術の生態系〉Bな人のBな術(2013年10月3日更新)】
終了したばかりの過去のドラマから引く。因みに先週土曜日(2013年9月28日)までの懸念材料であった「あまロス(あまちゃんロス症候群)」等と呼ばれていたもののほぼ全ては、早晩時間が解決してくれるだろう。
(黒川)お客さん あの ゼロが1個多いんですけど…。(荒巻)知っとるわ ボケ あほんだら! われ あほんだら 今 車ん中で話してた事 あほんだら 誰にも言うなよ あほんだら! おう? 大江戸タクシーの黒川正宗さんよ!(黒川)はい…。(春子ナレ)「太巻さんは パパを恫喝しました。得意の関西弁で」。(荒巻)もし あほんだら どっかに漏れたら あほんだら 己の仕業やからな あほんだら! 自分東京湾に沈められたいんか! あほんだら!あほんだら!あほんだら!あほんだら!あほんだら! よし行こうか。「あまちゃん」第95話
1959年生まれで東京都出身の荒巻太一氏(注1)が、何故に「関西弁」が「得意」なのかは判らない。「旧河内国」出身の「あほんだら教」教祖(別名「電気ポット」)氏が出演するテレビ映像に親しんでいたのかもしれないし、視聴者参加型歌手オーディション番組「君でもスターだよ」打ち切りによって「東京」で仕事を失い、一時的に「大阪府東部」で働いていたのかもしれない。兎にも角にも「得意の関西弁」という言い回しからして、それが「ネイティブ」ではなく「学習」の賜物である事が示されてはいる。「フランス語」で話す「フランス人」に対して「得意のフランス語」とは決して言わない様に。いずれにしてもこのシーンでの「東京人」荒巻太一氏は、「威嚇」を表象(注2)する未知なる「外部世界」の言葉として「関西弁」を使用し(107話、129話にも同様のシーンあり)、「東京人」黒川正宗氏は「標準語」から切り替えられた未知なる「外部世界」の「関西弁」を聞く事で、それが「威嚇」の表象である事を感じ取り、ひたすら怯えている。
参考:チャクウィキ「関西弁」 http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E5%BC%81
注1:「太巻」氏を演じた古田新太氏は兵庫県神戸市西区出身。
注2:「全国放送」の「テレビアニメ」や「少年雑誌」によって、広く全国の少年少女に共有される事になった「関西弁」の「外部世界」的な表象としては、「いなかっぺ大将」(作:川崎のぼる=大阪府大阪市出身)の主人公「風大左衛門」の「敵役」である「西一(にしはじめ)」や、「パーマン」(作:藤子・F・不二雄=富山県高岡市出身)の「パーマン4号=パーやん」といったキャラクターに見られる、金銭的なものを含む「現実主義」がある。Wikipedia の「いなかっぺ大将」登場人物の解説を引けば、「西一」は「大阪出身の痩せっぽちで眼鏡のケチで嫌味な少年。大左衛門(注:風大左衛門)とは犬猿の仲(ごくまれに共闘する)。作中は終始、首下から足先までの茶色の全身タイツのような服を着ている。松本人志は、彼の性格が大阪人のステレオタイプとして定着したと指摘する」とある。「いなかっぺ大将」のエンディングテーマには、御丁寧にも「西一のいびり節」が用意されていた。「関西」以外の少年少女は、「西一」や「パーやん」の設定を通じて「関西」という「外部世界」が日本に存在する事を知る事になる。「関西と聞いて、最初に思い浮かぶものは何ですか?」というYahoo!知恵袋での質問に「いなかっぺ大将の西一(略)自分もコテコテな感じが嫌だった」という「ベストアンサー」が寄せられてもいる。
当然の事ながら「近畿地方で用いられる方言」に於いて、 "idiot" を指す言葉は「あほんだら」で統一されている訳では無い。加えて「近畿地方」で話される言葉には「近畿方言」に含まれ難い「但馬弁」や「丹後弁」等という存在もある。「京都府京丹後市」の人間は「京都府京都市」の言葉(京都弁)を、「自分達とは全く異なる文化を持つ地方の言葉」としての「(「京都弁」を包摂する)関西弁」と認識している。即ち「京都府京丹後市」の人間は、自分達が決して「関西弁」を話している訳ではない事を自覚しているし、「京都府民」ではあっても他の地方出身者と同程度に、「ネイティブ」な「関西弁」を「学習」するのに一定以上の「努力」が必要になる。
況してや「得意の関西弁で」と手紙に記した、「近畿地方」から遥かに遠い「岩手県北三陸市(架空)」出身の人間(天野春子氏)や「首都圏」に住む荒巻太一氏や黒川正宗氏にとっての「関西弁」は、「非=シグナル」としての「ノイズ」で構成された一種の「外国語」であり、時に「あほんだら」や「われ」や「ボケ」が突出したものとなって再構成された、「イメージとしての『京阪方言』」を指していると言える。それは「ゲイシャ」や「サムライ」や「ニンジャ」や「ハラキリ」や「カラテ」や「アニメ」が突出したものとなって再構成された、「イメージとしての『日本』」と同様のものと言って差し支えないだろう。
「関西」で多用される一方で「関東」では全く使用されない言葉に「関東弁」というものがあるが、この言葉もまた「関西」では「イメージとしての『関東方言』」を指すものになる。しかし「関東」では「関東弁」の語が事実上全く使用されないのとは対象的に、「関西」では「関西弁」の語を全く使用しない訳では無く、時に「人情味のある『関西弁』」といった様な形で、半ば誇らしげにその語が使用されたりもする。それは「関西弁」という語だけではなく「関西弁」を構成する「関西」の語も同様である。「関東人」は求められるシチュエーション以外では自らの事を「関東人」とは決して言わず、それ以前に「関東人」であるとも思っていないが、「関西人」は「関西人」を自称したりもする。「関東経済」や「関東財界」は存在しないが、「関西経済」や「関西財界」は実体的に存在する。「関東国際空港」という名称は100%あり得ないが、「関西国際空港」は現実に存在する。JOAK(NHK放送センター)のスポットCMに「関東たっぷり」が流される事は永遠に無いだろうが、JOBK(NHK大阪放送局:放送対象地域=大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県の二府四県)のスポットCMでは「関西たっぷり」が繰り返されている。但しそれは「関西こってり」や「関西ぎょうさん」である以前に、「近畿たっぷり」や「上方たっぷり」ではない。何故にJOBKは「関西たっぷり」という言い方に落ち着かせているのだろうか。
かんさい 【関西】① 東京地方を関東というのに対して,京阪神地方。② 逢坂(おうさか)の関より西の諸国。③ 鎌倉時代以後,鈴鹿(すずか)不破(ふわ)愛発(あらち)の三関所より西の諸国。山城大和河内摂津和泉の畿内五国と近江伊賀および山陰山陽南海西海の諸道の総称。④ 箱根の関所より西の諸国。スーパー大辞林
現在使用される「大阪を中心に見据えた京阪神とその周辺地域」という意味での「関西」という語の成立はそれ程古いものでは無い。寧ろ「関東」の成立の方が遥かに先である。それは「『朝廷』が存在している場所」という意味で「日本の中心」とされた「畿内地方」を防衛する為に置かれた「関」=「東海道鈴鹿関(三重県亀山市)」「東山道不破関(岐阜県不破郡)」「北陸道愛発関(福井県敦賀市)」の三関から東を「関東(東国)」と呼んだ事に始まるとされる。やがて「愛発関」に代わって「近江国逢坂関(滋賀県大津市)」が置かれると、「逢坂関」以東が「関東」になる。従って「関東」は特定の地域名を示すものであるというよりは、事実上の国境である「関」以東の、「朝廷」の政治的影響力が行使不可能なエリアとしての「外部世界」の意味を持つ。この「関東」の持つ意を汲む形で英訳すれば、それは "Asia" になるかもしれない。「世界の唯一の中心」とされる「ヨーロッパ」から見て東の方角にある広大な「外部世界」が "Asia" であり、「日本の唯一の中心」とされる「朝廷」から見て東の方角にある広大な「外部世界」が「関東」である。従って現在の「関東」と当時の「関東」は異なるものである。

「国際連合」による "Asia" の定義
http://unstats.un.org/unsd/methods/m49/m49regin.htm
12世紀後半に「日本の中心」は複数化する。唯一の「中心」とされていた「朝廷」の「外部世界」であった「関東」に鎌倉幕府が成立し、鎌倉幕府と幕府の統治下にあった三河国、信濃国、越後国以東の諸国という実体的な形を伴って「関東」が再定義される。力を持った「関東」の出現に対抗する形で、実体的な「関西」という言葉が誕生する。
先平東夷之後 可至關西云々(先ずは東国の武士を平定してから、関西に向かうべき云々)治承四年(1180年)十月以關西三十八箇國地頭職 被奉讓舎弟千幡君 以關東二十八箇國地頭并惣守護職 被充御長子一幡君(関西三十八ヶ国の地頭職を弟の千幡君に譲られ、関東二十八ヶ国の地頭職と総守護職を長男の一幡君に充てられた)建仁三年(1203年)八月「吾妻鏡」
17世紀初頭に幕府が置かれた江戸を中心とする「関八州」が「関東」と認識されると、その対抗上の概念として、京都・大坂を中心とする「上方」諸国が「関西」であると認識し直される。但し「関西」は「関八州」から始まる「関東」と異なり多分に心理的なものであり、その範囲は現在に至るも地理的に固定化されていない。いずれにしても「関西」という言葉は、「上方」同様「関東」への対抗概念として成立した言葉である。従って「関東」が力を持ち続けている限りに於いて意味を持ち、「関西」の語が存在し続けるには強力な「関東」の存在が不可欠である。しかし「関東」に於いて「関東」という語は、「関西」での「関西」という語程には一般的に用いられていない。ではそこが「関東」でないとしたら一体「何処」なのであろうか。
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国際連合の「国連経済社会局人口部(Department of Economic and Social Affairs Population Division)」による調査報告 "World Urbanization Prospects, the 2011 Revision(世界都市化予測:2011年版)" による "Urban agglomeration(都市的集積地域)" の2011年世界ランキングはこうなっている。
1 Tokyo 37.22 Delhi 22.73 Ciudad de México (Mexico City) 20.44 New York-Newark 20.45 Shanghai 20.26 São Paulo 19.97 Mumbai (Bombay) 19.78 Beijing 15.69 Dhaka 15.410 Kolkata (Calcutta) 14.411 Karachi 13.912 Buenos Aires 13.513 Los Angeles-Long Beach-Santa Ana 13.414 Rio de Janeiro 12.015 Manila 11.916 Moskva (Moscow) 11.617 Osaka-Kobe 11.518 Istanbul 11.319 Lagos 11.220 Al-Qahirah (Cairo) 11.221 Guangzhou, Guangdong 10.822 Shenzhen 10.623 Paris 10.624 Chongqing 10.025 Jakarta 9.826 Seoul 9.727 Chicago 9.728 Wuhan 9.229 Lima 9.130 London 9.0数字(左)は順位。数字(右)は人口(百万人単位)を表す。
堂々の世界一は、2位の"Delhi"(「デリー」=インド)を大きく引き離して"Tokyo"の「3,720万人」である。他の日本の"Urban agglomeration"としては、「1,150万人」の"Osaka-Kobe"が17位に入っている。この調査では "Osaka-Kobe" に "Kyoto" は含まれていない。
1975年の同じ調査では、首位の "Tokyo"(「2,660万人」)は変わっていないが、 "Osaka-Kobe" は「980万人」 で世界4位の位置にあった。"Osaka-Kobe" は、36年間で「980万人→1,150万人」の「170万人増」である。一方の "Tokyo" は、36年間で「2,660万人→3,720万人」の「1,060万人増」である。即ちその短い期間で、 "Tokyo" に "Osaka-Kobe" 一個分が加わったという事だ。国連同局による今から12年後(2025年)の人口予測は、"Delhi" に脅かされつつも「150万人増」の "Tokyo" が依然として世界一であり、一方 "Osaka-Kobe" は29位に後退している。
別の調査でも "Tokyo" の "Megacity" 振りは際立っており、”Demographia”でも2位の "Jakarta"(2,200万人)を大きく引き離して「3,520万人」でトップ(同調査では、"Osaka-Kobe-Kyoto" が「1,700万人」で12位、"Nagoya" が「1,002万5千人」で26位)であり、 "Thomas Brinkhoff" では "Tokyo" は「3,470万人」で、やはりダントツのトップである( 2位は "Canton(広州)" の「2,640万人」。"Osaka (incl. Kobe, Kyoto)" は「1,680万人」で15位、"Nagoya" は「845万人」で40位)。
勿論直ちに気付くと思われるが、この "Tokyo" は「東京都」を意味していない。「東京都」の現在の人口は「1,323万人(2013年4月1日)」である。残りの「2,000万人」強は、「国連経済社会局人口部」による調査の場合は、横浜市、川崎市、千葉市を含めた周辺87都市のものであり、"Demographia" では、"Includes large areas Tokyo, Kanagawa, Chiba and Saitama prefectures and smaller areas of Gunma, Tochigi and Ibaraki prefectures" である。即ち神奈川県にしても、千葉県にしても、埼玉県にしても、その他関東地方の主要各都市にしても、海外の都市アナリストからすれば、全て一つの巨大都市 "Tokyo" の一部であり、言わば「関東」の多くの都市が ”Tokyo” に含まれる。その "Tokyo" に住む3千数百万人は、最大見積で日本総人口の29%前後である。日本人の約3割("National Capital Region" を "Greater Tokyo Area"とした場合は4割)が「東京人」であるというのも、十分以上に戦慄に値するところだ。
だからこそ「千葉県浦安市」に立地している「東京ディズニーランド」や、「千葉県成田市」に立地している「新東京国際空港(旧称、但し "NRT" や "RJAA" では "Tokyo" 或いは "Tokyo(Narita)" )」や、「千葉県袖ケ浦市」に立地している「東京ドイツ村」等の名称は全く不合理なものでは無い。戦後の早い段階で国連の都市アナリストは "Tokyo" をその様な存在として捉えたが故に、日本が国連に加盟する1年前の1955年に、 "Tokyo" は "New York" を抜いて「世界一」の規模を持つ「都市」になったとされた。以後「世界一」の座に "Tokyo" は居続けている。
「関西」から見ている「関東」は、都市的集積地域名 "Osaka-Kobe (incl. Kyoto)" (注3)を擁する「関西」の3倍(乃至2倍)の人口を持つ「単一の都市」である "Tokyo" を指している事になる。即ちここから見えて来るのは「関西/関東」という対立軸ではなく、実質的な「関西/東京」である。但しこの対立軸は専ら「関西」の側から設定されるものだ。現実的に言って「東京」側からはそうした対立軸は積極的には設定されない。
注3:海外の各調査では、都市的集積地域名を "Osaka-Kobe" 或いは "Osaka-Kobe-Kyoto" としているが、一方で "Kobe" と "Kyoto" を引っ括めて、それを ”Osaka" としているところもある。"Kanagawa" や "Chiba" や "Saitama" は "Tokyo" に含まれる事を寧ろ大歓迎するだろうが、果たして "Kobe" や "Kyoto" は "Osaka" とされる事を歓迎するだろうか。兎にも角にも "Megacity" になる最大の条件は、周辺各都市の住民をして積極的に「吸収されたい」と思わせる事には違いない。
嘗て「関東」という言葉は「畿内」からの「侮蔑語」であった。その後「畿内」は「関東」の対立項としての相対的存在である「関西」として再定義された。そして現在「関東」の大部分が "Tokyo" に置き換えられている。嘗ての「畿内」が「日本の中心」とされていた為に「関西」という言葉自体を必要とせず、その「外部世界」をのみ「関東」と呼んでいた様に、現在は "Tokyo" が「日本の中心」とされている為に、"Tokyo" は「関東」という「関西」から一方的に与えられた経緯を持つ言葉を最早必要とはしていない。こうして "Tokyo" は長年の「関西」による「呪い」を脱する。後に残ったのは、実質的なターゲットとしての「関東」が不在な中で、思念的なターゲットとしての「関東」のみに対称性を有し、結果的に宙吊りになってしまった「関西」という言葉だけである。
果たして「関西」に代わる言葉は無いのだろうか。それは現実的に存在する両者の非対称性から逃れる切っ掛けになる様な気がする。即ち無意味な「関西/東京」という対称性からの離脱である。
著者(大村益三) Twilog→http://twilog.org/omuraji美術家。1979年に発表活動を始める。このブログは某SNSに書き溜めた物の自選集としてスタートしたが、リアルタイムなブログとしてリスタートする事にした。「B術」とはまた一般的には「美術」とも呼ばれる。