「わたしたちはこれまで、純粋な知性の国を遍歴し、この国土のあらゆる場所を詳細に観察するだけでなく、細かに測量し、あらゆる事物にふさわしい場所を確認してきた。しかしこの国はいわば〈島Insel〉であり、自然によって定められた不変の境界unveränderliche Grenzenに囲まれている。この国は〈真理の国〉であり(魅惑的な呼び名ではある)、騒ぎ立つ広い大洋weiten und stürmischen Ozeaneに囲まれているのである。この大洋は仮象のほんらいの住みかであり、多数の霧峰が広がり、すぐに溶け去る多数の氷山が聳えているために、まるで新しい国がそこに存在しているかのようにみえる。そして新たな土地を発見しようとさまよいつづけている船人たちにたえず空しい希望を抱かせ、新たな冒険を求める航海へと誘いこむ。船人たちはこの希望を断念することも、その希望を実現することもできずにいるのである」(『純粋理性批判』(第三巻)、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2010、295p)

Wir haben jetzt das Land des reinen Verstandes nicht allein durchreist, und jeden Teil davon sorgfältig in Augenschein genommen, sondern es auch durchmessen, und jedem Dinge auf demselben seine Stelle bestimmt. Dieses Land aber ist eine Insel, und durch die Natur selbst in unveränderliche Grenzen eingeschlossen. Es ist das Land der Wahrheit (ein reizender Name), umgeben von einem weiten und stürmischen Ozeane, dem eigentlichen Sitze des Scheins, wo manche Nebelbank, und manches bald wegschmelzende Eis neue Länder lügt, und indem es den auf Entdeckungen herumschwärmenden Seefahrer unaufhörlich mit leeren Hoffnungen täuscht, ihn in Abenteuer verflechtet, von denen er niemals ablassen und sie doch auch niemals zu Ende bringen kann.
 

 
 比喩的にいえば、イマヌエル・カントという哲学者は、禁欲的なまでに海辺に広がる砂浜を踏み鳴らしていた思想家だった。踏み鳴らし、砂と砂とが擦れる音を聴きながら、彼はきっと憧れの青い海に浮かぶ白い船を羨ましそうに毎日延々と眺めていた。そして定刻になると彼は足裏の砂をちゃんと払って、とぼとぼと自宅へ帰っていった。決して泳げなかったわけではない。静かな海を眺めながら、心中、彼は戦いていたのだ。凪は海の様態の一つでしかない。凪は時化という対をなすもう一つの様態を予告している。
 

 時化、海が荒れることとは、トキカすること、時に成ることだ。ならば、まるで凪いだ海は、時間の流れない、いや、時間という観念の外で広がる永遠そのもののようではないか。「「永遠」においては何も起きないのである。何かが起こるのは、時間がつづいているからだ」(「万物の終焉」)。然り。永遠eternityと永続性sempiternityは違う。永続性とは、中世スコラ哲学において、果てしなく続く、という意味の言葉で、永遠とは時間の外にあること、時間とは関係ないものを示す。凪の海は、永遠を思わせる。そのくせ、凪は時化へと転化するのだ。


 もし世界の始まりに永遠だけがあったのだとしたら、時間はどうやって生まれてきたのだろうか。海はなぜ荒れてしまうのか。シェリングは、始源的なカオティックな場所を、(つまりはプラトンのいう「コーラ」を)「波立ち沸きかえる海原wogend wallend Meer」と呼んだ(『人間的自由の条件』)。「騒ぎ立つ広い大洋」が再来する。混沌(カオス)から宇宙(コスモス)が生まれた。しかし無秩序からどうやって秩序が出てくるのか。或いは、完璧にみえた秩序がどうして無秩序へ解体されてしまうのか。カントは凪いだ海も時化た海も好きだったけれど、条件不明なその交替劇に畏怖したのだ。



「わたしたちはこの経験の〈岸〉を離れることはできないのであり、ここを離れたならば、岸のない大洋へ漕ぎだすことになる。この大洋はわたしたちをつねに空しい展望で欺くのであり、わたしたちはさまざまな退屈で困難な仕事に赴くのであるが、望みのないものとして、放棄せざるをえなくなるのである」(『純粋理性批判』初版(第四巻)、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2011、238p)
 


 カントはいつも行く岸辺のことを「経験」と、そして目の前に広がる大洋のことを「理性」と名づけた。大洋は、経験の岸辺を超えよと命令してくる。経験では知れないこと、例えば神がいるのかいないのかだとか、世界には始まりがあるのかないのかといったことを、航海に出れば教えてくれる、と誘惑するのだ。知りたい、もっと、知りたい。海はファウスト的衝動に貫かれている。ファウストの最後の仕事が海を制圧することだったことを想起せよ。「横暴な海を岸辺から放逐し、広大な海の領分を狭くして、海を遠いかなたへ押し戻そうという、そういうすばらしい事業を興そうというのだ」(『ファウスト』第二部第四幕)。然り、彼は自分自身と戦ったのだ。


 限界を超えよ、これが理性の下す命令だ。限界を超えるな、これがカントの下した命令だ。しかし、単に限界の内に留まることは簡単だ。家のなかでくつろいでいればいい。経験の岸辺で理性の大海を目の前にするとき、初めて、海の魅力とその恐ろしさを理解することができる。超越的と超越論的の違いは、岸辺なき海と海の岸辺の違いに対応している。海を制覇することはできない。しかし海を制覇することはできない、と知ることはできる。それには毎日毎日、海の気まぐれな急変を前にして己の無力を痛感することから始めなくてはいけない。ハイデガーはきっと、カントがよく訪れていた岸辺に自前の海の家を建て、そこに住み込んでいたのだ。


 カントの子孫に西田幾多郎という男がいた。「私は海を愛する、何か無限なものが動いているように思うのである」(「鎌倉雑詠」)。しかし無限の無限感は、有限の岸辺が基準とならねば会得することはできない。経験の曲線を描き、人間知性のゾーンを示す岸辺に留まらなければ愛は生じて来ない。ハイデガーがそうであったように西田も遠いカント爺さんに倣ったのだ。そして海への愛は海そのもののを模倣するように、絶えることなく動き続ける。西田に学び、更にはドイツにて直接ハイデガーに師事していた九鬼周造が「波、波2、波3、波4、波5、……波n+1。見渡す限り波また波。無限の重畳そのものがとてもすばらしい」(「青海波」)と書けたのは決して偶然ではない。


 カントはずっと海を愛していたけれど、自ら航海に出ることを戒めていた。見渡す限り海しか見えない光景を恐れていたからだ。「消滅せず、亡び去らず、残されるものは、すべて世界に対する悪なんだ。終末のないもの、果てのないもの、たとえば、海だけで出来た、一切の陸地のない、満量の海に充たされた星、そういったものは悪なんだよ」(金井美恵子『岸辺のない海』)。カントがこんなことを言っても決しておかしくはない。何故なら、カントが愛した海は岸辺から眺める海だったからだ。実際、彼は出身地のケーニスベルクから外へ旅行することが終生なかった。そう、まるでドゥルーズのように。取り上げた近代哲学者たちの中ではカントにもっとも厳しい批判の矛先を向けた、あの優れた哲学史家のように。しかし、カントはそれで満足していた。何故ならケーニスベルクは港町であり、その地で待っていれば、様々な国の船舶やそれが積んできた多種多様な舶来品を拝むことができたからだ(『人間学』)。この地理的条件が彼の国際感覚、コスモポリタニズムを養ったことは間違いない。思えば、彼は初期の頃から「国境に囲まれた領土」の実情をわきまえ、いたずらに「領土拡大」を図るな、とアドバイスしていた(『視霊者の夢』)。



「この地表には、海洋と砂漠das Meer und die Sandwüstenという居住できない場所があり、人類という共同体を分離しているが、船舶と駱駝(砂漠の船舶)という手段によって、この無人の領域を超えて、たがいに近づくことができるのであり、人類が共同に所有する地表の権利のもとで、交通Verkehrのために地表を利用することができるのである」(『永遠平和のために』、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2006、186p)
 


 カントは自分の岸辺を離れず、自分が見ているのと同じような、誰かの他の岸辺を夢想する。カントにとって、岸辺は必要以上に理想化されている。どんな岸辺であれ、それは共同してgemeinschaftlich、人間が経験的に獲得できることの限界を指し示す。そしてその限界から始めることによって、「交通Verkehr」の必要が求められ、相互依存が深まり、平和の条件が整えられる。カントにとって、岸辺は他者に限界まで至近する場所でもある。もちろん、他者は海の彼方の異邦にある。しかし、彼らと幽かにつながれる唯一の方法は、自分と同じように海に対する圧倒的な無能と畏怖と憧憬を彼等もまた覚えているだろうと考えることだった。不可能性(海)に対する可能性(航海)の戦いを共にすること、それが奇跡的で感動的な連帯の希望を与える。永遠平和のためにZum ewigen Frieden、それは、死者に向けて墓に刻み込む文句のことだった。「永遠」平和の理論は、時化ない海、凪そのものとなった海の現世では不可能な祈りによって構築されている。「このまま永遠に夕凪を」(「島唄」)、というわけだ。


 しかしカントはもうひとつの大切な戦いを忘れていた。彼は海と陸の、超越と経験の境界に立つ。しかし、海と陸地の境界はいつも自明であるとは限らない。波打ち際は、無限の波が、しかし一回一回が異なる戦略をもって、相手の領分を奪うおうとするように、陸地を侵掠せんと特攻する戦場に等しい。実際、潮の満ち引きによってそのラインは何度もリライトされ、今立っていた場所が浅瀬となり、浅瀬がやがて湿った砂浜となる。境界線が動的境界であるならば、限界とは必然的に暫定的な、言い換えればテンポラリー(一過性的=時間的)な限界だ。自然が何を決定したのか知らないが、「不変の境界unveränderliche Grenzen」など存在しない。あえて不変といえば、変化だけが不変なのだ。凪と時化にテンポがあるとして、海と岸辺にもテンポがある。水没する岸辺を(正に「岸辺のない海」?)、或いは逆に、干上がった海底を、カントは想像できなかった。永遠の凪が実現されても、海辺の攻防は、海か岸か、どちらかがなくならない限り決して終わらない。そして、どちらかが戦いに敗れれば、勝者が敗者を占領してもおかしくはない。


 カントは戦いを眺める場所が別の戦いの場所でもあったことに気づけなかった。海に向かおうと、玄関で靴紐を結ぼうとしたその瞬間から、既に航海は始まっていたのだ。或いは、もっと以前から。仄聞くところによれば、地球温暖化によって北極の氷が溶けたとしても、海面上昇はせず、海抜の低い都市が水没する恐れはないそうだ。岸辺が残り、そしてまた戦いが始まる。岸辺と海の接触地帯は不断に変容し、日々の日常のなかで遅々としてはいるが、しかし確実に決定的な領土争いを已めはしない。日常の岸辺が既に疾風怒濤なのだ。戦いと戦いが戦いの戦いで戦う。永遠に。いや、厳密に言うべきか。永遠が永続に。