最近、『中河与一全集』(全12巻、角川書店、1966~1967)を捲る機会が多い。小説『天の夕顔』の一発屋としてのみ知られる、この不遇な作家について、いつか本格的に研究してみたいと思っているのだが、しかし、ここで語りたいのは中河についてのことではない。語ってみたいのは文学全集のこと、「全集」という概念成立の条件についてだ。 

 実は、『中河与一全集』は所謂全集ではない。というのも、全集制作の時期には未だ中河は存命しており、例えば、全集刊行以後の長篇小説『雪に飛ぶ鳥』(1971)や自叙伝『天の夕顔前後』(1986・6)などは当然所収されなかった。このような抜けたテクストがある「全集」は、全集と名のつく書物にはしばしば生じることで、例えば『里見弴全集』(全10巻、筑摩書房、1977~1979)なども里見の全てのテクストをカバーしている訳ではない。実はそれらは選集に等しいのだ。

 しかしそれは次の問題に比べれば些細なことかもしれない。つまり、生前中に刊行された全集故に、『中河与一全集』には作者中河による編集の手が数多く介入しており、かつて雑誌や単行本で発表した小説、評論、エッセイの語句は微妙に加筆修正を加えられ、場合によっては削除されてしまった箇所もある。或いは題名が改変されてしまったテクストも存在している。たとえ作者自身の手によってであれ、このような改変は歴史的資料価値を著しく損ねる行為と言わざるをえない。とりわけ文学研究にとっては、同時代的言説との影響/被影響の関係が論題に上がることが少なくなく、この場合、事後に改変されたテクストを使って研究を進めることはできない。

 中河は作者という特権的な力を行使することで、歴史的な自己を殺してしまっている。修正主義revisionismが生じるのはナチスや南京についての記憶だけではない。それは至るところに、ミクロなレヴェルで生じるものだ。

 しかしながら、翻って気づかされるのは、選集とは異なる「全集」とは、往々にして、作者の権能が完全に無化した状態、即ち作者が死んだ後で制作されるものだ、という(よくよく考えてみれば)驚くべき事実だ。全集は或る作家の「全て」を書き記そうとする欲望に貫かれている。それ故に、全集は公刊された小説や評論だけでなく、雑稿、未定稿、メモ、そして最もプライベートな日記や書簡のようなテクストさえも、その多くは本人の同意なしに(遺族をその代わりとして)、所収しようとする。パブリックには芸術的詩的な文言を操る作家が、プライベートな文面だと意外な表情をしばしばみせることは、全集を捲ったことのある読者ならば少なからず経験したことがあるだろう。全集編集委員は作家のプライバシーを踏みにじることで、秘められた作家固有の「私」を明らかにし、その対象を永続的に保存しようとする。いやいや、その努力の果てには、完全無欠の本当の作家が私たち読者を待っているのだから、とまるでいわんばかりに。待っている、未来で待っている、既に過去に死んでしまった者が未来で待っている。一体、お前はどんな顔をしているのか? お前は私の知っているお前なのだろうか?

 ある作家が死んでしまっているのに、「本当の作家像」や「隠された作家の一面」への欲望は消えない。しかも、それはしばしば何の関係もない、他者によって欲望される。いや、或いは、作家が死んだからこそ、完全無欠の何物も隠していない赤裸の真の作家像が欲望されるというべきかもしれない。古い文学研究の価値観に従えば、生存中の作家を研究対象として取り扱うべきではない。例えば現在の例でいえば、大江健三郎や村上春樹を研究すべきではない。ある時点で表明された作家の思考が、それ以後、別の機会に修正や撤回を被る可能性があるからだ。研究とは確定された思考だけを扱うべきなのである。ならば、作家の身体の終焉に伴い、作家著名のテクストの更新も終わり、テクストに限界が設けられれば、有限の(=閉ざされた)作家像を構築することが可能なはずだ。こうして作者さえも意識しなかったような全的作者像の夢が他者に生じる。

 全集がその作家個人の「全て」を網羅すると主張するならば、全集は作家を超えて作家の「私」のコアを、アイデンティティのコアを仮構(いや、創出とすべきか?)する営みであるといえるだろう。全集とは「私」のデータベースである、とでもいおうか。しかし、それを構築するのは他者であることを忘れてはならない。代え難い「私」の中枢中核を構成するのは、見ず知らずの他者なのだ。他者が「私」を決めてくれる。他者が「私」の境界線を画定してくれる。私も知らない未来の「私」の姿を他者が決める。そして「私」が転生する。

 他者が決定権をもっていること、それは言い換えれば、あるテクストがある個人にとって不可欠(固有)だと判断し、別のテクストはその人にとって不必要(非本質)だと判断する、そんなテクスト選別の(丁度、中河がもっていたような)権能を授かっているということだ。しかし、受け継がれた権能のその正当的な使用の範囲は誰がどのように判断すればいいのだろうか。故人を裏切ってはいけない。が、全的作者とは故人さえも知らなかった故人像ではなかったか。大げさにいえば、その時、故人と全的作者に一体どんな関係があるというのか。ミシェル・フーコーは次のように述べている。
 

「全集ないし全作品が構成される際には必ず、正当化することも言述することさえも容易でないいくつかの選択がなされる。作者によって出版されたテクストに、彼が印刷にまわそうと考えていたテクスト、彼の死によってのみ未完成のままにとどまっていたテクストを加えれば十分なのか。書物の下書き、最初の計画、訂正、削除された箇所も、やはりすべてそこに含めなければならないのか。捨て去られた構想も加えなければならないのか。そして、書簡、覚書、報告された会話、聴講者によって書き写された言葉に対して、つまり、一人の故人の死に際して、彼の周りに残され、際限のない交錯のなかでかくもさまざまな言葉を語る言語的痕跡の巨大なひしめきに対して、いかなる地位を与えればよいのか」(『知の考古学』、槙改康之訳、河出文庫、2012、48‐49p)
 
 
 「言語的痕跡の巨大なひしめき」は、彼自身に内属しているのだろうか? 彼の固有性の一覧表に「ひしめき」を整理して分類してやるべきだろうか? 全ては、「全て」を欲する他者に任された。けれども、その企ては容易に察知することができるように、実際には不可能な企てと言わざるを得ない。というのも、単純に一個人がその生涯で発した「言語的痕跡」を網羅することはできないからだ。3歳のとき落書き帳に書いたみみずのようなあの文字(のような絵)、わら半紙に試し書きされた三桁の割り算、ある朝に母親に「おはよう」と言い、次の日の朝には何も言わなかったといった瑣末な言葉の使用を、一体誰が記録しているというのか。

 或いは、その記録が何らかの技術の発明によって完全に可能になったとしても、依然、どこまでが故人に固有の内属的テクストなのかを疑問なしに決定することはできない。通信簿、追悼文、雑誌の切り抜き帳を作家の全集に収めるべきなのか。近い未来、例えば東浩紀全集には極めてプライベートな愛娘を溺愛するTwitterのツイート(つぶやき)が載っているのだろうか? もし載ることになったならば、彼が大量に行っている自著宣伝用の転送(リィツイート)が全集に載るべきかどうかで議論が起こっているかもしれない。

 全集は「全て」の欲望に貫かれている。しかしジャック・ラカンが述べていたように、「全て=全体le toutは存在しない」のである(「ラジオフォニー」、『ディスクール』收、弘文堂、1985)。無論、だからといって全集的営みが無為だということはできない。別の角度からみれば、全集の意志によって、作家は自身の「全て」という不可能事、一種の災厄を、他者が受け止めてくれる限りで、やっと手放すことができるからだ。ここに全集の倫理が宿る。

 網羅的なアイデンティティ、完全無欠の「自分らしさ」など面倒なもの一切合切は、他者を信頼し他者に任せておけばいい。あとは勝手に、他者が限界を与えてくれるだろう。こうして受け継がれた「全て」は別の他者に受け継がれ、そのサイクルが延々に繰り返される。全ての他者が「全て」を他者にバトンする。もしかすると、全集そのものが「巨大なひしめき」の一部だったのかもしれない……人類の? ともかくも、全集の概念の本質とは終わりという衣を借りた、終わらなさにあるだろう。全集の片付かなさ、そう、あのボリュームと重みも含めた、あの片付かなさ、それは「私」の後に誰かが生きるという人間的条件に等しい、survie(生存=あの世)の片付かなさと同根なのである。