フランスの美術大学で学部3年目の終わりに受ける試験Diplome National Art Plastiqueは、訳すると「国家造形資格」。日本でいう学士卒業に相当する。DNAPの合否を審査するのは学内の教員だけではない。政府から指名派遣された人間が来校し担当にあたる。いっぽう、受験資格は学生側に前もって言い渡される。受験を受けるのにこれまでの作品発表などが吟味され、一定のレベルに達していないと判断されれば、たとえ単位や成績に問題がなくても受験資格が与えられない。また受験資格は取得しても、作品の方向性が学校で扱っている分野とかみ合わない、学校にいても意味がないとされた場合は、たとえ試験に合格しても修士として翌年から同じ学校に在籍することができない学生もいる。そしてこれらの判断はいかなる場合にも覆されることはない。
 

6月のおわりから、試験は一週間かけて行われた。スケジュールはこの日のためにきちんと練られており、学生は数ヶ月前から使用教室、作品の設置解体にかかる時間、都合の悪い曜日と時間などを学年主任に申し出る。それらによって当日の発表にかち合いが起こらないように予定が組まれている。学生1人につき約30分(発表20分、審査10分)が割り当てられ、午前中に3人、午後に4-5人が通過することになる。また発表は一般公開、少人数だけに見せるのか、或いは部外者完全出入り禁止の状態で行うのかを、受験者本人が選ぶことができる。

成績は20点満点という方式が用いられる。これはフランスの学校教育のメジャーな採点方法で、試験によって合否が左右される場合、半分の10点以上が合格、さらに秀でる部分があった場合そこから加点されていく。

9点以下がnon admis(e)、10-15点が admis(e)、16-17が mention、18-20がfelicitationとなる。「不可」、「可」、「良」、「優」のような感じだ。

結果発表は即日で、一人ずつ審査員から直接言い渡される。作品や発表形式の細かい批評なども同時に聞くことになる。入学してからどのように成長していったのか、作品同士の関連性、理論付け、などがきちんと見えているかどうかが評価の対象となる。また全員の結果が学内のホールに張り出され、合否とともに短い批評がつけられたのを全校生徒にも知らせる形で発表する。

DNAPの週の1日目。ラウンジに集合した学生に審査員が紹介された。ジュディット・カンテルというブルターニュ地方にあるボザールの学長、また美術史家、学芸員でもある人物と、造形作家のサミー・エングラマーが来校した。おなじみの学年主任も含めたなごやかな雰囲気で、話は5分程度で終了した。

「プレッシャーを与えに来たわけじゃないですから大丈夫ですよ。」
「私たちも何か新しいことを学びたいと思っていますから、それを伝えるような感じで試験に臨んでください。」

こんな風に言われて皆ほっとした様子だった。
しかしこれがちょっと曲者だったということが徐々に分かってくる。

今年DNAPを受験した学生は40名。
そのうちfelicitationを獲得したのは7名、mentionは15名、単純合格は16名、不合格者は1名だった。この1名の不合格は「まさか」と思われる人物で、その子の作品発表は何度か目にする機会があったが、よりによって不合格にされるようなものとは思えないような仕事をしていたのを覚えている。

その子の試験現場にはいなかったので詳しい経緯はしらないが、審査員に対して、

「作品そのものをちっとも見てくれない」
「参考作家や作品を聞き出すだけでそれが無ければ点数をくれない」
「型にはまりすぎている」

といった批判の声を、学生や教員から耳にした。
また20分というごく限られた時間の発表で一体何が分かるのだという憤慨する者もいた。

3年間あるいは5年間学生と接し、彼らがどのように成長し、どんな作品を作ってきたかを見ている教授が主となるのではなく、外部からやってきた審査員がものの20-30分でディプロマ授与・不授与を決定してしまうというシステムには賛否両論がある。学生側にしてみても、極端に言えば、単に試験に合格したいだけなら学校生活をどうすごそうと関係なく、うまくプレゼンする方法だけを考えればいいことになるし、それだけの要領を得ている学生は存在する。また審査員の判定にもバラツキがあり、年によっては不合格者が続出したり、逆に高得点ばかりが与えられている年度もあった。

私の発表については、事前に十分準備したつもりであったがやはり当日は緊張した。発表しながらも説明しなければ時間がどんどん過ぎてしまうので、一生懸命しゃべろうとするのだが、話しているうちに色々質問されて、答えようとしたら色々言われ、焦り、焦るとさらにしゃべりがやばくなるという悪循環。それでも一番大事と考えていた部分はどうにかこうにか伝えられた。念のため持参していた過去の作品資料やメモ、クロッキー帳なども目を通され、判断材料にされたようだった。幸い「作品の成長と根拠付けに加点」という理由でmentionを獲得することができた。また、他の学生の発表も時間が許す限りなるべく見学するようにしていたが、仲間のそれぞれがしてきたことの集大成を発表していくのを見ることが出来、それはとても嬉しいことだった。

限られた時間のなかで制作やバックグラウンドなど様々な側面をどれだけ効率よく把握してもらえるかが合否のポイントであるという意味では、卒業試験も入試とあまり変わらないという印象だった。試験はほんの数十分だったが、準備のために作品について考えを整理したり、文献に当たったり、色んな人に見せて話を聞いて思考を深めることができたのは贅沢な時間であったし、そのきっかけとして試験があったのだとすれば、結果はどうあれとても良い体験が出来たと思える。

(続かない)