ポスドク、アカハラ、ワープア、ネオリベ…。既にステレオタイプ化してしまった諸々の前提を確認する必要はもうないだろう。一言、大学は現在危機的だ、といえばいい。そして、もし、二の句として次ぐべきことがあるとしたら、「廃墟と化した大学を嘆くことではなく、廃墟のあとに、いかなる未来図を描くのか」、これで十分だ(藤田尚志「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」、西山雄二編『哲学と大学』收、未来社、2009)。嘆き悲しみ、他人のせいにするのはもうコリゴリだ。今から始めようとする私の拙い書き物は、この未来図のためのささやかな測量データを提供することを目指している。
未来を構想するためには、過去から学ぶ必要がある。或いは、一度も経験したことのない過去とは、現在生きる人間にとってそれ自体で既に未来的ではないだろうか? 「在野研究のススメ」、本連載は、かつて(多く陰ながら)活躍した在野研究者たちが、如何にして大学という場所に属さず野にあって知的営為を続け、それを発表してきたか、その調査と、調査に基づいた若干の考察をレポートにまとめることを目的とする。大学に属さずに研究を続けてきた過去の名だたる在野研究者は、どんな気持ちでどんな生活を送っていたのか、それは今日でも役立ちうるものなのか、不可能ならばそれは何故なのか、在野研究の条件とは何なのか。時代と文化と環境に拘束された伝記的諸事実を収集しながら、暗がりのなか、その答え(らしきもの)を模索していきたい。
しかし、そもそも在野研究とは何なのか。例えば、在野研究者がアカデミシャンとは異なるとしても、では評論家とは違うのか。作家とは違うのか。活動家とは違うのか。
大事な前提はここだ。いささか恣意的だが、本連載では以下の四つの条件に適合した者を在野研究者と見做し、レポート作成に努めようと思う。先取りするならば、この限定は独断的であり、別様の枠組みを設ければ、もっと沢山(或いは、もっと少なく)在野研究者としてカウントすることができるだろう。或いは、一般には評論家として名指されている者も、条件に適合しているという理由で取り扱うこともある。以下は極めて主観的に定められた条件だということを強調しておきたい。
第一の条件は、1810年以降から21世紀現在に至るまでで活躍した研究者を扱う、ということ。1810年とはベルリン大学の創設年であり、一般に、「研究と教育の統一」によって特徴づけられるフンボルト理念に叶った最初の「近代」大学が、ベルリン大学だとされている。学問academyの語源を遡れば、もちろんギリシャ時代のアカデメイアまで立ち返ることもできるが、そこまでは行かない。国家権力や世俗的有用性から独立した近代的大学が創出した特別な空間の外部として、在野なるものを先ず第一に考えたい。
第二の条件は、主たる収入を大学から得ていない、ということ。大学に属するといっても、教授と准教授と客員教授と非常勤講師との所属の度合いは当然それぞれ異なっている。「在野研究のススメ」では、生活の糧を主としてどこから得ているかという視点を重要視した。金と研究、という事柄そのものが在野研究の重要かつ切実なテーマであり、大学以外で如何に金を調達していたのかという点を焦点化したいと思ったからだ。それ故、数年間大学の講師をしても、或いは大学にて何度も講演をしても、在野としてカウントする場合がある。
第三の条件は、文章に論文的形式性がある、ということ。例えば、註や引用や参考文献表などの既存論文にある形式性が一定程度認められるものを在野研究の業績として考え、小説や随筆などの創作物や(所謂)政治的文書は除外する。ただし、これは厳密に適用しない。所謂「形式」が整っていなくとも、重要な知見はありうるからだ。創作物を除けることを主眼にしつつ、その他のものはケース・バイ・ケースで柔軟に考える。
第四の条件は、故人を取り扱う、ということ。勿論、現在も多くの在野研究者が活躍している。現在進行形に関する興味もないではないが、ここではある伝記的事実がその知的生活にどんな意味をもっていたのかを考えたい。その意味を考えるには、一度終了した生(=全体像が確定した生)が格好の対象だろう。
あと、これは副次的なものだが、取り扱う研究者は理系よりも文系に、また外国人よりも日本人に偏るだろうことを事前に予告しておく。これは単に日本近代文学が専門の筆者(荒木)の適性の問題に関係している。また、在野としての生にスポットライトを当てたいため、その研究者の業績全体をフォローアップする訳ではない。編集的な眼差しから生を選りぬくことを躊躇わない。ものによっては筆者の手に余る研究分野であることもあるだろうが、あくまで「大学の外」という場所に力点を置いて当該の対象を眺める。
ありうる批判に対して先回りして応えておくならば、在野の研究生活を調べるといっても、その裏で、大学人がダメだとか、大学はもう終わりだ、などと言いたい訳では別にない。野球少年はみなメジャーリーグに行けばいいし、女の子はみんなAKBになればいいし、院生はみな専任教授になればいい。もしそう望むのであるなら、私もまたそれを望んでいる。明らかに大学は終わらない。ここで書かれることは、比喩的にいえば野球好きの魚屋の親父が毎週土曜にやる草野球大会をどうやって計画するのか、どうしたら凡庸なOLがミニライブハウスの一日アイドルになれるのか、といった程度のことだ。在野研究とはアカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなくオルタナティブ(選択肢)である。少なくとも今の私はそう考えている。
もう一つ、在野研究と銘打ちながら、あの研究者この研究者に触れないのはおかしい、といった批判もあるかもしれない。上記に記した主観的条件故に、それは如何にもありそうなことだ。その場合、私宛に直接連絡して欲しい(Twitterのアカウントは@arishima_takeo、メールはarishima0takeo+gmail.com)。前向きに検討する。
さて、長ったらしい注意書きはもう十分だろう。現時点での私の理解では、トライ&エラーこそが在野という場所で獲られる最も力強い武器であり、「なりたい」よりも「やりたい」が先行するのが在野研究者の第一の資質である。御託はいい、端的にやるべし。第一回は全共闘世代の在野哲学者・小阪修平にフォーカスする。
※このエントリは単行本『これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得』(東京書籍、2016年) に加筆修正されたかたちで所収されたました。